第4話 最後のページの話

 扉が開いた音に気付かなかった。

 「あっ」という母の声でようやく二人が帰ってきたことに気づいた。振り返るとおめかしした母と康孝さんが立っていた。康孝さんのネクタイは私と母が選んだニットタイ。えんじ色が効いている。やっぱり似合うな、と思う。


「そのドレス」


 はっとして下を向くとサテンが上品な輝きを放っていた。


「箪笥の中探ってたら、出てきて、さ」


 言い訳がましく言う自分がおかしくて、下を向くしかない。


「って言うか、デートして来なかったの?」


 話題を逸らすために二人を追及する。


「だから、この辺をぶらっと」

「近所ぶらってただの散歩じゃん」

「えっと、散歩デート」

「そうやってなんでもデートつければいいみたいな、そういうのどうなんですか。いいんですか」


 ぐっと詰まる母をしり目に康孝さんは相変わらず穏やかな笑みを浮かべていた。一人だけ余裕ぶって、まったく。そうはさせるか。


「康孝さんも、この前また出世したんでしょ。羽振りいいんだから銀座でも六本木でもディナーに誘うみたいなことは思いつかなかったの?」

「まだ給料出てないんだけど」

「そういう問題じゃないでしょ」

「そこまで羽振りも」

「よくないなんて言わせません」


 ぐっと詰まる。


「で、お兄さんには挨拶してきたのね」


 小さく母が頷く。康孝さんが母を見て微笑む。どうして今まで結婚しなかったのかなあ、と思う。付き合ってもうかれこれ十何年になるのだからタイミングは何度もあったはずだ。今更言っても仕方がないことなので詮索はしないが、疑問ではある。ま、解決しなくてもいいし、二人がそれでいいと判断したのなら別にいいか。


「結婚式は?」

「迷ってる」

「するかしないか?」

「うん」

「でも」


 そこで康孝さんが口をはさむ。


「してもいいかもね」

「え?」


 母が康孝さんの顔を覗き込む。康孝さんが私を見る。優しく、温かく、穏やかに。それは明らかに娘の成長を喜ぶ父のような顔で。この人をこれからはお父さんと呼ぶのだろうかと思うと、なんとなく変な気がした。まあ、呼べないだろうな、と再確認する。


「みどりちゃんのドレス姿見て、思った」


 母も私を見る。眩しそうに、嬉しそうに、幸せそうに。


「確かにね」


 よく似合ってる、と言ってくれた。そうかな、と照れると二人が私の頭を同時に撫でてくるものだから、髪の毛がぐしゃぐしゃになる。


「六月」

「え?」

「六月に結婚式しなよ」


 母がにっこり笑う。


「ジューンブライドね」


 うん、と頷く。


「幸せになるって言うじゃん」


 うふふ、と二人で笑うと、まざれないことを不服に思ったのか、康孝さんが二人の顔を見比べている。

 結婚式、このドレスを私は着ていくのだろう。

 母の愛するピンク色。外のピンク色はもうそろそろ開き始める頃かな。



三月二〇日木曜日 天気:快晴


 随分長いこと止めちゃっていました。ごめんなさい。

 今片付けをしています。引っ越しをするからね。引っ越し先は康孝さんの実家。お兄さんと康孝さん、お母さん、私の四人家族になります。ようやくというか、今更と言うか。なんだか変な気分です。

 康孝さんと結婚おめでとう。幼いころから康孝さんは一緒にいた人だし、お父さんだと思ってた時期もあった。お父さんって呼んじゃったこともあるし。でも本当の、というか、亡くなったお父さんが私のお父さんなのであって、康孝さんは康孝さんなんだよなあ。今度からお父さんって呼ばなきゃいけないのかな。慣れないなあ。多分呼べないと思うんだよね。名前で呼ぶの慣れちゃったしさ。だめかなあ。若干複雑。あれだよ、複雑な乙女心ってやつ?(笑)何しろ、康孝さん意識しちゃってた時期とかさ! あったわけよ! 春の目覚め、みたいな。思春期、みたいな。第二次性徴、みたいな。今から思えば懐かしいんだけどさ。なんつって。何言ってるんだかね。

 結婚式はいつやるの? 六月がいいと思うんだよね。ほら、ジューンブライド。お母さんが教えてくれたやつ。あけみ姉さんの結婚式を思い出すよ。すごく綺麗だったなあ。白いウェディングドレス。康孝さんが白いタキシードでさ。すごくお似合いのカップルって感じになると思うんだ。どこかの国にいそうな王子様とお姫様、みたいな。それにしては年が行き過ぎてるかなって言ったら怒りそう(笑)でもお母さんのウェディングドレス見たいから、やってね。私はお母さんが着てたドレスで参戦するから! 覚えてる? あけみ姉さんの結婚式でお母さんが着てたピンク色のやつ。楽しみにしててね!

 お母さん、私、

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