第6話
長くなった髪をいつものようなポニーテールではなく地味に下に向けて、制服姿であたしと慧天は少年のお通夜に行った。学校関係者みたいな人はいたけれど、友達だろう生徒は見られず、年配の、お祖母さんの歳ぐらいの人が多かったように思う。その一団に背を撫でられ、彼女は泣いていた。どうして。どうしてこんなことを。爆弾魔は一人で死ねと思っていないこともないあたしには何とも言えない空間で、諏佐警部を見付けてホッとするぐらいだった。あたし達が関わった爆弾事件はまだ調書が揃っていないけれど、同じ手口で同じ名前があれば、関係はおのずと知れたのだろう。亡くした孫が爆弾魔だったなんて言えないよな。思いながらあたしは咽喉マイクのスイッチを切る。慧天もヘッドホンは駐車場で待っているあたしの親の車に置いて来た。葬儀場は古い家で、襖や障子を外せばそんなに多くない弔問客を全員家の中に入れることが出来た。警察もあたし達も一緒くたに。
「頭の良い、自慢の孫だったんです。何でこんな事に。昨日だって妙なことがあったから、外出を控えるように言ったはずなのに、なのに」
ああ嘘くさい涙だな、とあたしは変に冷めた心でその様子を眺める。親戚近所には言えないだろう、孫が爆弾魔本人だなんて。早くもマスコミが駆け付けて、記者らしき人がメモを書いていた。一番若い被害者だったからだろうか、テレビの中継車も来ている。見ていたのは真夜中のカウボーイ。アメリカンニューシネマか、と私は息を吐いた。と、黒いストッキングに何かがじゃれつく気配に気付いて下を見る。
バントラインだった。
サボテン模様のアップリケは、少年と一緒に無くなったのかな、なんて。
偽物の緑の光は、一人と一匹を助けてくれなかった。
抱き上げると、少年の祖母はキッとあたしを睨み付ける。
「そんな猫に構って、週末は勉強もしないでふらふら映画なんか見て! その猫のせいよ、あの子の邪魔をしたから! 成績も下がり気味になって、中間テストだって、あの子は、芳人は!」
「それで?」
「え?」
「それで芳人君になんて言ったんです、お婆さん」
「私は――あの子に、もっと勉強をして欲しくて、そんなものは捨てて来いと――な、何なのあなた! 一昨日も芳人と一緒に居た子でしょう、あの子が何を言ったって言うの!?」
「言われる心当たりがあるならそうでしょう。ないなら私達は何も聞いてません」
「なッ……」
高血圧でぶっ倒れそうなお祖母さんに一礼し、あたしと慧天はお仏壇にお焼香する。子供と孫に先立たれたのは不幸だと思うけれど、そこまで追い込んだのが自分かも知れないとは露ほども思わない態度は、あたし達の心を変に凪にさせた。それはちょっとだけ、あの時の慧天のお母さんに似ていたかもしれない。慧天のお母さんはあたしを憎んでいるだろうから。あたしがすべての元凶だったのだから。髪はまた伸び始めて、いつかまた三つ編みに戻るかもしれない。でも慧天は。慧天の耳は、ずっとこのままなのだろうか。周りの音全てが悪意に聞こえてしまう。人殺しと呼ばれてしまう。それが続く。せめて耳に付けるのはヘッドホン。あたしの声だけが明瞭に聞こえるだけの。後は音楽しか聞こえない。それだけで構わない。
足を進めて玄関を出ると、諏佐警部が立っている。その眼は非難を含んでいた。そりゃそうだろう。一昨日のうちに少年を保護出来ていたら、起こらなかった悲劇だ。僕はこの世を憎む。だから爆弾が見付かっても、バラバラになっていたかもしれない相手にでも、笑っていられた。覚悟はとうに出来ていた。彼は自分が死ぬことを望んでいた。他人の心中になんか巻き込まれるのは御免で、だから今回は自分の椅子の下に爆弾を隠したのだろう。自分で、自分を、殺すように。ちゃんと自殺出来るように。木っ端微塵のミニギター。一緒に連れて行ったのはそれだけ。バントラインを離して、彼は一人で逝った。サボテンは助けてくれなかった。せめて好きな映画を道連れに。
「知っていたんだな。君たちは」
「……はい」
「何故知らせなかった。そうすれば助かった命もあっただろうに」
「ごめんなさい」
「謝って済む問題ではないよ。これでは君たちの方が」
手を伸ばしてその口をふさぐ。
その言葉だけは、駄目だ。
あたしが良くても、慧天が駄目だ。
そんな言葉を口にされてしまったら。
『人殺しだ』
そうしたら、あたし達は死んでしまう。
今度こそ、そうなってしまう。
手遅れになってしまう。
少年のように。
