第2話 初恋

「本当にごめんなさい……」


 ユリィは結局立ち上がれないままだった。恥ずかしさと情けなさで身の置き所のない気持ちのまま、アミルと名乗った少年とジェイクに両肩を支えられる。


「大丈夫?病気とかの発作?」

「病気じゃないです」


 アミルの乗ってきた白馬に担ぎ上げ、三人で帰ることになった。


「ユリィ、多分さっきのはあんまりやったらいけないんだよ」


 石ころを宝石に変える謎の力。体に負担がかかるのは当然と思われた。驚いてしまって、止めるのが遅くなったことをジェイクは悔やんだ。なるべく小声で言うが、アミルに聞こえない訳がない。


「……ユリィとジェイクは仲良しなんだな」


 しかしアミルは特に何も聞かずにそれだけをひとりごとのように呟いた。白馬は助走ののち、夜空へと駆け上がった。翼もないのに空を飛ぶその違和感をユリィだけが抱えていた。



 ユリィの家まで送り届けた頃にはゆっくりなら歩けるまでに回復していたので、戸口で別れる。アミルと二人きりになってから、ジェイクは尋ねた。


「もしかして、ファリードさんのご子息ですか?」


 ジェイクにはアミルについて心当たりがあった。確か今日から、自分も少し関わった、紅珊瑚の買い付けにルサーファの宝石商ファリード氏が来ていると聞いた。


「ああ、よく分かったね。君のお父さんが商人とか?」

「いいえ。父はもう亡くなりました。僕の母が紅珊瑚の群生地を海で発見して、宝石を商う人に話を通しました」

「……お父さんはお気の毒に。君はまだ小さいのに偉いね」


 アミルは目を見開いたり、眉を寄せたりと忙しく表情を変えて迷いながら何とか言葉を絞り出す。その様子をジェイクは凪いだ気持ちで眺めた。


 ジェイクは父を亡くし、幼くしてその仕事を引き継いだ。王都に村の農作物を卸す仕事だ。その傍らで、亡父の友人の商人達の色々な商売を手伝っていた。


 そうして紅珊瑚が現在高値になっていると耳にしたのだ。紅珊瑚は、母であるハンナが貝などを捕る際にいつも見ていると言っていた。


「僕もユリィも、色々あって片親となってしまいましたからそれぞれ出来ることは何でもしないと……」

「そうか。また明日もここに来るから、続きは明日だ」

「え?」


 頭ひとつ分は身長差のあるアミルに両肩を強くつかまれてジェイクはたじろいだ。


「何て言うかさ……。さっき、君たち二人が手を繋いで歩いてるのを見て、すごくいいなって思ったんだ。俺に出来ることなら何でもするよ。兄だと思ってくれたら嬉しい」

「僕は自分でなんとかするから……」


 間近で見るアミルの顔は、男だとはっきりわかるのに美しいものだった。市場の大人達にいつも女と間違われるジェイクは羨ましく感じてしまう。


「どんなに完璧な人間だって、ひとりじゃ生きていけないよ。君も、あの子も。それにまだ小さいんだ。俺に気を使う必要はない」

「……うん」


 もやもやとした気持ちがなければアミルはいいやつなんだろう、同性の友達ってこんなものなのかな、とジェイクは思った。負けたくないと自分を奮い起たせる存在。それに、ユリィの為になるのなら、この人の力も借りなければならない。


「じゃあ、アミルは今日から友達」

「ありがとう。俺、友達いないから嬉しいよ」


 嘘偽りのなさそうな笑顔を見せるアミルに、ジェイクはつられて笑った。こんなに堂々としているアミルに友達がいなそうには見えない。


「おい、疑ってるな?本当に俺は、ルサーファで友達いないよ。でもこっちの国だと何となく過ごしやすい」

「変なの」


 ジェイクも村にユリィ以外子供がいないので、友達はいない。男同士の、そして妙な気安さにくすくすと笑った。5歳上のアミルだが、転生者のユリィより精神年齢が近い。初めてまともに子供同士のコミュニケーションをしたのだった。



 翌日、ジェイクは王都に農作物を卸し次第大急ぎで村に戻った。アミルはユリィの畑仕事を手伝っていた。


「ジェイク!おかえり!」


 朝も会ったが、ユリィはすっかり元気を取り戻していた。いつもの飛ぶような速さで駆けてくる。


「ね、アミルがお菓子くれたから3人で食べようよ、お茶入れるね」

「お菓子……」


 とても嬉しそうにユリィは言う。ジェイクも甘いものが好きだが、ユリィはそれ以上に好きだと知っている。あまりに好きそうなので、ジェイクはたまに市場の大人からもらった菓子などをユリィに全部あげたくなるのだが、「ジェイクが食べて」と断わられケンカにもならないケンカを何度かした。


