第4話 未探索の道

「私の後ろに付いてきてね」


 ユリィは短剣をカチャリと腰の鞘に納めた。


「じゃあユリィがランタン持つ?」

「ううん。私は……最近暗いとこでもすごく見えるから……ジェイクが持ってて」


 確かに、ランタンの灯火を反射したユリィの赤い瞳は肉食のモンスターのように爛々と輝いている。


「わかった」


 ジェイクは意識して何とも思ってないと伝えるよう微笑んだ。今さらユリィの夜目が効くようになったからと言って驚きはしない。それ以上にあり得ない事象をいくつも見せられてきた。ただそれをユリィはなぜか気にしているようで、むしろかわいいなと思った。



 洞窟内部には、はるか昔に採掘が行われたときに設置された朽ちかけのトロッコ用レールがある。ずれた枕木に足を引っ掛けないよう、気をつけてジェイクはユリィの後に続いた。


 ユリィの腰には短剣とは別に長い剣が装備されていた。更に太腿にはホルスターが巻かれて細長い筒がいくつもあった。


「いっぱい装備してるね。かっこいい」

「えへへ、そう?」


 ユリィは先ほどのレストランではふわっとしたスカート姿だったのに、今は体の線が出るパンツ姿に多くの武器を装備している。ジェイクは何気ない感想を口にするが本当は、細く引き締まった腰と続く優美な曲線に見入っていた。


 ――ユリィは僕のこといつまでも子供だと思ってるから絶対言わないけど。


「あっ!」

「えっ?!」


 急に大声を出して振り返るユリィに、心でも読まれたかとジェイクは戸惑った。


「ねえ! これ……何ていうモンスターだったけ?」

「ああ、桃粘蠍ピトゥラーダだよ。害はないし、食べられるらしいよ」


 ジェイクはユリィの指差す壁面を見た。ピンク色で毛の生えたモンスターが張り付いていて、すぐモンスター図鑑の情報と、8年前にも見たことを思い出した。


「そうそう! 今日はこれ、連れて帰ろうね。食べてみたいとずっと思ってたの」

「……これを?」


 自分で食べられるとは言ったもののジェイクは食べたいとは思わなかった。もっとおいしそうなものをユリィの牧場でいくらでも生産している。


「ものは試しってね。角切りにしてレモンでもかけたらおいしそうじゃない?」

「うん、そうかもしれない」

「……ひとりで試食して、おいしかったらジェイクにも分けるから、安心して」


 ふふっと笑ってユリィは再び歩き始めた。無理して同調したのがばれてしまっていたかとジェイクは反省する。


 またしばらく進んでからユリィは足を止めた。


「三叉路に着いたよ」


 ジェイクには暗くて見えないが雰囲気ではそうかもと思った。


「ここは子供のとき、真ん中に進んだから……」

「左に行く?右?ジェイクが選んで」


 ジェイクは耳を澄ませた。左から風の音が聴こえていた。ユリィに守られてばかりだからこそ、選ぶとしたら安全な道を選ぶ。


「左にしよう。外に繋がっていそうだから」


 ユリィの望みなので洞窟に入ったものの、子供の頃より多くの知識を蓄えたジェイクは心配が尽きなかった。モンスターはユリィの敵ではないけれど、無味無臭で有毒なガスが溜まっている場合もあるし、落盤の可能性もある。外に出られる方が良い。


「なるほど?」


 ユリィは足を踏み出し、小さな水溜まりの水が跳ねた。地下水が染みでているようだ。


「あ、ごめんね。かかった?」

「ううん」


 左側の道にはレールが敷設されていなかった。ただ天井が徐々に高くなり、声が反響する。


「この道は人間が掘ったのじゃないかもね。壁にノミの跡もないし。天井も高すぎる」


 ユリィは滑らかな壁を撫でて呟いた。発した声はぐるぐると回るように上へ響いていく。


「水で削られたか、モンスターが掘ったのかも」


 ジェイクも響く自分の声に笑いそうになる。


「キャッ!!」


 突然のユリィの悲鳴にジェイクは前に飛び出た。何かはわからなかったが。


「ま、待って……ごめん。危なくはないの……気持ち悪いだけ」


 ジェイクは後ろから抱き着かれ、何か柔らかい感触にどぎまぎした。こんなこと考えてる場合じゃないと、行く先の壁をランタンの光にかざす。


 そこにあったのは、無数の人間の手形だった。


「うわ……すごい」

「ねえこれ何?! ここに誰か閉じ込められてたの?」

「いや……これは何かの染料だから、わざわざ付けてると思うよ」


 ジェイクは注意深く観察して、手形にも大小のサイズがあるなと思った。複数人で染料まで用意してるのでこれを残した彼らには儀式的な意味があったのだろう。


「そうなの?」


 ユリィはまだジェイクの腕に抱きついてジェイクと一緒に壁面を眺めた。どんなモンスターも、人間も虫も何も怖がらない彼女が初めて怖がっている。しかも自分を頼っている状況はかなり嬉しいものだった。


「うん、古代の文化だよ。ここで傷ついた人はいないと思うよ。大丈夫」

「そうなんだ……あっ、ごめんね」


 するっと腕が解放される。誰かが傷ついたことが恐怖なのかとジェイクは彼女の優しさに改めて、長年の気持ちを確認した。


 空いた手が、ジェイクが意識するより早くユリィの頭に伸びていた。冷たい髪の毛は触れただけで滑り落ちそうな滑らかな感触で、何度も手を往復させて撫でる。


「そんな……ジェイク」

「た、たまにはいいかなって」


 ユリィの口調は怒ってるものではない。驚き、どう反応したらいいか困っているようだった。考えてみるとジェイクも初めてユリィの頭を撫でた。


「大人になったね」


 照れ笑いを浮かべるユリィの顔をジェイクは再び大事に記憶に留めた。大体の良い記憶は彼女と共にある。


 更に先へ進むと、予想通り外へ繋がっていた。久しぶりの空を見上げると、高い崖に切り取られた夜空が見えた。崖に囲まれた場所だった。


「この匂い……温泉じゃない?」


 嗅覚も相当敏感だというユリィが何かを嗅ぎ付けた。温泉は、ジェイクは文献でしか知らないが、確かに卵の腐ったような匂いがした。足元の白い岩石が黄色く染まっている。


 甲高い鳴き声がいくつもする方向、湯気が立ち上る小さな窪みに、縞模様のモンスターが何匹も浸かっていた。ジェイクの膝下くらいの体高のモンスターで、丸い胴体の割に細い足の力は弱く、危険はない。


縞獺犬クボリリだね。水辺に住むとは図鑑にあったけど」

「温泉に浸かっててかわいいね!」

「うーん、こんなことするんだ」


 湯気が上がってることから温かいだろうとは思ったが、ジェイクは怪しげな泉に感じた。


「いいなあ気持ち良さそう」

「危ないよ、人間には毒かも」

「そうかな……そうかも」


 湯に浸かる縞獺犬クボリリをユリィは残念そうに見つめた。


「でもここ、こんな風になってたんだね。来れて良かった」

「うん。僕もそう思う」

「今がずっと続けばいいのに」


 それには同調できずジェイクは口をつぐんだ。無理をしてまた見抜かれたくはない。ジェイクとしては、ユリィにきちんと告白出来るようになりたかった。

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