第11話 夜の片隅

「不正な請求がグラソー家に行かなくなれば、とりあえずそれで僕はいいよ」

「ジェイクすごいね! そしたらすごく助かる」


 嬉しそうに笑ってユリィは紅茶を注いだ。


「ね、フィナンシェ焼いてきたから、一緒に食べよう。休憩しないと」

「……ありがとう」


 バターの良い香りがする四角い焼き菓子をユリィは並べた。彼女は幽霊牛ウナカテクトリという珍しいモンスターを飼い慣らしている。そして牛乳を絞り、バターを作っている。卵も、小麦粉も全てユリィの作る最上級品で、これ以上は望めないのではと思うくらい絶品だとジェイクは知っている。


「まさかお城でこうして二人でお菓子食べるようになるなんて小さい頃は思いもしなかったね」

「ユリィがそんな服着るとは僕も思わなかった」

「一回メイド服着てみたかったの」


 妙に嬉しそうなユリィを見てジェイクも嬉しくなった。長雨の時期も、彼女の牧場仕事が忙しくなく良いことだと天の恵みに感謝した。


「そういえば、ユリィのビニール作製は順調?」

「うんうん、ジェイクの調べてくれたアドバイス通りでやったら成功してる。今は薄く平滑にする練習中」


 なごやかにおしゃべりをしていると突然、ノックの音もなく扉が開いた。ドアをおさえる近衛騎士のカストはユリィの姿を見つけて驚きに目を見張っている。その後ろから王太子が入室した。


「あっ、これは私が勝手に押し掛けてるだけでジェイクは悪くないんです。ご機嫌いかがですか?王太子殿下」


 流石の反射神経で飛ぶように椅子から立ち上がったユリィは苦し紛れの挨拶をして膝を折った。メイド服を着てはいるが、一度会っている以上顔まではごまかせないと踏んだ。


「……ユリアレス、来ていたのか。面白い格好をしているな。お前もここで働くことにしたのか?」


 白いエプロンのユリィの姿を上から下まで眺めて、王太子は片方の口端をつり上げた。


「そ、そうですね! 短時間ですが」

「ユリアレスがそうしたいと言うのなら誰にも断れぬだろう。城を破壊されるよりはましだから好きにするが良い」


 次第にきちんとした笑みになった王太子はカストの引く椅子に着席した。ジェイクはその言動が意外に思えたが、王太子の言う通りでもあった。巨大モンスターをひとりで倒し、さっきは炎まで手から出していた――城を壊すのも容易だろう。


「殿下の広いお心に感謝致します。……これは私の焼いたものですが、良ければおひとついかがですか?」


 ユリィはフィナンシェを並べた皿を王太子の近くにすっと移動させる。ユリィにとっては深い意味のない行動だった。食べても食べなくても構わないが、勧めないのも失礼だろうかと思っての行動だった。


 ジェイクは食べないか、ユリィに目の前で食べることを要求するのかと予想した。


「ユリアレスが? これを焼いたのか?」

「はい……ジェイクにと思って。ですがこんなものを殿下に勧めるなど失礼でしたね、申し訳ございません」


 痩せているために妙に目立つ王太子の碧い瞳に詰問されるように見られてユリィは恥ずかしくなった。一応子爵令嬢としての教育は受けたがそれは週に一度だけで、王族との直接の対話にあまり自信がない。王族と話すことなどないだろうと不真面目に授業を受けていた。


「いや、もらおう」


 王太子は長い指でフィナンシェをつまみ、半分ほどを口に入れた。短い咀嚼で飲み込み、もう半分を平らげる。


 ジェイクはちょっとした驚きの中、カストを見やると目玉を落としそうなくらいに目を見開いていた。もう一人の女性近衛騎士も同様だった。


「何だお前たち、その顔は」


 従者たちの視線に気付いた王太子がニヤッと笑った。


「圧倒的な力を持つユリアレスが毒など用いる理由がないからな……必要ならいつでも私を殺せる。それに」

「え、いえ私はそんなこと致しませんけど?!」


 物騒な物言いにユリィは困惑を重ねた。


「……ユリアレスが7歳でモンスターを倒し、有名になり始めたときから、私は憧れていた」

「それは光栄です……ありがとうございます」

「ユリアレスになら、私はいつ殺されても良い」

「だからそんなことしません!」


 軽口のつもりかとユリィは受け取った。しかし二人の騎士は、もしや愛の告白ではないかと無言で視線を交わす。王太子のいつも血色の悪い顔がほのかに赤みを帯びていた。


 反対にジェイクは顔が青ざめていった。王太子ともあろう者がこれ程直情的に、ユリィに迫るとは、しかも既に結婚している身でそんなことを口走るとは考えもしなかった。


 救いはユリィが鈍いことだけだった。何の感慨もなく世間話を続けている。ジェイクはそれも少し不安になってしまう。


 ユリィは、欠点のない美貌の友人アミルにも恋心を持たない。注意深く観察しても、その兆候は一切なかった。初対面のときに赤面していたのは、単に転んで恥ずかしかっただけだと本人に確認している。痩せぎすとはいえ王太子に好意を持たれても、興味すらなさそうな彼女は、恋愛感情がないのかもしれない――




