幼なじみが強すぎて好きと言えない話
植野あい
第1話 始まりの夜
「ジェイク、ジェイク」
その夜、既に眠っていたジェイクは、窓の外から聞こえる小さな声にベッドから跳ね上がった。
特別な感情が湧きあがる。ユリィだ。一気に体が熱くなる。ジェイクは急いで窓から外気を防ぐ木枠を外した。貧しい農村の家にガラスなどという高級品はない。
小さな窓から、杏色の髪と特徴的な赤い瞳が覗いた。村に歳の近い子供は彼女しかいないが、ジェイクはその姿を世界で一番かわいいと思っていた。彼女の瞳は挑むように細められる。
「ジェイク、すぐに着替えてお母さんに気づかれずに出てきて」
優しい声色ながら、有無を言わせない命令が下った。夜中の突然の訪問であってもジェイクが断るなどユリィは考えもしないし、ジェイクも想像すらしない。
「うん、今いく」
それどころかジェイクは命令され、達成することに喜びを感じる。慌てて着替えを始め、靴を履く。
生まれたときから一緒に育ち、共に7歳を迎えた。活発な性格で成長が早いユリィは、ジェイクにあれこれと指示をしがちであったが、親達は男女差かと特に気にしていなかった。女の子は小さくてもしっかりしていると村の老人たちがよく言っていたからである。
しかしユリィは、全く別の世界で生きた記憶を持ったまま転生した、中身は大人の女性であった。
だからユリィとしては、ジェイクを可愛がっているつもりなのだった。ジェイクを栗色の大きな瞳とふわふわの髪の毛を持つ愛らしい天使で、守るべきものと思っていた。
前世では弟などいなかったので、どう可愛がるのか良くわからずに命令してしまう。言えば大体何とかするジェイクも良くなかった。
互いの愛情のずれは、体の成長と共に大きくなった。ユリィもジェイク自身も気づかぬままに歪みは進行していた。
ジェイクは軋む床板の、音の鳴らない箇所を覚えている。就寝中の母に気づかれずに外に出ることに成功し、ユリィの笑顔に迎えられる。
「よく出来たね、えらい」
ジェイクは胸がひどく高鳴った。
「どこに行くの?」
「ちょっと北の山まで。一緒に行こう」
「うん!」
子供だけで村の外へ出てはいけない。危険なモンスターがいるから。といつも言い聞かされているルールも、ユリィが行くという言うのなら、ジェイクは迷うことなく付いていく。大体のモンスターは彼女の敵ではない。ユリィは、大人の男性より遥かに強かった。モンスターにとりつかれている等の噂もあったが、ジェイクは恐れてはいない。
ふと見るとユリィの腰のベルトにはハンマーが挟まれている。それでもジェイクはおかしいこととは思わなかった。そこには普段から雑草を刈るための鎌などが装備されていたから。
「あ、このハンマーは、ちょっと試してみたいことがあってね」
「そうな……わあっ!」
視線に気づいたユリィが説明してくれたが、茂みから素早く動く影が飛び出してジェイクはユリィに抱き着いた。
「もう、仕方ないなあジェイクは。怖くないよ。あれは小さなモンスターだから」
「そうなの?びっくりした……」
「どこか行っちゃったね」
笑って手を握ってくれる手の温もりにジェイクはうっとりと陶酔する。
――ユリィは僕にいつもこんなに優しくしてくれる。それって僕を特別に思ってくれてるから?
