第2話 無色の声の話
手元の原稿を眺め仕切り直し始める。
「ええっと話を戻して、何の話だったけか」
「手紙です」
ゆいちゃんが答える。
「ああ、そうだ。そのあとがカクテルコーナー、それからコマーシャルが入って音楽紹介、与太話、しめ、と、そんな流れだったね」
「音楽紹介は『Moon River』でした」
須藤が口をはさむ。
「結構古い曲選びましたね」
ゆいちゃんが戸山を見る。ラジオの仕事に目覚めだしたのが確かこの年代だったなあと感慨深く思う。
「情報によると1961年の曲ですね。オードリーが劇中に歌った曲として有名です」
「今回は日本の歌手がカヴァーしたものを紹介した」
「この選曲って大抵戸山さんがやってるんですよね」
「須藤とか山崎とかと話してね、決定するんだけど」
匿名のはがきを思い出す。歪な字で書かれた内容は不可解だったが、リスナーとして扱うことにした。須藤も若干の不気味さを纏ったあのはがきを思い出したのか、戸山をちらりと見ては苦い表情を浮かべていた。
「今回は違うんですか」
「根っからのラジオ馬鹿だったから映画もそこまで詳しいってほど詳しくないし」
「『ティファニーで朝食を』見てないんですか」
信じられないという顔をされる。むっとして言い返す。
「『ベンハー』は見たし」
「何の関係もありませんよ。オードリー出てないじゃないですか」
「四時間ある大作だぞ。五十年以上前のカラー映画でCG技術もそこまで発展してない時の映画でな」
「まあ、両方ともいい映画ですよね」
ずっと口を閉ざしていた按摩が口を開いた。
「観たことあるんですか」
「古典だと『独裁者』が好きかな。新作だったらなんだろう。『寅さん』とか?」
「『寅さん』もそこまで新作じゃないと思います」
「え、じゃあなんだろう。『釣りバカ日誌』とか?」
「新作って言うか、なんというか」
映画を観たことあるのかと思ったと同時に、盲目の理由を聴いていなかったなと気付く。長いといえば長い付き合いの中で一度も疑問に思わなかったことに驚いた。そこまで按摩は自然体でいたということだ。相手に疑問を抱かせないほどに。そこには想像しえない努力があるのだろう。
「戸山さん?」
ゆいちゃんの声でハッと我に返る。今はその感慨に浸っている場合ではない。あとで考えればいいことだ。
「まあ、音楽もよかったんじゃないかなって思ったんだけど」
「僕あの歌詞大好きなんですよ」
須藤が嬉しそうに話し出す。
「歌詞?」
「そう。『あなたは夢を見せてくれた。そしてあなたはそれを打ち砕いてもくれた』って。もうなんか郷愁をそそりますよね」
キョウシュウヲソソル、と口の中で言う。最近の若者はよくわからない語彙力があるもんだな、と感心する。しかし、そこで使う言葉ではないような気もした。意味を間違って捉えてないか? ゆいちゃんもうんうんと頷いているところを見ると有名な歌詞らしい。へえ、と言って原稿を見る。ええっと曲紹介のところの反省までいったんだよな、と確認する。
最後の締めの反省を始める。締めの話はやはり満月の話だった。川の水面に映る月は夢幻のよう。鏡花水月とはよくできた言葉、そんな適当な言葉遊び的な話だった。戸山が按摩に感心するのはこういった言葉遊び的な発想が突発的に出来て、それが全ての話題を集約させることが出来るところだ。スタッフもそれは思っているところだったらしく、特に今日の放送の言葉遊び的締めの話は心地いいほどにすべての伏線を回収していった。そうやってまた褒めると按摩は曖昧に笑う。
全ての反省が終わったところで来週の放送分の概要を説明する。紹介するカクテル、ジャズ。詳しい打ち合わせは週の中頃にすることにした。
「じゃあ、今日の反省はここで終わり。お疲れ様でしたー」
お疲れ様でしたーと言い合い、須藤とゆいちゃんがおもむろに立ち上がる。手もとの原稿を各々鞄に入れている。時計を見ると十一時を過ぎていた。
「按摩、お迎え来てるんじゃないか」
「十一時過ぎましたよね」
「そうだね」
按摩には弟がいる。一度だけ聞いたことがある。大手のIT企業で上役をやっているらしい。仕事終わりに迎えに来てくれるらしい。よくできた弟で幸せになってほしい、と付け加えた按摩の顔は兄と言うより親の顔だった。
よくできた弟はその迎えを一度たりとも破ったことはない。
「あ」
「何、どうしたの」
しまったーという顔で戸山の方に顔を向ける。その目は戸山を見てはいない。
「今日弟飲み会だー」
「え、飲み会?」
よくできた弟にあるまじき失態だ。
「飲み会じゃないけど飲み会だー」
「なんだそれ」
「ほら、建前って大事じゃないですか」
はあ? と言ってみる。まあ、兄弟間で何かあったのだろうと解釈する。それにしても盲目の兄をこんな夜中に帰らせるほど大事な要件があるとは。あるいは考えられないような溝が出来たか。いや、先週まではお迎えに来ていたのだから、この一週間でそんな溝が出来たとは考えづらい。やはり何か大切な要件があったのだろう。
「戸山さん、送ってください」
まあ、そうなるよな、戸山はスマートホンの地図アプリを開き始める。
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