さっさと車に戻ると、お父さんがCDを聞いていた。筋肉少女帯の『月光蟲』だ。その中で、サボテンとバントラインのリミックスが流れている。人生はリミックスできない。慧天もあたしも少年も、何かをなかったことに、あったことに出来はしない。僕はこの世を憎む。それがもしもあのお祖母さんの事だったのなら、彼の世界にはサボテンもバントラインもいなかったことになってしまう。ニィ、と知らない車の匂いに怪訝そうな声で鳴いたバントラインは、あたしの制服をカリカリと引っ掻く。まだ爪は生えそろっていない。慧天がヘッドホンを被る。あたしは咽喉マイクのスイッチを入れる。
「お父さん、この猫家で飼って良いかな」
「猫? どうしてまた」
ホーイサボテン、とオーケンが良く伸びる声を鳴らす。
「形見なんだ。お祖母さんは世話してくれないと思うから、連れて来た。名前はバントライン」
「なんだ、その子筋少好きだったのか?」
「うん。QUEENも好きだった。もっと話せてたら、昨日のお茶会にも呼べたかもしれない。だからなんかちょっと悔しくて、引き取って来た」
「良くは解らんが、母さんも猫好きだから良いんじゃないか? と言う事は色々準備するものが必要になるな。ペットショップに寄って行くか、慧天君には遠回りで悪いが」
「慧天には遠回りでも、ペットショップ寄って良いかって」
「大丈夫です。猫と待ってます」
そうしてあたしは自分の腕から慧天にバントラインを託す。父は鼻歌交じりに最寄りのペットショップを探してくれた。多分この子が使っていた小さな哺乳瓶もミルクも少年と一緒に吹っ飛んでしまっただろうから、新しいのに慣らさなきゃいけないな。カラカラ回る映写機を耳鳴りに感じながら、ざわざわする身体を制服の上からさする。にゃ、にゃ、と小さな手と長い尻尾を遊ばせてるバントラインに、慧天はちょっと顔をほぐしながら鼻をつついたりしている。粗相のないようにその膝に畳んだハンカチを置いた。タオル式だからちょっとの事じゃ慧天の制服まで染みが付かないだろう。まあ黒いから、目立たないとは思うんだけど。匂いはちょっとね。
リミックスの無い人生、かぁ。死してなお新アルバムを出したフレディの境地にはまだ足りないな、あたしは。自分が死んだ後で出版して欲しい、とシリーズものの完結編を遺した作家にも届かない。死んじゃったって良いんです、と言った少年の声がそっと耳の中でリフレインする。神様はいなかった。サボテンはなかった。近付くと棘で刺す、その痛みで生を促すサボテンは、彼の神様は、所詮アップリケの偽物でしかなかった。だから生き残ったのはバントラインだけになってしまった。
猫用ミルクとペットシーツ、それに哺乳瓶と爪切りを買って、あたし達は車に戻る。ヘッドホンをしながら猫と適当に遊ぶのを見て、あ、と父さんは口を開ける。なんだろ、首を傾げると、苦笑いで返される。
「おもちゃも買っときゃ良かったなあ。生活必需品だけになってる」
「小さいうちは何でも遊びになるよ。それよりトイレのドアの閉め忘れとかに気を付けないと、ティッシュとかトイレットペーパーが犠牲になるよ。どのぐらいジャンプできるかは分からないけど、赤ちゃん用のドアとか買った方が良かったと思う。どっちかって言うと」
「そうだティッシュ問題は深刻だな。ベビーゲートはお前が昔使ってたのがあるだろうから、納戸から出しておくか」
「ん。いっそあたしの部屋の入り口に付けて。それが一番被害が少ないだろうから」
「そうだな、そうしよう。必然ペットシーツで臭くなるのはお前の部屋だぞ」
「良いよ、CDラックさえ荒らされなけりゃ。本だってそんなに持ってないし」
「慧天くんぐらい読めよなあ、お前」
「慧天が読んでるのホームズとかだけど」
「銀河鉄道の夜でも貸してやろうか」
「いい、訳わかんないの嫌い。レティクル座行き超特急の方がまだ良い」
くすくす慧天が笑う。夜は確実に迫っている。少年のいない夜が始まる。世界を憎む。そんな頃があたしや慧天にもあった。真っ暗な部屋で二人っきりでお茶会をしていた頃が。耳に沁みついて離れない声の余韻がまだ続いている。慧天には明瞭に。あたしには曖昧に。何で。どうして。血染めにされた髪。分からない理由。あの時どうして先生は、あたしを選んだのだろう。ただの偶然なのか。人殺し。あたしは失敗したのだろうか、また。
バントラインのまだ産毛が深い背を撫でて、あたし達は帰路につく。少年のいない夜を迎えるために。リミックスもリプライズもない、明日のために。
子猫とサボテン ぜろ @illness24
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