第10話 初仕事
「やあジェイク。私は、殿下に君の世話を頼まれているカストだ。以後よろしく」
王城の裏門にて、図書館でも顔を見た近衛騎士にジェイクは出迎えられた。カストは鼻が高く、男くささの溢れる顔つきをしていた。
「よろしくお願いいたします」
「しばらくは私と相部屋になる……寝所を案内しよう」
「はい」
王城に特に憧れがある訳ではなかったが、それなりに物珍しく、建物の内部をジェイクはあちこち眺めた。
堅牢な石造りの城の天井は高く、高所にもガラスが嵌められ、雨の日でもそれなりの光源は確保できていた。
ただ使用人などが寝泊まりする棟は簡素なものだった。王都にいくつもある貴族の邸の方がきれいかもしれないと思った。
到着したのは最低限の家具しかない部屋だった。ベッドと引出し、机と椅子があるきりで冷えている。
「私は殿下を尊敬申し上げているから、殿下が選んだ君を歓迎するよ。しかし、君は何を目的に殿下に仕えるのかね?」
荷物をとりあえず置くとカストに訪ねられた。
「正直に言うとユリィのためです。まずはユリィが国から危険人物として扱われないこと。安全を担保すること。それからユリィはこの国の農業を改革しようとがんばっていますから、殿下のお力を借りて支援出来ればと思っています」
ジェイクは別に隠すこともないかと、心に浮かんだままに答えた。
「ほう、君自身の野望はないのかね?成り上がりたくはないのか?随分勉学に励んでいたようだが」
「目的の価値は僕自身で決めますから」
カストは馬鹿にしたように太い眉を上げた。36歳のカストとジェイクでは、親子に近い年齢差だがジェイクは威圧的な人間に慣れていた。カストは大げさにため息をついた。
「では次は、使いに行ってくれたまえ」
ジェイクはそのまま細い廊下をカストに案内されて、王太子殿下と出会った非公式の図書館へ通じる道を教えられた。以前から王族の万が一のときの非常通路と繋がっているとは聞いていたが、初日からそこを通るとは思わなかった。
「君は平民だから丁度いいだろう。すぐに食べられるものを数点買ってきてくれたまえ」
そうしてひとりで雨の降りしきる王都の裏路地に出る。城から追い出されたような雰囲気もあるし、まさに子供の使いのような仕事だったがジェイクは気にしなかった。
――試しているんだろう。わざとつまらない仕事をさせて。
言われた通りに買い物を済ませて、図書館の管理人に城への扉を開けてもらう。そこにはカストとエミリアーノ王太子殿下が立っていた。
王太子は、数多くの宝石と細かい装飾の施された美麗な衣裳を身に付けていた。先日の地味な服装とは全く違う。もっとも、一切の肉が削げ落ちた体型は変わらずで、仕立て師もどうサイズ合わせるべきか困るであろうと思われた。
「遅かったな」
「申し訳ございません」
初対面の親しげな雰囲気もなく、王太子は碧い目を冷たく細める。
「来い」
それでも力強い足取りで王太子は歩く。何が彼を支えているのか、ジェイクには不思議だった。
大きな書き物机と、書棚が並ぶ部屋に通された。買ってきた揚げパンの包みなどをカストに渡すと、カストはナイフを取り出して、慣れた手つきで切り分け始めた。
「ジェイク、食べろ」
王太子は一片を指してそう言った。毒見、ジェイクにはそれしか思いつかない。初日から毒を用意してくる人間がいるんだろうかなどと思いながら言われた通りに口に入れて、飲み下す。
「おいしいですよ」
表面に砂糖をまぶしてある揚げパンは甘く、単純においしかった。作り笑顔のつもりが自然な笑いになったジェイクを見て王太子が口を歪めた。
「お前は暢気に育ったようだな。ユリアレスに守られてきたのか?」
「エミリアーノ殿下……そうお考えになりますか?」
質問に質問で返す無礼も忘れてジェイクは訊いてしまった。その名を聞いて目が熱くなった。ユリィのことを何も知らないくせに。
「そうであろう」
「……では私を暢気で弱い人間とお考え下さい」
フン、と鼻を鳴らして王太子はテーブルにつき、残った食べ物を口にした。やはり毒を恐れているとしか思えなかった。
