第12話 絡まり
翌日からジェイクは言われた通り、王太子に付いて歩くようになった。当然王太子の食事の席にも立ち会い、後ろに立って見守る。
三又の燭台が置かれた長いテーブルには王太子のほかに、王妃、王太子妃、王弟らが同席していた。王はいつも不在だった。本当に容態が悪いのだなとジェイクは思った。座って食事が摂れないようでは、長くはないだろうと推測される。しかし王太子も、この場においては同じであった。
金に縁取られた大皿に美しく盛られた料理の数々を、王太子はほとんど口にしない。ごく小さく切り分け、フォークで口元まで運んだところで、口から胃が飛び出しそうに苦悶の表情を浮かべる。
大きな波を乗り越えて、どうにか口端に押し込み、飲み下す。どの食材にも同じ態度なので嫌いなものという訳ではないようだった。
王太子が食事に難儀しているのを気にも留めずに、黙々と食べ進める王妃は不気味だった。王族とはいえ母親だろうに、なぜ健康を害している息子を放っているのかジェイクにはわからなかった。
王太子妃ラウラリアだけが、王太子に話しかけていたがひとり語りに近いものだった。10回に1回ほどの頻度で、王太子が「そうか」などと返事をする。それだけでとても嬉しそうに笑う王太子妃は健気でかわいらしく見えた。
一日に二回、王太子は王を見舞う。その部屋にはジェイクは入室を許可されないので外で待つのだが、少し面倒な時間であった。
「おまえ本当に女みたいな顔してるな。どこで王太子に媚びを売って拾ってもらったんだ?」
見張りの騎士たちが低い声でジェイクをからかってくるのを、ため息をついて無視をする。見張りの騎士は日替わりらしく、毎度同じことを言われるのだった。
「毎夜、王太子殿下の寝処に呼ばれてるんだろ?なかなかお世継ぎが出来ないと思ったら、殿下はそういう趣味だったのかねえ……この国の行く末が心配だ」
「まあそのうち飽きるだろ」
筋骨隆々の騎士たちに見下ろされると、ジェイクは流石に悔しい思いがした。まだ背が伸びそうに足は成長痛に疼いているが、現時点では負けている。
「かわいい顔に生まれただけで特別扱いしてもらえて良かったなあ?せいぜい尽くせよ」
暇なんだなとジェイクは思った。何か言われるのは全く腹立たないが、うるさいので静かにして欲しかった。最近思い付いた数式を確かめる計算をしたいというのに。無いということを証明する数式、それはユリィの恋愛感情に似ているように思えた。僕は存在しないものを求めていたのか――
「おい無視するなよ」
負の数は発見されている。借金という概念から生み出された。ただし数学上の負の数と、借金は違う動きをする。それぞれ時間軸が違う。
「おい!!」
ジェイクは肩を掴まれるかと思った。しかし騎士は吹き飛ばされるように後ろに飛び、壁に激突した。大きな音がしたが、石造りの壁は無傷だった。
「いってぇ……何だ? 何をした?」
「僕は何もしてません」
ジェイクは胸元が熱く感じながらそう答える。服の下で、ユリィにもらった赤い結晶のお守りが快い熱さを放っていた。彼女は耐毒、体力回復、加護の効果があると言っていた。体力回復は感じていたが、加護はこういう効果なのかと笑ってしまいそうになる。
「この小僧は何もしてない。お前が勝手に、後ろに飛んだように見えたぞ……でも……なわけないよな……」
別の騎士も気味が悪そうにジェイクから後退る。
こういう噂が広まれば、変に絡まれなくて良いなとジェイクは思った。胸のペンダントを取り出して眺めたいのを我慢して微笑を作った。
◆◇◆
その頃、ユリィは王都から遠く離れた村にいた。家で自作のビニールで作った絞り出し袋に、クッキー生地を詰めていた。ジェイクの助言をもらい、複数のモンスター素材を組み合わせて遂に完成した薄いビニールは、製菓にとても便利だった。布の絞り出し袋とは比較にならない。
「すごくかわいい……!」
金皿に、薔薇を描くようにクッキー生地を絞っていく。うっすらとしたピンクは
