第5話
次の日の日曜日は家の中でお茶会だった。いつものダージリンとお気に入りのクッキー缶、最近はしょうがシロップを入れて飲むのも身体がポカポカして良い。音量に気を付けて、聞いているのはあたしが父の部屋から持ち出した筋肉少女帯だ。このバンドもQUEENほどじゃないけれど長くやっている。一時期ボーカルが飛び出したり違うバンドはじめたりしてたけれど、今は両立しているらしい。らしいと言うのは父の音楽趣味が母に合わないせいだ。聞ける機会が少ないから、CDもこっそりちょこちょこ集めているので、時系列が解らない。今掛けているのは『新人』と言う、比較的新しいアルバムだ。活動休止期間を挟んで最初の一枚だったかな。ボーカルの人は作家もやっているだけあって、世界観の広がりが良い。
慧天それをは物珍しそうに聞きながらクッキーを食べていた。この部屋でQUEEN以外のロックが流れたのは初めてなので、ちょっと違和感がある。でも悪くないのか。温かい紅茶のカップを両手に持って、慧天は機嫌が良さそうだった。
サボテンとバントラインは三十年近く前のCDなので、携帯プレイヤーに入れてある。それは一番最初に聞いた。そして少年を思い出すとちょっと陰鬱な気分にもなったけれど、大丈夫だっただろうか。小学生と言う事であたし達より少し早く解放された彼を迎えに来たお祖母さんは、腰もしゃきっとしててどちらかと言うと先生のようだった。不祥事を起こした生徒を𠮟りに来るような。
何もしてませんよ、むしろお手柄だったんですよ、刑事さん達が伝えても甘やかさないで下さいとピッシリ言って。その時の少年の死んだような目が忘れられない。あのお祖母さんがいる家ではまず最初に『駄目だ』と否定の言葉が帰って来るような気さえした。息苦しいだろう。生き苦しいだろう。なんとなく彼の動機が分かった気になってはいたけれど、それが合っているのかどうかは解らない。
被疑者は逃亡中、と言う事であたし達三人は解放された。感謝状が出るかもね、と言われたので、それは諏佐警部のボーナスにでも当ててください、と言ってみる。遠隔操作で爆弾解体を指示した、と言う事になっているけれど、半分ぐらいは慧天の地力だ。勿論それは秘密。何で知ってるか聞かれたら、厄介だから。ベテランの刑事さんにはあの西園警部の、とばれてしまったけれど、それだけだ。引退して病に伏せて亡くなって、もう十年にもなるだろう。あたしも葬儀には出席したけれど、よく解ってなくて慧天の隣にいただけだ。そう言えば厳ついおじさん達が多かった覚えがある。警察の人たちだったのだろうか。慧天もおまわりさんになるの、と何気なく聞いたことがある。首は横に振られた。何になりたいのかは、今も知らない。
音楽を聴きながら静かにシナモン抜きのアップルパイを崩して食べる。咽喉マイクはオフにして、慧天もヘッドホンを首に掛けるようにして。交渉人とロザリア。あたしも交渉人を目指して見ようか。殆ど慧天の見様見真似だけど、勉強を続ければ無理じゃないだろう。そして慧天と暮らすのも良い。あたし達は恋愛とかそう言うのじゃなくても、お互いの空間を何となく受け入れて行けるだろうから。慧天は在宅仕事をすればいい。少なくともヘッドホンは必要なくなるだろう。そうなったら良い。誰も慧天を追い掛けなくなる。追い詰めなくなる。ああ、でもあたしは慧天に邪魔かな、やっぱり。あたしと居ることで常にトラウマが刺激されているようなものだ、言ったのは慧天のお母さん。聞かれてないと思ってたんだろうけれど、お手洗いに立った時にばっちり聞こえてしまった、ヒステリックな声。慧天はヘッドホンをぎゅっと耳に押し付けて、耳を閉じた。あの子の所為で。あんな子を庇ったせいであなたは。
そうだ、全部あたしの所為なんだろう。今回の事だって、あたしの席の下に爆弾があったからこそ、慧天は自力解体を望んだように見える。他の人だったら荷物を集めて置いて体重制限をクリアし、あとは映画館の人に避難命令を出してもらっていただろう。その辺りはちょっと怒られたらしい。何も無かったから良い物を、と。でも慧天はあたしの命を他人に預けられなかった。相変わらず甘いと言うか、他人を信用していないと言うか。自分で出来る事は自分でしてしまう。かと言って爆弾解体出来ちゃうとまでは思っていなかったけれど。それは少年もそうだろう。まさか隣に座った人間がそんな事できるなんて考えてもいない。後でお祖父さんの蔵書を見たところ、古い拳銃操法の本まで出て来た。流石にそれに使い道はないと思いたい。