「……そこに過去の帳簿がある。全て見ておけ」
王太子は口にしたものを素早く飲み込みそう告げた。
ジェイクは指し示された書棚にある背表紙を読む。過去10年分のバーフレム国の財政を記録した帳簿らしかった。帳簿の読み方は亡くなった父、ユリィ、ポンとそれぞれから折に触れて習ってきて一番得意としている。
「畏まりました」
何を見つけさせたいのかは言われなかったが、誰かに温かく肩を抱かれているようで、出来る気がした。
王太子、近衛騎士らが退室してひとり部屋に残されたジェイクは仕事を始めた。雨は変わらず大きなガラス窓に打ち付けている。日がな暗いので、時間の経過も忘れてジェイクは帳簿と向き合っていた。
それでも薄暗くなって文字がない読みづらくなった頃、カツカツと控えめに扉を叩く音がした。
「はい、どうぞ」
「失礼します」
何の気なしに返事をしたが、扉の外からの聞きなれた声にジェイクは慌てて立ち上がり、足がもつれて転びそうになった。
「ジェイク、もう来ちゃった。ごめんね仕事中に」
「ユリィ!!この部屋……何でわかったの?」
そろっと入ってきたユリィの姿にジェイクは更に驚く。黒いドレスに白いエプロンを付けてメイドのような格好をしていた。手には水差しやティーポットの乗ったトレイを持っている。
「しーっ、今の私はアマンダだから。グラソー家からの紹介状でお城に勤めてる子から借りたの、この服」
そう言ってトレイを置き、くるっと回ってみせるユリィは、とてつもなくかわいかった。
王城勤めのメイドは貴族の邸で数年働いて女主人に紹介状を書いてもらわなければ就けない仕事なので、グラソー子爵家からも数人上がってきている。
貴族が城の情報収集に送り込んでいる面も大きい。
「どう?お仕事大変?」
「全然問題ないよ」
ユリィが来ただけで部屋がぱっと明るくなった気がした。
「え?ユリィ?」
明るいのは気のせいではなく――ユリィは火打ち石も使わずに手から炎を出した。蝋燭に火を灯して燭台に刺していく。いつの間に火をつけられるようになったのだろう。
「すごいでしょ?ついでにこれも出来るようになったんだよね」
手で招かれてユリィの隣に立つ。彼女が金属製の水差しに手を触れると、一瞬にしてゴボゴボと水が湯に沸き上がった。熱くないのか、赤熱している水差しから茶葉が入れてあるティーポットに湯を注いだ。香ばしい香りが広がる。
「ユリィすごいね、かっこいい」
「アマンダだってば。でも、これがこんな場所で役に立つとは思わなかった……お城って広いんだもん、お茶を淹れるのも大変だよね」
ユリィは興味深そうに、ジェイクが机に広げていた帳簿を見つめた。ジェイクは知らないことだが、ユリィは前世では税務署に勤めていて得意分野であった。簿記法が広まっているこの国を好ましく思っている。
「って私があんまり見ちゃダメだよね……」
「ううん、ここ見て」
ジェイクは財産目録を指差した。王の財産と国の財産は区別されていないので数多くの宝石類が書かれている。
「年々増えるのはいいんだけど、その額がね……歳入と合わないし」
続いてジェイクは国で行った港などの工事に関わる仕訳帳のページを指差した。
「数字が不自然なんだ、ぞろ目や昇順の数字が極端に少ない」
「す、数字をいじってる可能性?」
ユリィは声を小さくする。
「9年前の工事の費用で試算して、差額を出したらこっちの財産目録とおおまかに合いそうかなあ」
「うーん、査察官ジェイク。脱税……じゃないけどこういうの何て言うんだろうね?」
「国民に対する不正請求だよ、ユリィのグラソー家が工事費を毎年いくら請求されてるか」
あはは、とユリィは笑った。
「グラソー家も表に出せない宝石の収入がいっぱいあるから……」
それはジェイクもわかっているので肩をすくめた。ユリィが不自然な力で宝石を発掘するのは、ほとんどグラソー家のためになっている。
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