第14話 無月
国王の容態が悪化して、エミリアーノ王太子の身辺は更に忙しくなった。国葬及び国外への報告書の準備、戴冠式の日取りなど、国王が亡くなる前から丁寧に用意する様はジェイクの目には非情なものに映った。
王太子は元々悪い顔色を変えずに、淡々と政務を執り行った。意識がなくとも、日に二度、王太子は国王の部屋を見舞った。
見張りの騎士たちはもうジェイクをからかわない。ジェイクの体には何らかのまじないがかかっていると噂になっていた。いつの間にか、ユリィと幼なじみであるという事実も広まっていた。ユリィはこの国で知らぬ者はいないくらい不可思議に強く、国王の勅命を受けてモンスター討伐をする程有名だった。
騎士たちの恐れのこもった視線を受けながら待っていると扉が開き、王太子が出て来た。騎士たちは畏まる。
ふと、ジェイクは扉の向こう側から、死の匂いを感じた。王の体は香油を含めた熱い湯で丹念に拭き清められているらしいが、そういった物質としてある匂いとは違うものかもしれない。ジェイクが5歳のときに亡くした父の最期と似た気配があった。
「何を呆けた顔をしている。行くぞ」
早足で王太子は王の部屋を後にしようとする。ジェイクは慌てて足を早め、声をかけた。
「殿下……私が父を亡くしたときと似た何かがあります。お覚悟を」
王太子の冷めた碧い瞳がジェイクに向けられる。怒りも悲しみもなく、ほんのわずかな羨望が込められていた。
「覚悟か。まともな感情を持つものには必要かもしれないな。ではジェイク、諸々の行事での演説文はお前に仕上げを任せる。私には悲しみを現す文が良くわからぬ」
「……詩の流用でよろしければ。私も文才はありませんから」
ジェイクは有名な詩などを丸暗記しているものの、私的な文章を書いたことはない。ふっと息を漏らして王太子は笑い、なぜか腕を触られた。
「夜になったら、私のことをもっと話してやろう。それを上手く装飾して書け」
「はい」
王太子の後ろにはたくさんの人がいるので、「夜伽か」などという揶揄が聞こえたがジェイクは表情に出さないようにした。王太子は人前でわざと親密さを演出すると解っているからだ。
毎日、午後のお茶の時間の頃にやって来るユリィは、陰鬱な城の空気を吹き飛ばすようだった。雨続きで黴が生えそうな日々の晴れ間に思えた。忙しそうだから、お菓子を渡すだけでも良いとユリィは何度か言ったが、王太子は無理にでも、宰相を怒鳴り付けてでも時間を作った。
そうしてくれると王太子の侍従であるジェイクも助かる。どうせ昼の執務室では、各部署の者が訪問してまるで集中出来ない。残った書類仕事は、夜に王太子の寝処でふたりで処理すれば良いという結論に達していた。
「今日はタルトソルダムと、ダックワーズと、ミートパイです」
ユリィは元々菓子作りも料理も上手かったが、最近では目にも鮮やかな、誰も見たこともないものが毎回テーブルに並べられる。どこで料理の知識を得ているか、その名付け方も、ジェイクと王太子にとって不思議だった。
ジェイクは王宮の使用人用の食事は普通に食べていたが、この時間を一番の楽しみにしていた。ユリィが作ったものは、魔法がかかったようにどれもおいしく、実際魔法がかかっていて身体に様々な効用を示した。
王太子も少しずつだが、体調が良くなってきたように見えた。外で買ったものを食べていても、王宮で食事をするという行為が大いに王太子の心身を削っていた。だが、ユリィの作ったものはそれを上回る癒しを与えていた。
「ユリアレス、これは何の肉だ?」
「
籠目に飾り付けられたミートパイを食べた王太子がユリィに尋ねる。パイ類はユリィが魔法で温め直すので、部屋中に香ばしい香りが漂っていた。
「いや……食べやすい」
「そうですか。ではもう一切れいかがですか?」
「うむ」
味を誉めることはない決してない王太子だが、ユリィは僅かな反応の差異で気に入ったかどうか十分理解する。それをジェイクはいつも楽しく眺めていた。
愛する人が他者にも優しいというのは、どこか誇らしい気持ちになるものであった。時間は有限なので、自分の取り分が減るとしてもだ。ジェイクには反証があった。愛する者が、自分以外に冷酷では悲しい気分になる。
