第9話 晴れる日はまだ

「は?ユリィちゃんが馬車の幌の中で寝てるところに勝手にキスした?」

「最低だな……」


 ジェイクは、事務所に戻ったポンとアミルにぼろぼろにけなされていた。ユリィは既に村に帰っている。


 先ほどのただならぬ雰囲気は何事だ、何があったのかと聞かれたので、ジェイクは素直に話した。ジェイクはユリィ以外に照れなどといった感情がないのでありのままに伝えた。


「そんなのわかってる……」


 ジェイクは反論も出来ず、雨で濡れた靴と、水気が染みた床を見た。自責の念でぐちゃぐちゃの傷跡に塩を塗られているようで流石につらかった。


「女性の扱い方を教えておかなかったボクの責任かなあ……あんまり頭でっかちになっても良くないと思って黙ってたけど」

「教えておくべきだったかと。ユリィがかわいそう」


 ポンは既婚者なりに慣れた雰囲気を出し、アミルは追随する。こんなときだけ叔父と甥らしい親族の絆を見せた。


「扱い方なんて言い方……ユリィは普通の人とは違うし、結局許してくれたし……」


 ジェイクはもう話を終わらせたくて机に羊皮紙を広げる。しかしポンはジェイクの話を遮るべく、羊皮紙を取り上げた。


「ダメ。ユリィちゃんも許してるようで、ぜっったい根に持ってるよ。いいかい?女性は雰囲気を大事にする。近いうちに風景の良いところで、挽回するべきだね」

「ポンさん、僕にはもうそんな時間ないんだ」

「ん?ちょっとなら休みを取っていいけど。今時期忙しくないし」


 ポンは不思議そうに首を傾げた。


「僕はこの商会を辞めます。今までお世話になりました。さっきエミリアーノ王太子殿下に侍従になれと誘われたので、殿下の下につきます」


 何の冗談かと笑いかけたポンだが、ジェイクの真面目な顔を見てすぐに顔を引き締めた。


「……そうなんだ。残念だけど、どこかで予感してたよ。ジェイクの頭脳はこんな小さな部屋で働くにはもったいないものだから」

「何年かかっても、ポンさんへ必ずお世話になった恩を返します」

「頼もしいね」


 背中を軽く叩かれ、ジェイクは少し感傷的な気持ちになった。これまでの日々が思い起こされる。

ジェイクは亡き父の後を継ぎ、幼い頃から市場に出入りしてきた。


 しかし、始めは子供だからと優しくしてくれた父の友人の商人も徐々にジェイクを利用したり、騙そうとした。ずるい笑みを何度も見せられた。


 一番頼れた大人はポンだった。たまたま出会ったアミルの叔父は、嘘をつくことなく、甘くすることもなく、心から支えてくれた。


「本当に、ありがとうございました」





 それからはポンの商会と、村の農作物を王都に卸す仕事の引き継ぎで忙しかった。ユリィとは朝、出荷分を集めるときの、少しの会話しか出来ずに過ぎた。


 明日からはいよいよ王城勤めとなった夜、玄関をノックする音が聞こえた。ジェイクは自室でわずかな荷物をまとめていたので母親のハンナが応対する。


「あらぁ、ユリィちゃん」


 ジェイクはその名を聞いて慌てて部屋を出た。ユリィが玄関から普通に入ってくるのは珍しいことだった。出来れば昔みたいに、夜中にこっそり呼び出して欲しかったと密かに思った。


「こんばんは、ハンナさん。……あ、ジェイク」


 ユリィはハンナに向けた親しげな笑顔のまま、ジェイクを見つけて声をかけてくる。


「ユリィ、どうしたの?」

「ジェイクにちょっと渡したいものがあって……。今大丈夫?」


 ジェイクはそう言われてユリィの手元を見たが、両手は空いていて何も持っていなかった。彼女がくれるというものなら何でも嬉しいが、何もなくてもそれはそれで良い。


「うん、もちろん」


 ジェイクが自分の部屋に通すと、ユリィは片付いた部屋の様子を見て悲しそうな顔をした。元々物はあまりないが、更に寂しく殺風景になっている。


「ジェイクに毎日会えないし、寂しくなるね」

「落ち着いたら村に戻る時間も作れると思うよ」

「ううん、私がジェイクに会いに行くから」


 いつもながら力強いユリィの言葉に胸が熱くなった。ユリィは約束を必ず守る。やると言ったら絶対にやってくれるだろうとジェイクは思った。まだ甘えてばかりで心苦しいけれど。