 夜になり、あてがわれた寝所に赴くと先にカストが待っていた。


「殿下がお待ちだから、身を清めてこれを着てくれたまえ」


 カストは上等そうな手触りのよいナイトガウンを渡してくる。


「それはどういう……」

「夜のお供だな。同室で眠るだけだよ」

「そうですか……?」


 そういうのも侍従の仕事のうちなのかとジェイクは不承不承ながらもあれこれと言われた通りに用意する。


 王太子妃はどうなっているのか疑問だったが、カストが答えてくれなさそうなので黙って暗い城内をまた移動した。


 騎士が待機する大きな扉の前に到着する。カストは昼間より控えめな声を上げた。


「殿下、ジェイクを連れて参りました」

「入れ」


 室内は広いようだが蝋燭の数が少なく、暗かった。王太子の姿もぼんやりとしか見えない。もう眠いジェイクは何も言わずにいた。


「ジェイク、ここへ」


 言われた通りに歩みよると大きなベッドだった。王太子はいくつも積まれた枕にもたれ、半身を起こしていた。いつの間にか扉は閉まり、カストは部屋の隅にいるようだった。


「そこにある燭台を持ってこい」


 蝋燭の火だけははっきり見える。ベッドサイドに燭台があった。


「はい」

「良いものを見せてやろう……」


 王太子は硬い表紙の本ではなく、古風な巻物を広げているので、ジェイクは興味深く燭台と顔を近づけて読もうとした。


「わっ!!」


 字ではなく、精細な絵が描かれていたがその内容にジェイクは思わず声を出し、後ずさりする。男女が裸で抱き合い何かしている、その意味がわかってしまった。


「くっ……あはは。もっとちゃんと見ろ。王家に伝わる秘伝の書であるぞ」

「いいです!」

「見たことないだろう? あそこの図書館にもこれは置いていない」


 王太子は声だけでも喜んでいるとわかる調子でベッドを降りて迫ってきた。何なんだこの人は、とジェイクは眠気も飛ばして逃げる手段を考えた。


「そんなことのために僕を呼んだのですか?」

「はは……今日一日で私が嫌いになったか? なあ」


 突然に王太子の声が暗くなる。情緒が不安定なのかとジェイクは思った。


「いえ、感情で務める訳ではございませんから」

「顔を見せろ」


 後ろ歩きでソファにぶつかったジェイクは、王太子に息がかかる眼前にまで迫られた。落とさないように持っている燭台の火が揺れて、まばたきをしない王太子の瞳に反射していた。長く見つめられて息が詰まりそうになる。


「私が嫌いだな?」

「いいえ……」


 そうとしか答えられなかった。王太子のどの行動も嫌うほどではない。


 目の前に王太子がいるというのに、なぜかユリィを思った。存在の確実さを感じた。王太子を軽んじている訳ではない。ユリィを心から愛することが、樹木の根を張り巡らせた大地のように、揺るがない根底を作っていた。


 ユリィにさえ危害が及ばなければ、今この身がどうなろうと、どんな屈辱もどうでもいい。そう考えると次第に呼吸が落ち着き、ジェイクは王太子の瞳の奥にあるものを見ようとさえした。そうか、試しているんだ。嫌われないか不安に怯えながら理解されたいと願っているのか。拒みながら理解を求める、まるで子供のようだ。


 室内は、灯火の芯が燃える微かな音だけになっていた。王太子もジェイクも口を開かない。心が静かになって、どこまでも深く潜っていけるようだった。多くの言葉を身に付けてしまったからこそ、言葉が軽薄な嘘になりそうで、ジェイクはただひたすら動かずにいた。


「……明日から私の側を離れるな。今夜は隣室で眠れ」


 王太子はそれだけを言って、ベッドに戻った。掛布を動かす衣擦れの音が、広すぎる室内に響く。


「わかりました」


 エミリアーノ王太子という人間をわかろう、理解しようとジェイクは決意した。

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