だからジェイクも他者に優しくあろうと、ダックワーズなるものを食べながらおぼろげに考えた。弾力がありながら柔らかい感触の生地の間には、ジェイクの好きな苺のジャムが使われていた。
夜になり、習慣となった王太子の寝処に赴いた。ふたりで静かに残った仕事を片付け、ゆっくりと時が流れた。ジェイクは蝋燭の灯りを頼りに、工事の最終調整の書面を確認し、件の演説の原稿にもそれらしい下りを書き加えた。
王太子が仕事をしながら語ったところによると、国王との親子仲は非常に希薄なものであった。ジェイクも知識としては知っていたが、エミリアーノ王太子は、元々第三王子として生まれた。
これは外には出ていない情報だったが、エミリアーノは生まれつき体が弱く、故に教育の進みも遅れて出来が悪いと冷遇されていた。離れの宮で使用人のみと孤独に8歳まで成長した。
しかし10年前、国中を襲った疫病により二人の兄王子が亡くなった。離れの宮だったことが幸いしたのか、エミリアーノは生き残った。そして帝王学の詰め込み教育が始まった。
ただ母親である王妃は、兄王子たちの死を受け入れられず、精神に異常をきたした。「お前が死ねば良かった」などと毒殺を試み、国王も見てみぬふりをして来たという。なぜなら国王もまた、エミリアーノを愛してはいなかった。
「……という訳だ。美辞麗句としてうまく書け」
「書かない方が良いのでは?」
「いや、書け。歴史を曲げてはならぬと私は教育されたぞ」
しかし、常識的にその辺りを文章に組み込む訳にもいかず、ジェイクは頭を抱える羽目になった。
しかし数時間経つと、王太子は国外への書簡をしたためながら、こくこくと頭が揺れ出した。
「眠くなってきた……ジェイク、あれを音読せよ」
あれとは、閨房の指南書のことだった。裸の男女が睦みあっている絵に但し書きが細かく書いてあり、戯れに王太子が良く使うものだ。
「嫌です」
「ふふ、私の命令が聞けぬというのか?」
半分落ちかけた目蓋のまま、王太子は笑った。この部屋ではお互いに少しくだけた態度で過ごしている。部屋の隅で待機しているカストも、座ったまま密かに寝息を立てていた。
「カストももう眠っているし、良いではないか。お前はユリアレスにああいうことをしたいのであろう? 勉強しておいた方が良いぞ」
「ほ、放っておいて下さい! それに殿下こそ、そんなものばかりじゃなく、妃殿下の処へ行かれたらどうなのですか?」
流石に言いすぎたかとジェイクは思ったが、王太子は肩をすくめるだけだった。意外な態度に戸惑ってしまう。ジェイクが城で働き出した初日から、王太子は一度も王太子妃の寝処へ行っていない。自身の存在が健気な妃を傷つけていないかとジェイクは気に病んでいた。
「ジェイク……二度は言わぬから、よく覚えておけ」
「はい」
ため息をついた王太子は、声に抑揚もなく告げた。
「この世はまことに思うように行かぬことばかりだ。私の体と精神は、あまりに弱い。何をするにも私の意思に反する」
「はあ……」
「上手く行かぬことで私が傷つくのはまだ良い。だが、相手に泣かれてみろ。あれは……あの苦しみは……」
つまり夫婦の営みが上手くいかず、相手に泣かれてしまうという。聞いていて、ジェイクは顔を強ばらせた。もしそんなことで泣かせてしまったら、自身も立ち直れなくなるだろう。以前、衝動的にキスをしたあとのことを思い出した。図書館で別行動を取ったあと、ユリィは泣いたあとの顔で現れた――
「はは、何だ。お前も似たような経験があるのか。あのユリアレス相手に、大したものだな……ははは」
「違います! 殿下が思っているものとは違います」
ジェイクの動揺を見逃さずに王太子は薄い体を折って笑い出した。相当気に入ったらしく、笑いが止まらない。
「殿下、違いますから! そんなことより早くこちらの書面にサインを……」
「はは、ジェイクが代わりに書いておけ……私の筆跡を覚えただろう?」
王太子はまだ体を震わせて、引き攣った笑い声を上げている。
「殿下、本当に違います。何度でも言いますが」
「なあ、あれだけ強い者に守られ、愛されるとはどんな気持ちだ?どんな書物にも書かれていないから、話してみよ」
問われてジェイクはすぐには答えられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます