第5話 雨の季節

 春から夏へ移行する直前の雨の日だった。王都にある商会の事務所にジェイクはいた。


「強く降り出したな。一回こうなったら本当にしばらく続くのか?」


 隣席のアミルは形の良い眉を顰め、灰色の窓外にため息をついた。少年時代、泣きながら別れたアミルとの友人関係はきっちり続いていた。ちゃんと毎年春に遊びに来て、とうとう「今年からはこっちに住む」と移住してしまった。


「途切れるときもあるけど、一週間は雨だよ。僕もこの時期はあんまり好きじゃない。夏の水を運んでくれてるらしいけど」


 ジェイクは羽根ペンをインク壺に浸しながらつられてため息が出た。村から王都まで約一時間半の間、空を翔ける馬車を引いて高速で移動するので少しつらい。フード付きのコートを着ても、顔に当たり続ける雨粒はどうしても好きにはなれない。


「そっか。俺は一週間ならぎりぎり我慢できるかな」

「一週間以上続くときもあるよ?」

「まじか……雨が快適になる道具を研究してる人に投資するかな」


 アミルはそう言って青灰色の瞳を斜め上に向けて何かを検討し始めた。


 アミルは12歳でジェイク、ユリィと出会い衝撃を受けた。こんなに小さい子供が支え合ってがんばっているのに俺は何をやっていたのかと。


 自分の国、ルサーファに帰ったアミルは宝石商を営む父に金を借りた。勉強に忙しい子供の身でも出来ること。アミルの出した結論は優れた人物に資金を投資することだった。


 疫病によって被害を受けたバーフレムの惨状から、特に薬を研究する人物を探した。宝石の原石を見抜くような不思議な力がアミルにはあり、父名義ではあったが投資は全て成功を収めた。


 父に借りた原資は倍にして返した。十年間、薬の売上の一割をもらう契約なので、若くして不労所得で一大財産を築き上げたのだった。


「僕は今日からユリィと、透明な防水布について研究するけど。雨対策にも使えるかもね」


 ジェイクは今朝の約束をアミルに明かした。この長雨はユリィが牧場仕事をどうしても必須な世話以外は少し休む。


 朝、出荷で立ち寄ったときにユリィに透明で水を通さないモンスターの皮について質問された。残念ながらジェイクの脳内アーカイブに該当がなかったので、複合素材で作る方法をこのあと王立図書館に行って調べる予定で仕事を急いでいる。


「なるほど……ぜひ、俺も関わりたいとこだけど。邪魔したら悪いかな」


 アミルはジェイクの反応を窺うように笑った。ジェイクがユリィをずっと好きであると知っている。


「……儲け話になったらアミルにも協力してもらうよ。まだ形にもなってないから」

「わかった。ジェイクとユリィは俺が一番期待している原石だ。きっとうまくいくよ、何もかも」

「透明な防水布は出来ると思う。でも、ユリィは」

「はは……」


 アミルは成長を見守ってきたユリィの姿を思い起こした。大人びた言動をしていた少女は、少しずつ外見も追い付いてきた。驚くほど美しくなったし、子爵令嬢という身分や有り余る金銭があっても、この国の食糧事情を改善したいと情熱的に働く姿は尊敬さえ覚える。


 ただ仕事に対して興味が向きすぎて、ジェイクの想いに気付かないのだろうなと思った。


「おーい少年達。お昼買ってきたよ」


 ドアが開いてこの事務所の持ち主、ポンが帰って来た。本名はトゥルキスポーニーというが長いのと親しみを込めて皆からポンと呼ばれている。


「全く、こんなに雨がすごいのにボクに買いにいかせるなんてひどいよ」


 強い雨風が小さな事務所全体に吹き込む中、ポタポタと滴を垂らせてポンはドアを閉めた。


 アミルの叔父であり、ジェイクが7歳のときから長年一緒に働いている人物でもある。アミルと同じ褐色の肌と長身ながらいつまでも変わらない童顔だ。ジェイクは密かに、自分もああなったら困るなと思っていた。


「でも交替制でって最初に言ったのはポンさんだから」


 アミルは皿ごと布で包まれた塊を受け取ってテーブルに並べる。


「思いやりがないなあ。そんなんだから、君たちはいつまで経っても独り身なんだよ。君たちくらいのときにはボクはもう結婚してたからね!全く、男三人で毎日こんな小さな部屋にこもるなんて不健康だよ……」


 ぶつぶつと文句を言いながらポンは雨でびしょ濡れのコートをドアノブに引っ掛けた。


「俺はもてるから大丈夫。ただ興味がないだけ」


 アミルは微笑めば大方の女性を落とせる笑みをポンに向けた。ポンは美貌の無駄使い真っ最中の甥に力なく肩を落とす。


「ハーディにボクが怒られるから早く興味持てる人を見つけて」


 アミルの父、ハーディに面倒を見てくれとしっかり頼まれている。ポンからすると歳の離れた兄だ。


「僕は午後からユリィと約束があるし」

 ジェイクは滅多にないユリィとの昼間の約束を自慢した。


「ああそう。一気に進むよう祈ってるよ。女性の心を掴むにも商談の技術が使える。ジェイクなら出来るはず……なんだけどね」


 ポンはからかうように手のひらを広げた。ポンもジェイクが長年、ユリィに懸想していると知っている。辣腕の商人であるポンは他人の心理がわかりすぎる程わかった。ジェイクの熱い想いも、ユリィが姉のようにジェイクを見ていることも。


 ――いざとなったら、恋愛と結婚は別物だからとユリィちゃんを説得してボクが取り持とう。仲はいいんだし上手くやっていけるさ。


 ポンは密かにそう決めていた。



 昼食と今日の仕事を終えて、ジェイクは約束の時間の少し前に市場の馬車停めに向かった。普段は牧場仕事に忙しく、あまり王都の市場になど来ないユリィが何とかわかる場所だった。


 雨なので、自分の馬車の幌の中にいてと指定してある。


「オリヴァ……もう中にいる?」


 亡父から受け継いだ黒毛の猛々しい馬、オリヴァは大人しく飼い葉を食んでいた。太い頸を撫でると片耳が背後の幌に向く。


 ――もしかしてユリィは寝ているのかも。


 オリヴァは賢く、優しい馬だ。ジェイクが来ても蹄や鼻息を鳴らしたりしない様子からそう思った。


 垂れ幕を押し退けて静かに幌の中に入ると、予想通りに幌に頭をもたげて眠っているユリィの姿があった。日頃彼女と会うのは毎朝、収穫物の集荷のときと、夜にジェイクが寄ったときくらいなので、貴重な寝姿だった。

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