第2話 プレゼントの話
「あれ、起きたんだ」
娘が私のエプロンをかけてリビングに入ってくる。夫が口を開く。
「どこ行ってたの?」
「彼氏と電話してたの」
キッチンで派手な音がした。夫が慌てて皿を手に取る。
「へ、へー」
随分上ずった声で言うものだから笑ってしまう。娘は夫の横に立ち、夫の手から皿を奪い取った。手際よく皿についた泡を流していく。戸惑いを隠せていない夫はすごすごとそこを去り、タオルで皿を拭きだした。
「今度連れてくるね」
「連れてきちゃうの」
「あれ、だめだった?」
「え、だって、ねえ」
「まあ、嘘も方便だよね」
「ん? ん? どういうこと?」
「さあ?」
私の顔を見てくるものだから私は顔を背ける。「え」とまた戸惑う夫がいじらしく思えてくすっと笑う。「リア充してんな」と娘が毒づく。
片付け終えた娘がお茶を淹れる。今日のお茶はほうじ茶だ。この温もりがちょうどよい季節になってきた。香ばしさが鼻を抜ける。柔らかな舌触りが喉をゆるりゆるりと通っていく。胸の中、お腹の中、すべてに浸透していく。
「お茶の匂いする」
義兄がリビングに入ってきた。まるで見えているかのように行動するものだから、うっかり見えているものだと勘違いしそうになる時がある。真っ直ぐダイニングテーブルまで歩いてきて定位置の椅子を引く。迷う様子も全く見えない。ゆらゆらと手を揺らす様子が金魚が泳いでいるような涼やかさを醸し出している。中指の先に当たった湯呑をすっと手前に引く。一連の動きをこの十数年見ているが飽きない。
じっと義兄を見ていたのが気に食わないのか、夫がつんつんと私の肩をつついてきた。自分の肩を指さし私に背を向ける。私が呆然としたように言う。
「主賓になんてことを」
「もう主賓タイム終わり」
にこにこしながら言ってくるものだから、仕方ないとばかりに頷くしかなかった。手を伸ばして凝りに凝った肩を揉みほぐしていく。こりこりと肩の中の塊が動く様が面白くてつい力を入れてしまう。いてて、という夫の悲鳴はいつものように流していく。毎日のようにやっているマッサージに郷愁を感じてしまうのは何故なのだろう。遠い記憶を手繰り寄せようとしてやめる。きっと意味のないことだし、私にとってその事柄はもう終わったことなのだ。今更、という想いが少なからずあった。
「お義兄さん、やってあげようか?」
娘が義兄に声をかける。湯呑を持った義兄が首を振る。
「気持ちだけ貰っておくよ」
娘は伸ばしかけていた手を引っ込めてお茶を飲み始めた。
「元主賓。今宵のご感想を」
義兄が私に話しかけてきた。私は夫の肩から手を離し椅子に座り直す。咳払いをして口を開く。
「率直に楽しかった」
三人の安堵の声が漏れた。
「ご飯もお酒も美味しかったし、たくさん飾りつけもしてくれて、色んな人が来てくれて、プレゼントもくれて、嬉しかった」
サイドテーブルに置かれていたプレゼントの山を眺める。綺麗な包装紙に色鮮やかなリボンという取り合わせに心が躍る。この山を崩すのは明日と決めている。今日は楽しかったけれど疲れてしまった。眠気が背後でゆらゆらと揺れている。ふう、と息をつくと、夫が顔を覗き込んできた。私は口元を上げた。心配そうに見てくるから肩をすくめておどけたようにして見せた。
「あー、プレゼントなんだけどさ」
娘が口を開く。
「プレゼント?」
家族からのプレゼントはこのパーティーの開催そのものだと思っていた。パーティーをしてくれた上にプレゼントなんて、そんな、そんな。首と手を振って遠慮する。
「悪いよ。そんなお義兄さんにも用意してないのに」
「俺の誕生日もっと先だからね」
義兄がそう言ってお茶を飲む。夫がきらきらした目で義兄を見る。
「じゃあ、兄さんの誕生日プレゼントはあれにしよ」
「どれ」
「ラジオルーム」
「作ってどうするの」
「僕のための番組を作る、とか?」
「そろそろ君は俺から自立しなさい。何歳なの」
「五十……五」
わかりやすくしょげている夫に、義兄が「雰囲気青くなってるよ」と面倒そうに言う。夫にとって義兄は親代わりだと聞いていた。早くに両親を亡くしたらしく、夫の世話を両親に代わって見ていたのが義兄だったという。今でも義兄の後を付いて回るものだから、家族全員で「ブラコン」と言っていじっている。
空になった湯呑を手が掠め取っていく。手の主は娘だった。少し荒れた手が私に似てきているような気がした。
「プレゼント、あなたの旦那さんに預けてるから」
キッチンの流しに立ってさっと湯呑を洗ってくれた。エプロンを手早くとって椅子の背の部分にかける。義兄が娘に手を伸ばす。娘が義兄の手を取る。
「自分で行けるでしょ?」
「偶には若い子にエスコートされたい」
「セクハラ発言だ」
「なんでもかんでもセクハラって言うのよくない風潮だと思う」
手をつないで喜んでいる義兄と如何にも面倒くさそうにしている娘に私たちはお休みなさいと声をかけた。
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