「……それでね。これ作ったの。お守り」


 ユリィは目にも止まらぬ速さでポケットに手を入れて、素早く何かを差し出した。停止したところで、ジェイクは彼女の手の中に赤く輝く宝石を見い出した。


「あっ……」


 ジェイクはお守りとユリィの瞳を交互に見比べる。透き通った赤い宝石は、ユリィの瞳と酷似していた。ジェイクの人生を支配して止まない赤い煌めきが、一粒のペンダント状に加工され、金の鎖と繋がっていた。


「ありがとう。本当に嬉しい……これ、ユリィの赤い瞳にそっくり」

「色は狙ってこうなったんじゃなくて……でもやり直す材料もなくて……ふ、深い意味はないから」


 ユリィは恥ずかしそうに顔から耳まで赤くしている。


「私がモンスターを倒すと、石が発掘できるじゃない?効果がわからなくて溜めておいた石をぜーんぶ溶かして、これにしたの。効果は、加護、体力回復、耐毒って感じかな」


 ジェイクは受け取って驚いた。体全体が包まれるように温かくなり、力が満ち溢れるようだった。ユリィが何年も溜めていた謎の石が、こんなに小さな結晶に凝縮されているのだから当然とも思える。


「こんなにすごいもの、もらっていいの?」

「いいに決まってるじゃない。あっ、鎖は長めだから、服の下に隠せるから。見た目はあんまり男の人向けじゃないよね」

「見た目は最高だよ。みんなに自慢したいけど、取られないように隠しておく」


 ジェイクは早速、自分の首にかけてみた。鎖の長さには余裕があるのでひとりのときに手に取って眺められそうだった。嬉しさが、あとからあとからこみ上げてくる。


「ユリィ、抱きしめていい?」

「別に聞かなくてもいいのに……」


 照れ笑いをするユリィがやけにかわいく見えて、また衝動に突き動かされそうになる。ジェイクは自分に愕然とした。


「……僕は反省したつもり。もう勝手にユリィに触ったりしないから」


 ポンやアミルに散々責められた記憶も頭をよぎった。早いうちに風景の良いところで挽回しろと言われたけれど、こんな雨の時期にどうしろというのか。


「もう気にしないで」


 珍しくユリィから体を寄せてきたので、増長しすぎないよう自分を戒めて華奢な背中を抱いた。本当にどうして、こんな体で屈強な兵士より強いのかその理由を誰も知らない。ジェイクも調べてもわからないことだった。そっと背中に当てられたユリィの手の感触もとても優しい。彼女に痛めつけられたことなど一度もなかった。


 今はこの感触と甘い匂いを大切に記録しておこうとジェイクは目を閉じて集中した。入浴剤や洗髪液を自分で調合しているというユリィは、日によって違う甘い匂いをまとっている。今日はベルガモットやラベンダーの香りがした。


「ねえ……ジェイク、もしかして嗅いでない?」

「呼吸してるだけだよ。したらダメ?」

「……ダメって言ったら?」

「わかった。止める」


 ジェイクはユリィを抱きしめたまま、息を止めた。


「待って、ちゃんと呼吸はして」

「うん」


 ジェイクは少し乱れた息を吐いた。ユリィの体が細かく震え出して体を離すが、笑っていた。


「おかしいよジェイク」

「ごめんね、僕はずっとおかしいんだ」


 ジェイクの意味するところを正しく理解せずにユリィは飾らない笑顔を見せた。確かに彼女に愛されてるとジェイクは思う。これ以上を望むことがおかしいのかもしれない。


 ――僕とは種類の違う愛情、それでもこんなに嬉しいのにどうして欲張ってしまうんだろう。

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