 アミルはどうもお菓子でユリィを釣ったんだなと思った。自分が仕事に行っている間にかなり仲良くなっていた。


 ユリィの家に入り、大木を輪切りにしたテーブルを3人で囲う。


「これ、4個あるんだけど……」


 アミルは包みを広げて、彼の手のひらに載るサイズながら重量感のありそうな菓子を見せた。薄黄色の表面には複雑な模様が刻印されている。


「じゃあ切り分けるね」


 ユリィはナイフを持ってきて、丸い形の菓子の上に当てがい、動きを止める。


「うーん、3等分……?」

「ユリィ、こんな感じで」


 ジェイクはテーブルに指で線を描く。それをユリィはYの字だなと思った。


「あっ、なるほど。流石ジェイク」


 照れ笑いを浮かべてユリィはその通りにする。内心では自分のばかさ加減にあきれていた。彼女は前世で一人っ子であり、菓子は全てひとり占めしていた。


「そういえばこのお菓子、それぞれ味が違うから全部切った方がいいかも」

「わかった」


 アミルはそう教えてからそっと息を吸った。


「ところで、昨日の夜のことを聞いてもいい?」


 ジェイクはユリィと目を見合わせる。その瞳に警戒の色はない。


「ジェイク、私は言ってもいいと思うけど……」

「ユリィがいいならいいよ」


 そうして異国の菓子を食べながら、ユリィの石ころを宝石に変える力について話し合った。昨日は力を使いすぎて疲れてしまったらしい。


 呼び方はユリィが自分で『発掘』と呼びたがるので、そう決めた。ジェイクはそれは石ころだけにはとどまらないのではと思い付く。


「ユリィが切ったりした食べ物も魔法がかかるんじゃないかな?だからユリィってすごく強いのかも」


 全員が菓子を食べ終えた皿を見つめた。ほんのわずかな欠片がその名残を示している。


「ちょっと、外に行ってみる?」


 ユリィの提案で外に行って走ってみると、ジェイクは今までにないほど速く走ることが出来た。面白くてしばらく3人で駆け回っていた。



 更にユリィが『発掘』した宝石は、宝石商であるアミルの父に正規の値段で買い上げられユリィは大金を手にする。


 ユリィの明るい未来が確約されたようでジェイクはとても嬉しかった。もうこれで生活に困ることはない。念を押すようにアミルは、今後の宝石の買い取りにとこの国に住む叔父のポンさんという人物と、王立図書館への秘密の入り口を紹介してくれた。村に学校がない為ジェイクとユリィの勉学を心配してくれてのことだった。


 幸い、ユリィが幼い頃から文字の勉強を始めていたのでジェイクも文字については完璧だった。これでいくらでも勉強が出来ると二人で喜んだ。


 その頃にはジェイクはすっかりアミルのことが好きになっていたし、ユリィがそうなるのも当然だと思っていた。


 しかし、頼もしく優しく、美しい顔をした少年は風のように自分の国へ帰って行った。また来年の春休みに来るからという儚い約束だけが残った。



 王都の市場で仕事を終えたジェイクはここ数日と同じく急いでユリィの家に寄った。アミルの乗る船の出航には二人とも仕事で立ち会えない。それぞれ村で別れを済ませていた。


 畑の隅にある出荷用の木箱にユリィがひとりで座っているのを見つける。昨日までアミルが手伝っていた広い畑は再び、彼女ひとりの世界になっていた。


「ユリィ……」


 その横に腰掛けたジェイクはかける言葉もなく、ただ名前を呼ぶ。ユリィの目元には泣いたような跡が見えた。


「仲良くなった人がいなくなっちゃうのは寂しいよね」


 ぽつりとユリィが漏らす。ジェイクは胸が締め付けられるようで、ユリィのスカートの上に置かれていた彼女の手に自分の手を重ねた。突然、彼女の孤独に触れた気がした。


 軽く握られていたのもあるが、自分よりずっと小さな手だった。どうして大きく感じていたんだろう。どうして、強いだなんて思っていたんだろう。


 あの夜から、ユリィに触れても甘い陶酔はもう感じない。代わりにもっと激しい感情の波が、揺れて心を掻き乱した。笑えば嬉しくて、悲しそうならどうしたらいいのかわからなくなる。


 ――守ってあげたいのに、僕の力じゃ何も出来ない


「ジェイクも寂しいよね」


 悔しくて溢れてきたジェイクの涙を見て、ユリィはハンカチを取り出し、微笑んで優しく拭った。


「もう、そんなに泣いて……」


 すっと手が伸びてきて、頭を撫でられる。物心ついたときから繰り返された行為は魔法のようにジェイクの心を宥める。自分がつらいときは必ずユリィが傍でこうしてくれた。何度も、何度も。じゃあユリィがつらいときは?


「ユリィ、ごめんね……」


 掠れた声でそれだけ繰り返す。ずっとずっと好きだったのに、もう言えなくなってしまった。本当に好きになったから。

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