第2話 少し過ぎたページの話

五月一日 日曜日 天気:快晴

 

 今日はとなりのあけみお姉さんが若い男の人を連れてきました。けっこうかっこよかったけど、なんで桃太郎ってよんでいたのかな。お母さん、何でだと思う? そう言えば今日ってやすたかお兄さん来る日じゃなかったっけ。ちょっと気になったので書いちゃった。お仕事でもあるのかな。この前いそがしいって言ってた気がするし。

 ねえねえ、お母さん、あけみお姉さんのけっこん式行くよね? 六月って言ってた気がするんだけど。どうするの?

 答えまってまーす。




五月五日 木曜日 天気:雨


 ちょっとおそくなってごめんね。あれはびっくりしたね~。あけみお姉さんがお嫁さんかと思うとなんか、お母さんおどろいちゃった。だんなさんもかっこよかったね。あのネクタイとかおしゃれだったよね。

 今日はこどもの日だからちまき買ったんだけど、食べなかったね。あんまり得意じゃなかったかな? どちらかというとかぶとづくりに熱中してたね。みどりはお母さんとちがって手先が器用だからうらやましいなあ。

 六月にけっこんすると幸せになるって知ってる? ジューンブライドって言うんだよ。みどりもけっこんする時は六月にするんだよ(笑)みどりのお嫁さん姿見たいなあ。

 けっこん式どうしようね。まだまよってるんだよね。行きたい?

 



五月七日 土曜日 天気:くもり


 お母さんも思った? あのネクタイ良かった! やすたかお兄さんにも買ってあげようよ。ぜったいかっこいいって。

 んー、ちまきあんまり……。かぶと作るのは得意だよ(笑)

 へー、知らなかった。私もけっこんする時は六月にすることにする! 楽しみだなあ。そう言えば昨日やすたかお兄さんのお兄さんに会ったよ。ちょっと川の土手によりみちしちゃったとき。お兄さんが川の土手にいてね、「危ないですよ」って言ったら、にっこり笑って「ありがとう」って言ってくれました。ラジオのお仕事してるんだよね? やさしい声だった。すごく聞きやすかったよ。「何してるんですか」って聞いたら「音の色を見てるんだ」って。どういうことなんだろうね。

 行きたい! あけみお姉さんのドレスとか見たい!




 あけみ姉さんはかつて隣に住んでいた女性で、大学入学のために上京してきたと言っていた気がする。福岡出身でよく博多明太子をお土産でもらっていた。あけみ姉さんのおかげで明太子が好きになったといっても過言ではない。

 彼女の結婚式のことはよく覚えている。初めて行った結婚式。真っ白のドレスは眩しすぎていつものお姉さんというより何処かの国のお姫様だと勘違いしそうだった。

 そう言えば、あの結婚式に康孝さんもいて、すごく驚いたのだった。どうやらあけみ姉さんの旦那さんと大学が一緒で一番仲のいい先輩と言う立ち位置だったらしい。私は会場でそのことを知ったのだが、母と康孝さんはお互い結婚式に行くことは知っていたらしい。

 

 その時だ。


 胸の奥でちくりと何かが痛んだ。その痛みがよくわからなくて私はあけみ姉さんのことしか考えないようにした。

 だから、あの時旦那さんが飲まされ過ぎて倒れたことも覚えてないし、康孝さんのお兄さんの挨拶も覚えていない。それでも母の着ていたドレスが少なくとも家で見たことないものであったのは覚えているし、その時の母が母の顔と言うより大人の女性としての顔をちらりと覗かせていたのも覚えている。それがどうにも私には受け付けなくて、でも綺麗だなと思ってしまって、苦しくなって。

 あけみ姉さんのもとに行ってはあけみ姉さんを褒めまくった。本当に幸せそうに笑っていた。あけみ姉さんの肩に寄りかかっている旦那さんも本当に幸せそうだった。

 偶に今でもメールのやり取りをしているのだが、確か三歳くらいになる娘さんがいるのではなかったか。「旦那の親ばかぶりが進行しすぎてるんだけど、私も進行してるから、もうそろそろこの夫婦だめだわ」という自虐とも言い難いメールを読む限り今でも幸せなのだろう。


 ぱたりとノートを閉じる。ここから先は読んではいけないような気がした。封印したはずの感情が甦って来そうで怖かった。


 はーい、だめだめ。落ち着いてください、みどりさん。ただの憧れでしょ、お馬鹿さん。そうそう。ただの、憧れ。


 今、母は康孝さんの家に行っている。康孝さんのお兄さんに正式に挨拶に行ったらしい。

 康孝さんに両親はいない。幼い頃事故で亡くしたという話を聴いたことがある。お兄さんは親代わりとなって康孝さんを育ててくれたらしい。そのお兄さんはある事故で盲目になってしまったというのだから、世の中はよくできてないなと思った記憶がある。それでもお兄さんは今ではラジオパーソナリティーとして活躍している。穏やかな声と軽妙な語り草で人気を得ており、お兄さんが担当している夜のラジオ番組「カクテルに願いを」は私のお気に入りでもある。この年でカクテルとジャズの知識があるのはその番組のおかげだ。確かかなり長寿な番組でそろそろ放送を始めて二十年くらい経つのではないだろうか。

 お兄さんとも仲良くしていたが、とりあえず正式な挨拶は済ませていなかった、らしい。ということで挨拶することになった、らしい。

 いつもより少しおめかしをした母はやはり大人の女性で、眩しくて、痛みが走った。母のほんのり紅潮した頬を見た康孝さんの微笑があんまり優しくて胸を押さえずにはいられなかった。

 今日は二人でデートしてきな、と送り出した。一緒に行こうよ、と言う二人の善意を無理やり突き放した。


 行っておいでって。一人でご飯くらい作れるし、引っ越しの準備もそこまで済んでないんだから。行ってきなさいって。ほら、二人ともおめかししてるんだから、ぶらっとしてきなよ。いいもの食べてきなさいって。来月から大学生だよ、私? 任せなさいって。


 心配そうに見る二人の目から逃れるように扉を閉めたのがさっきの出来事。机の上、床の上に散らばる参考書を紐で縛る作業が終わったのもさっき。机の中に仕舞ってある物をすべて取り出していたのもさっき。母とのそれを見つけたのもさっき。ピンク色の表紙が二冊、緑色の表紙が二冊。

 私は四冊目の最後のページを開く。やはり母の字だ。


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