ともあれ爆弾騒ぎはこれで終わるだろう。そう思うとホッとした気分になって、シロップを入れた紅茶もいつもより温かく感じた。猫舌だから本当はアイスティーの方が好きなんだけど、甘いのは嫌いじゃない。シロップを入れることでちょっとだけど温度は下がるし。香りだって少し変わるのが珍しくて良い。夏はシロップが下に溜まっちゃうのが早いけれど。それさえなければ、四季準備しておくんだけど、なあ。
面白かったから、目的も忘れて映画に見入っていた少年の事を思い出す。爆弾なんてものを作った少年の事を思う。死んじゃったって良いんです、ぼそりと言った言葉の意味は解らない。帽子をかぶってはにかみながら音楽が良かったと言っていた、友達になれそうだった爆弾魔。死ぬこと。生きること。諦めきっていた暗い眼差しは一瞬。もしかしたらあたし達が信頼されていた一瞬。
クッキーを摘まむ。いつも二週間ぐらいかけて食べるそれは、慧天の担当だ。あたしはパイと場所と紅茶担当。とは言え茶葉を持って来るのは慧天だけれど。また、寒くなる前に庭でお茶会も開きたいな。先生とやっと見分けが付くようになってきた男子達も呼んで。こんなことがあったんだよ、ってネタもある。爆弾解体なんてやったと知ったら盛大に盛り上がってくれるだろう。ラインでぺちゃくちゃ喋ってるみたいだし、慧天の友達はあたしの友達だ。一方的に。学校でもニコイチ扱いされてるから別に構わないだろう。いや構うか。時々慧天にラブレターを出してくる女子を振るのはあたしの役目だ。面倒にも。大体友達通り越して恋人になれると思っているのが甘い。あたしみたいな幼馴染でも、時々慧天の考えていることは解らないのだから。友達で幼馴染のあたしより、可愛い女の子の方が良いだろうとは思うけれどさ。
でも実際、慧天が話せる相手はあたしだけだし。あたし以外の言葉は教師の言葉だとしても幻聴に代わる事があるらしい。考えれば、それはどんなにしんどい事なのだろうと思う。時々心療内科に行って薬を貰ってるのだって知ってる。どうしようもない時はそれに頼ってる。あたしは幸い、そこまできつい発作が起きたことはない。慧天が守ってくれたから。『ヒーロー』になってくれたから。だけどそのあたしの所為で、慧天は様々なものを失った。友達。出席日数。笑うこと。泣くことすら。それでも傍にいると決めたあたしは、ありがた迷惑なのだろうか。
あの少年も多分、両親の事故で失ったものが多いんだろう。それでも傍に沿ってくれる人がいたら、爆弾なんか作らない、何か違った未来があったのかもしれない。威圧的な祖母ではない別の落ち着き場所が。たとえば慧天にとっての、うちみたいな。あたしの部屋みたいな。爆音でロック鳴らしてても。怒られない場所があれば。否、それはあったのか。映画を見ている時だけが幸せだった。だけどリールはいずれ止まる。帰らなきゃいけない家がある。慧天にとっての家は、どうなんだろう。怖くて訊いたことがない。多分これからも訊けない。きっと、きっと。
ぶうううん、とマナーモードにしていたスマホが鳴るのに、慧天はCDプレイヤーを止め、あたしはベッドの隣の充電器に向かった。写された名前にちょっと瞠目しながらも、あたしは待たせてはいけないとスワイプして電話に出る。
「もしもし、諏佐警部?」
『本条君、西園君は隣にいるかね?』
「はい。代わりますか?」
『いや、君から伝えてくれ。――久留生芳人が死んだ』
「え」
『昨日とは違う名画座で、自分の席の下に爆弾を置いて、死者三名重軽傷者二十八名。その中に彼の名前があった。それと入れ違いで子猫が署に文字を貼り付けた紙くずを持ち込んだ』
「『僕はこの世を憎む』?」
『! 何故分かった!?』
「ああ」
ベッドにへたり込むと、どっと力が抜けた。
「手遅れだったんだ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます