第15話 星降る夜
「そうですね……」
ジェイクはユリィと過ごした数々の記憶を思い起こした。大事に収集し、見出しをつけ、整理してある記憶はどこをどう切り取っても瑞々しく、鮮明で膨大すぎて一言でまとめられるものではない。
確かにユリィはいつもその強すぎる力でジェイクを守り、愛情の限りを示してくれた。服の下にあるペンダントに無意識に手が伸びる。
「すぐ側で生まれ育ったというだけで、ユリィは僕を守ってくれています。幸せでした。でも、僕は守られ、与えられるばかりで、ユリィに与えられるものが何もないと気付いてからは……つらい気持ちもありました」
「そうか。お前でもそうなのか……ユリアレスに守られてもそうなのか……」
王太子は意外そうにジェイクを上から下まで見つめた。
「僕が無力すぎるだけです」
つい落ちてしまった視線と心を励起させて、ジェイクは目の前の王太子を睨んだ。
「感傷に浸っても仕方がないので、頑張るだけです」
自分に言い聞かせるようにジェイクは言う。感傷に浸らずに体を動かし続ける姿勢はユリィから学んだものだ。彼女は母を失った日でも畑を耕していた。
「生きているのは苦しいな」
「……まあ、そうですね」
ジェイクの適当な返事に、王太子は普段の冷たい雰囲気が嘘のように微笑んだ。随分柔らかい表情が出るようになったとジェイクは思う。
「苦しい。私には責任があるから死にたいとは思わないが、眠れぬ夜は昔からユリアレスのことを思う。ああいう人智を超えたものが窓から侵入してきてそっと私の息の根を止めてくれないかと……」
「ユリィはそんなことしませんよ!?」
「そうだろうが、想像すると心が静まって良く眠れるのだ」
思ってもみない告白にジェイクは慌てた。王太子がユリィに特別な感情を抱いているとは知っていたが、想像の仕方が斜め上で理解し難いものだった。
「私が頭の中でユリアレスをどう使おうと自由だろう。最近は直接会えるようになって想像が捗る」
「そんな想像するんだったら僕が会わせませんよ!」
「はは、ユリアレスは痩せこけた私に同情しているから、私に会いに来る。誰にも止められぬ。お前にもだ」
「くっ……」
思わず拳に力が入るジェイクだったが、どうしようもなかった。
「おっ、何だその拳は。面白い」
「……申し訳ありません。疲れて判断力が鈍っていたようです。仕事を終わらせて、もう寝ましょう」
煽るように王太子はぐいと近寄ったが、ジェイクは手を開き、身を退けた。本当は、ユリィが作ったペンダントの効果によってジェイクに疲労感などなかった。
王太子が初対面で予言したように、王太子とジェイクはお互いに理解を深め、かちっと部品が嵌まったように動き出した。
いつしかジェイクは、多くの傷を負い、欠けたところだらけの王太子を支えたいと心から願うようになった。カストを始めとした近衛騎士たちも同じだろうと思われた。
人心を惹き付ける何かが備わっているエミリアーノ王太子が王位に就く日を待ちわびる気持ちが、ジェイクに生まれていた。しかしそれは国王が死ぬことを期待していると同意であると気付き、ジェイクは罪悪感に苛まれた。
だが2日後、国王は息を引き取った。病死であると伝えられた。46歳という早すぎる死であった。何人もの侍医が努力の限りを尽くしたので、ジェイクの内心の思いとは何の関係もないとはわかっていても、どこか恐ろしい気持ちになった。
同じ城内に居ても、一度も会うこともなく国王はこの世を去り、大広間の肖像画に黒い布がかけられた。
あらかじめ準備されていたので、国葬の手配や国外への報せは滞りなく進む。
国王の死とは、理解しがたいものだった。あるいは、どのような死も不条理に理解を拒むのかもしれない。ジェイクは、国王の部屋から出てくる王太子の顔を見た。国王の遺体は移され、この部屋には居ないのだがいつも通りジェイクを外に待たせていた。
青白い顔に空虚な雰囲気がある。しかしジェイクがそう見たいだけかとも思われた。
「私の顔をそんなに見たいのか?毎日見ているというのに」
「あ、いえ……」
目を細め不機嫌そうに王太子はジェイクの視線を咎める。中で何を考えていたのか、当然聞けなかった。
夜になり、いつものようにジェイクは王太子の寝処に出向いた。王太子はソファにだらしなく座り、酒を飲んでいた。初めて見る様子と、広い部屋中に漂う酒の匂いにジェイクは戸惑う。明らかに王太子は飲み過ぎだった。国王が健康を害したのも、朝に夕にと酒を飲み過ぎたのが原因ではと使用人達の間で噂されていたのに、なぜこんなことをするのか。
「殿下……大丈夫ですか?」
「これか?こんな日ぐらいはいいだろう」
王太子はグラスを傾け、琥珀色の液体を一息に飲み干した。強い蒸留酒をそんな勢いで飲むものではないと、ジェイクでも知っている。
「お身体に障ります」
「ジェイク。聞け」
ジェイクの発言に被せるように、王太子の良く通る声が室内に響いた。やけに静かだと思ったら、雨音がしていないとジェイクはバルコニーの細長い窓ガラスを見た。城内にずっといるので気付かなかったが、長雨が終わっていた。
「私はいつか、父上を見返してやりたいとずっと努力してきた……だが、王位とはおかしなものだな」
ジェイクまで酔ってしまいそうな酒精の香りを吐きながら、王太子は言う。
「死なねば私の番が回って来ないのだ。生きている間に私が父上に認められる日はついぞ来なかった。何故だろうな、私はもう立てない」
「そんなことありません、殿下はお強い方です」
王太子はふんと鼻を鳴らし、デキャンタからまた酒を注いだ。ジェイクは止めようかと思ったが、却って酒を飲ませる結果になりそうで視線だけを送る。
「ひとりにしてくれ」
「いえ、殿下……」
「うるさい。ジェイクも、カストも、今日は下がれ。今夜くらいは私をひとりにしてくれ」
そう言われると抗えなかった。カストと共に部屋を出て厚い扉を閉める。人数の増えた騎士がその前にしっかりと立った。
「ジェイク、そう心配するな。殿下も今夜くらいは飲み過ぎても大丈夫だろう」
「お酒はともかく、精神的に心配です」
カストが励ますようにジェイクの肩を軽く叩いた。
「殿下はジェイクが来てからずいぶん明るくなられた。何が自分にとって必要か、見極める力を持つお方だ。明日には立ち直っておられるだろう」
カストは、初日こそエミリアーノ王太子に命じられてジェイクに冷たく当たったが、それはお互いに言わずとも理解している。カスト自身は、息子のような年齢のジェイクをかわいがる対象と思っていた。
「さあ、君も寝なさい。殿下をお支えするにも体力が必要だ。きっと明日は二日酔いだからな」
いつも使っている王太子の部屋の隣へと力強く押し込まれてジェイクは大人しく従った。
そのまま寝ようかと思ったが、ジェイクは雨でまだ濡れているバルコニーへと出た。久しぶりの雲のない夜空は洗ったあとのように澄み渡り、いくつもの星が瞬きながら輝いている。
目を細めて彼方の星に焦点を合わせようとすると、ふいに落ちていくひとつに気を取られる。流れ星だった。観察しているといくつもいくつも、目がおかしくなったかと思うくらいに流れていく。
星が落ちても、どうして星座の形が変わらないのか、幼い頃にユリィに聞いたことを思い出した。
ユリィは「いつも見えているような星座はずーっと遠くにあって、実は位置もばらばらなんだけど、何万年もかけて、たどり着いた光。小さく見えても、すごく大きい。流れ星は近くで小さいちりとかが燃えてるだけ」と教えてくれたが、どこでその知識を得たかは教えてくれなかった。
きれいだが、どこか哀しげに燃え尽きる流星群をジェイクはぼんやりと眺めた。不意に、背後に物音がして振り返る。人が降ってきたような――
「あっ……!?」
「しーっ」
黒ずくめのユリィが両手を前に出して牽制しつつ、笑顔で立っていた。
「な、何で上から降ってくるの?」
「ロープを使って一回お城のてっぺんまで登ってから降りてるの。言わなかったっけ?」
ジェイクは他人に見られないよう、ユリィを室内に手で案内しながら小声で質問する。それは初耳だったし、質問の意味とは少しずれていた。バルコニーのガラス扉を閉めてから、ジェイクはふうと息を吐く。普段とは違う意味でジェイクの鼓動は速くなっていた。
「ユリィ、国王陛下が亡くなって……」
「聞いた。だから来たの」
ユリィの赤い瞳は、暗闇でも輝きに満ちていた。
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