あまりかわいがると感情移入してしまうので、姿を見すぎないように世話をしている。茹でて濾し、冷やすと濃いピンクの色素と、無味のゼラチン質に分けられる、夢の食材だとユリィは感動していた。ゼラチンは動物の皮や骨から抽出できるが、製菓に使える味のないレベルまで精製できずにいた。
「ゼラチンがあればイチゴのムースも作れるし……ジェイクはイチゴ好きだし」
ひとりごとを言ったとき、不意に悲しくなって手が止まった。何かが出来るようになって嬉しいと思ったとき、その思考の先に必ずジェイクがいる。出来るようになるにもジェイクの助言がいつもある。
いつも一緒に喜んでくれる存在で、だからもっとがんばらなければと突き進んできた。だけどジェイクは最近エミリアーノ王太子に付きっきりで、寂しく感じていた。
ユリィは自分の唇に触れた。ひとりになったときの癖になっていた。
「やっぱり、離れていっちゃうのかな」
ユリィは、グラソー子爵家と繋がりのある王城勤めのメイドから情報を密かに集めていた。それによると王太子とジェイクは大変良好な仲で、昼夜を問わず一緒にいるということだった。
賢くて穏やかなジェイクなら、王太子のお気に入りになるのも当然だろうとユリィは思う。ユリィのためにがんばる、とは言われたものの我が儘な感情が押さえつけても時々浮かび上がった。
――ずっとそばにいて欲しい。誰のものにもしたくない。
意識の表層に浮かべては恥じ、頭を振って気を紛れさせる。認めてはいけない感情に思えた。ジェイクの自立を妨げるなんて、我が儘にも程がある。
ユリィは菓子作りに戻った。ジェイクに菓子を持っていくと必ず王太子がいるので、二人分のそれなりに見栄えの良いものを作る必要があった。
「ちょっと会いに行くだけ……別に邪魔なんてしてない」
言い訳しながら作業に戻った。没頭することで邪念を打ち消そうという邪念まみれの行動だが、薔薇形クッキーは金皿に美しく盛られていった。
◆◇◆
「ユリィ、今日もきてくれてありがとう」
「今年は雨が長くて暇だから……」
ジェイクにあてがわれた執務室をユリィは訪問していた。王太子の許可を得たので、もうメイド服は着ていない。近衛騎士の出迎えまでされるようになった。
「ユリアレス、私が邪魔か?」
当然、王太子も一緒にいた。質問の内容は卑下するようだがどこか嬉しそうに、顔の片側だけで笑って問う。
「滅相もございません。私の作ったものが、僅かながらでも殿下のお体の糧となれば幸甚に存じます」
「そうか。私は城で出る食べ物は吐き気がしてほとんど食べられないからな」
「まあ……」
ユリィは王太子の痩せた体つきを見るなどといった失礼のないようにそっと視線を落とした。ジェイクも知っているが、どうしたらいいかわからずにいる問題だった。
「なんだ、二人そろってそんな顔をして。時間薬というものがある。私が母上に毒を盛られたのは最後だと2年前だから、そのうち忘れて食べられるようになるだろう」
「……と、とりあえず明日も来ます……。私なりに何か考えてみます」
ユリィはそう言って、王太子の皿に大きく切ったタルトを盛り付けた。彼女らしい優しさだとジェイクはどこか安心する気持ちになる。
誰にでも優しい。だからユリィは、これだけ何でも出来る力を持って生まれたんだろうかと天に尋ねる気持ちになった。
ユリィが帰るときだけ、ジェイクは王太子の側を離れることを許された。裏門まで送っていく。いつものように何気ない話をしていたがユリィは、しきりに髪や服を触り、深呼吸をしていた。
「ユリィ、どうかしたの?」
「……ねえジェイク、夜はお城のどこで寝てるの?」
ぱちっと目が合う。ユリィの赤い瞳が妖しく輝いていた。ジェイクは城を仰ぎ指を指す。
「ここから見て左から三番目の、窓がたくさんある棟。そこの上から二番目、右から四番目の窓」
「そう……」
夜にもこっそり来てくれるのかと感じ入る。彼女はにっこりとした。
つられて笑ってしまう完璧な笑顔だった。まだ少女らしい頬の丸みが薔薇のように染まっていた。
「今夜行ってもいい?」
「うん」
断る理由もなく、興奮がジェイクの背筋を駆け抜けた。
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