第3話 女の話

 彼女、美由紀と本格的に交流を始めたのは火事の後だ。暇つぶしになるかと思って、手紙を送ったのが最初だ。思いのほか退屈を紛らわすことが出来た。何通も何通も彼女に手紙を送っては彼女から来る返事に満足していた。


 強烈な殺意、殺せない葛藤。


 あまりにも美しくて、何度でも読みたくなって手紙を送った。挑発するようなそれはナナカマドなりの甘えだった。


 ごめんと謝れば、殺したいと来る。

 殺してと言えば、殺さないと来る。


 彼女の存在を確かめては、己の存在も確かめる。美しい筆記は、些か暴力性を含んでいた。そこにまた色気を感じた。清潔と言うには度が過ぎているほどの白に包まれた部屋でナナカマドはその交流を楽しんでいた。

 そして彼女は呆気なく消えた。残ったのは彼女の手紙とナナカマド自身の手紙、同封されていた真っ赤なナナカマドの実と葉。火事で焼け残った赤いかんざしだけだった。




 真っ赤な実と葉、赤いかんざしを持って大学に入った。凡人は十八くらいになったら大学という教育機関に入るらしい。同年代が何をやって暮らしているのか観察することにした。

 ナナカマドは美由紀と名乗った。特に意味があったわけではない。違う誰かを演じることで少しばかり退屈しのぎになるのではないかと思ったからだ。

 彼女を演じるのは全く苦ではなかったし、まわりの凡人たちはすんなりそれを受け入れた。拍子抜けするくらいだ。こんなに人は騙されやすいのかと目を疑ったくらいだ。

 それでも凡人たちはナナカマドを敬遠した。しかし取り巻いていた。彼がそこにいるだけで、ほぅ、とため息をつかれた。そのため息に懐かしさを覚えた。ナナカマドを見た人達はだいたいその姿に目を細めていた。眩しそうに口元を綻ばせて、あるいはもの珍しげにまじまじと、芸術品を見るかのように一様にため息をついていた。白い部屋に入ってからあまりつかれることのなかったため息に一抹の懐かしさを感じた。いや、懐かしさというより事象に関心を覚えたといったほうが正しい。


 彼女に出会ったのは何かの運命だったのかもしれない。ゆい、と彼女は名乗った。同い年のゆいは茶色の柔らかそうなボブを揺らして彼の前に立った。ラジオ局でバイトをしていて、将来はラジオの仕事に就こうかと思っている、と言っていた。穏やかな春を連想させる笑顔にはしたたかさが隠れていた。

 何度か食事を共にした。何度か夜も共にした。

 ゆいは穏やかだけど秘めたる狂気を持っている。

 ゆいは親切だけれどそれを打算的にやっている。

 彼女にナナカマドと呼ばせていたせいで美由紀と呼びそうになった。美由紀に会ったことなどただの一度もないのに。

 ゆいと出会って少し経ったときか。話していて気付いたことがあった。


 欲に従順になった人間の争うさまが見たい。


 その欲が自分に向いたものだとしたらなんと素敵なのだろう。あの猫のような目が多く集まって、自分に向いたとしたら。考えるだけで身震いした。あまりにも興奮した。人生が暇つぶしなら、もっと楽しんで、ぐちゃぐちゃにしたい。それがナナカマドの純粋な欲求だと気付いた。




 偶々だった。ゆいに誘われるまま、わけのわからない宗教に入信した。教祖と言われる男はナナカマドを見た時、強く頷いた。待っていた、とでも言うようだった。いつの間にか教祖の右隣の席に座らされていた。教祖の言っていることはまったくわからなかったけれど、とりあえず頷いていた。ゆいと教祖は効果的にナナカマドをそれの広告塔に仕立て上げた。

 まず中高年の女性が釣られてきた。その年齢層は大抵懐事情が暖かいらしく、多額の寄付金なる物が転がり込んできた。次に情報の早い若年層が釣れた。ナナカマドが少し微笑むだけで、彼らはうっとりとした。そして心の底からその宗教を信じるようになっていた。教団の懐事情が潤ってきた頃、教祖がナナカマドに教祖の地位を譲ると言ってきた。最初は遠慮の真似事をした。結局は引き受けた。そのあとの教祖の行方は知らない。ゆいがただ隣で微笑んでいるだけだ。

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