第6話 衝動
最後に寝姿を見たのは互いの両親も健在な、5歳の平和な時だった。よく一緒にお昼寝をしていたなと思い出す。
ジェイクは起こさないよう、衣擦れの音すら気にして少しずつ近付いた。疲れているんだろう、ユリィは止まることを知らないかのように早朝から暗くなるまで働き続けているから。
彼女の意思の強そうな眼差しが薄いまぶたに遮られている。透ける血管の一筋も心に焼き付けたくてジェイクはにじり寄るのを抑えられなかった。
薄紅色の唇が僅かに開いて静かな寝息を立てていたが、見ているとユリィの唇がすっと微笑んだ。起きているのかとジェイクは息すら止めたが、何秒経っても目は開かなかった。
良い夢を見ているらしい。つられてジェイクも笑みが零れた。
――かわいい。本当にかわいい。好きだ。
どれだけたくさんの言葉を勉強してもこんなときには単純な言葉しか思い付かない。
時が止まればと思った。ユリィも先日似たようなことを言っていた。もしかして同じ気持ちだったのかもしれないとジェイクは突然浮上した希望に飛びつきたくなった。あれは、ユリィは、どういう気持ちで言ったのだろう?
どれだけ長く時を一緒に過ごしても、完全にはわかり合えない。いつも膨大な過去の事象と照らし合わせてどうにか予想しているだけだ。
未だ知らない部分を知りたい。もっとユリィを理解したい。
ジェイクは愚かだとわかっていても、その欲望が身体への好奇心に変換される動きをやめられなかった。図書館の本の全ての書物を読み漁っても解決法はない。
弟のような存在が、薄暗い欲望を燃やしていると知ったらユリィはどう思うだろうか。自分がしようとしている悪事を、どうか気付いて止めて欲しい。
外の雨音が一層激しくなった。
しかし最愛の人は起きることなく無防備な姿を晒している。衝動は良心に打ち勝った。ジェイクは息を殺して柔らかな頬に触れ、唇を重ね合わせた。
触れた部分が震え、ほんの刹那目が合った。
「……っ?」
彼女は息を吸うだけの予備動作で後ろに跳躍した。どうやって移動したかジェイクにはわからなかったが、体ひとつ分は間隔が空いた。ユリィはぱっちりと赤い瞳を見開き、瞬きを繰り返している。
「ジェイク?今……」
自分の手で口元を覆っているユリィの顔がじわじわと赤く染まっていくのをジェイクは気が遠くなりながら見つめた。自分でも信じられない悪手を打った。次に何と言われるのか、数秒が永遠のように長い。
「さ……触った?」
ジェイクは『触る』という単語の意味をその頭脳のうちに精査する。辞書では第一に「手などをつける」とあった。ほかには近付ける、関係を持つなどもあったが、この場合ユリィが言いたいのは「手で触った」という意味だろう。
心のどこかで、笑って「しょうがないなあ」と受け止めてくれると期待していたジェイクは自分の甘さに嫌気が差した。
「ごめん」
「あ……ううん。私、よだれ垂れてた?拭いてくれたの?」
無かったことにしようとしている。何をしたか、解った上でこれまでの関係を続けるために紡がれる他愛のない言葉。ユリィの望みがそこにあるのなら叶えたいと思った。
「……うん」
うわべを掠める会話を続けながら、ジェイクはその場を取り繕う笑顔を作った。
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