頼もしい彼女に守られ、二人は月と星の明かりを頼りに川に沿って暗い道を歩いた。
流れの穏やかな川には星が映り込み、捕まえられそうにジェイクは思った。
このとき、ユリィの心には哀愁や、郷愁といったものが浮かんでいた。精神的には大人であるからこそ、現在の状況に対する不安があった。
電気もガスも水道も社会保障もない中世程度の文明に突如放り出された。それは日本人である彼女にとって耐え難いものだった。
頼れるのはまだ小さな自身の肉体のみ。それも一瞬気を抜けば終わってしまう危険と隣り合わせだった。寄る辺ない浮草のよう、と川の流れに自身を重ね合わせていた。
それでも、無邪気なジェイクかわいがることでどうにか心を強く保っていた。
ふと互いの目が合い、どちらからともなく笑い合う。ジェイクは寂しそうなユリィに気付いていた。いつも一緒にいるので会話がない時間の方が多い。そういう時にユリィはどこか一点を見つめては、寂しい表情をする。
僕が隣にいるのに、手を繋いでいるのに、どうしてとジェイクは何度も繰り返した質問を飲み込んだ。聞いてもユリィは絶対に答えない。だからもう聞かない。ただぎゅっと繋いだ手を前後に大きく振った。そうするとユリィが笑ってくれるからだ。
なんとか目的地の北の山の麓に着いたジェイクは息も絶え絶えになり地面に手と膝をつけた。
「ねえ、ユリィ……今日いつもより更に歩くの早くなかった……?」
ジェイクは途中から、引き摺られるようにユリィに付いてきた。
辺りは白っぽい岩や岸壁に囲まれている。月光を反射していて、妙に明るい場所だった。王都の城壁の採石場だったんだってと道すがらユリィが話していた。
「ごめんごめん。ジェイク、見てて」
ユリィが自身の拳大の小さな石をたくさん拾ってきて、目の前でハンマーを打ち付ける。それほど力を入れたようには見えなかったのに、石は真っ二つに割れたかと思った刹那、金色に輝く石が飛び出たのだった。
「え?!」
「すごいでしょ?」
ジェイクは今見たものが信じられなかった。いくら7歳でもそんなことはあり得ないと思うくらいには世の中を知っていた。飛び出た金色の石は、父の仕事場に付いていって、遠くでやり取りを見た金貨と同じ輝きに見えた。
しかしユリィは次々と石を運んできては、金や様々な色の石に変えていく。ジェイクが見たこともない色合いのものだった。
「すごいでしょ?これいくらで売れるかな?」
「う、うん。すごいよ。どこで売ろう……」
ああ、やっぱりユリィは特別な女の子だったとジェイクは実感した。どこかこの世のものではない雰囲気がいつもしていた。
「何やってるの?」
突然会話に混ざるように、少し離れたところから声がかかった。ユリィとジェイクが弾かれるようにそちらを見ると夜目にも鮮やかな白馬に乗った少年の姿が認められた。ユリィと目を合わせるが、彼女は少しだけ緊張した面持ちでハンマーを握ったまま動かなかった。
「君たち、村の子だろ? こんなとこまで来て危ないよ。気になって追いかけて来たんだけど……」
馬を降りた少年は、敵意がないと表すように両手を胸の前に広げてゆっくり近付いてくる。ジェイク達よりいくつか歳上に思えた。頭ひとつ分は背が高そうだ。
近くまで来ると少年の整った容貌が明らかになった。凛々しい眉毛のすぐ下にある、青みがった灰の瞳は今出現した宝石より不思議な魅力がある。滑らかな褐色の肌はこの辺りでは珍しく、ルサーファ国の人間かと思われた。
ルサーファ、というとジェイクには思い当たる節があった。しかし少年は辺りに散らばる宝石を見て肩をすくめた。
「それ……君たちの?取ったりはしないから見ていい?」
少年はちょっとした好奇心だったのだろう。何気なく近寄った。ユリィは石を割るために地面に膝をついていたので、目前まで少年の靴が迫り流石に立ち上がろうとした――のだが、バランスを崩して倒れそうになる。
「えっ……きゃっ?!」
ジェイクは少年に抱き止められるユリィの姿に血の気が引いた。周りに同年代の子どもが誰もいなかったので、嫉妬心とは無縁に育った。
「ご、ごめんなさい……わざとじゃないんです……」
「大丈夫? つかまって」
足に力が入らず崩れ落ちそうになるユリィを、少年は笑って更にしっかりと支えた。見る間にユリィの顔が赤くなっていく。ジェイクとの間では一度も見たことのない、何か知らない表情だった。
腹の底が燃えるように熱く、それでいて体が冷える。初めて覚えた嫉妬の感情だった。
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