第3話
『確かに爆発物処理班はうちの署にはいないが、かといって一中学生に協力することなど出来るはずはないだろう。早く警察を呼べ』
にべもない諏佐刑事のラインの返事である。確かにそうなんだけれどそうしている場合じゃないともうちょっと詳しくあたしは現状を打つ。慧天は一旦解体の手を止めていた。詳しい人からの指示待ちだ。その間も時計は進んでいる。もう三十分近くになるんじゃないだろうか。こういう時に限ってお手洗いに行きたくなるのはどうにかならないだろうか。まあ我慢するけれど。
写真にしてラインに爆弾の画像を張り付ける。数本あった線はいくらか切られていて、ジャングルみたいだった銅線が時計と小さな体重計を写していた。そう、お手洗いに立ってもアウトなのだ。本当、なんであたしのお尻の下なんかに。
隣の男の子は相変わらず映画に夢中でこっちのことなんか気にしていない。下手に騒がれても困るから、それはそれで良い。ゴードンは囚われの身だった。自分に重ねてしまうと、ちょっと切ない。動けない。慧天任せ。敵の王女になる人は出て来ないのかな、思わず期待して馬鹿馬鹿しくなる。現実は非情だ。
『手順は合っている。よく処理していると言える方だろう。分かった、指示を出す』
ほっとして慧天と顔を見合わせる。お互い汗びっしょりだ。映画館でなかったら慧天は発作を起こしていただろう状況。慧天の発作は一度始まるとヘッドホンを付けて数分間は動けなくなる。結構危なっかしいのだ。二年の付き合いではあるけれど、やっぱり慣れない。普段からそれを抑えるためにあたしが『通訳』兼『ヒーロー』を買って出ているお陰でもあるんだけど。おっと、自惚れない自惚れない。慧天は授業中は頑張ってヘッドホン外してるんだから。それでもたまに机に伏せてぎゅぅーっと目を閉じヘッドホンを押さえていることがあるけれど。心身症、と諏佐刑事は言った。そうなのだ。慧天は長時間人の話を聞けないし、話すことも出来ない。ラインやメールのお陰で困る機会は減っているけれど、実生活は危ういとしか言えない。将来の事を考えるとこうやって短時間でもヘッドホンを外して集中できる環境を作っておくのは良い事なのかも――良くねえわ。あたしが怖い、こう言うのは。
でも逃げないで立ち向かう慧天は格好良いと思う。もうちょっとこういう逃げようがない機会があれば――いやだから犯罪に巻き込まれたくはないんだって。キュロットの中が暑くてぱたぱた空気を送り込む。静紅、と呼ばれた。はしたなかったか、流石に。顔をちょっと赤らめた慧天は、諏佐刑事と繋がっていることでちょっと安定を取り戻したらしい。
良かったと思うけれど、解体がどの程度進んでいるのか分からないあたしには、映画にも集中できず暇である。ぱちん、ぱちんと線を切る音がゆっくりになったのは諏佐刑事の指示を聞いているからなんだろう。ふうっと息を吐いて、それが脚に当たってくすぐったい。硬直してる身体をちょっとほぐしながら、あたしは仕方なく映画を見る。ゴードンは逃げ出すことに成功した。あたしもちゃんと逃げ出せるだろうかと字幕を追う。
ソフトも持ってるし何度も見てるから、本当はセリフだって暗記しているところがあるぐらいの映画だった。でも映画は映画館で見るもの、せっかく名画座があって音響も個人宅とは比べ物にならない所があるんだから、そこで見て聞きたい。そう言う慧天のこだわりを、あたしは無視しない。この映画はしばらく時間不定でやるとネットでの上映情報には書いてあったから、無事帰ることが出来たら後日もう一度来よう。月二回の映画はちょっと中学生のお財布には痛いけれど、口直しだ。あ、喉乾いて来た。ポップコーンも殆ど食べてないのが口惜しい。だけど慧天頑張ってるしなー。せめてコーラを飲むと氷が大分解けて薄くなっていた。おのれ爆弾魔。許さぬ。週末のまったりした時間をよくも。
でも自分も結構落ち着いてるな、ってのが本音の所だ。夏にあった学校でのトラブル、その時は三階から突き落とされて全身打撲なんて名誉の負傷をおったりしたけれど、今は平気。多分慧天がいるからだと思う。慧天がいれば大丈夫。だって慧天はあたしの『ヒーロー』だったから。今もそうだから。だから、平気なんだろう。また一段とコードを切る音のペースが遅くなる。ゴードンも味方を連れて結婚式へ乗り込もうとしている。クライマックスが近い。
「静紅」
「なに。慧天」
「困ったことになった」
「ブービートラップ?」
「うん」
「付き物だよねえ、爆弾には」
「諏佐刑事もこればっかりはお手上げだって。どうする?」
「赤か青か?」
「緑が二本に赤が一本」
わお。用意周到。
言ってる場合じゃないな、一気にトイレが近くなった。本当、言ってる場合じゃない。
まあ映画も終わり掛けだし、妙に落ち着いちゃってるし。ここで死ぬならそれがあたしの人生って事なんだろう。それだけだ。問題は爆弾の規模だけど、素人が手に入れられる火薬の量じゃ花火が良いところだろう。あたしは尻が焦げるだけ。あ、でも人工肛門って相当面倒くさいって聞いたことあるな。椅子もべったんこだし、前後に人はいないし、あと十分ぐらいだし、慧天と隣の男の子には早めに逃げて貰おう。
慧天、とあたしは声を掛ける。唇を噛んで悔しそうな顔。そんな顔してたら似合わないよ、と思うけれど、苦笑いであたしは自分の恐怖を押し込めた。ハサミを出しっぱなしにして、まだ諦めていないのが解ってしまう。でも二者択一ですら難しいのに三者と来たら流石に命は賭けられないだろう。大丈夫、怖くない。それより隣の男の子を。ちらっと隣を見ると、男の子は結婚式に飛び込んで来たゴードン達が戦っているのを固唾を飲んで見守っている。ヒロインを奪い返し、敵の皇帝を追い詰めていくクライマックスシーンを。
あたしも追い詰められてるはずなのに、案外冷静だなあ。あたしもあたしで慣れたくはないんだけど、こう言うの。慣れる前にここで死ぬのかもしんないけれど。何か遭遇率高いのは気のせいなのかしら? やっぱり『名探偵』に事件は付き物なのか。辞めたいけれど辞められない、どうにもならない探偵の性。そして攻撃を受け流すのは『ヒーロー』であるあたしの性だ。
綺麗に繋がっちゃってるんだから仕方がない。あたしはここでアウト。慧天はハサミを握ったまま、隣の少年に声を掛ける。舞台は最終決戦、無粋だけど仕方ない。安全に逃げだす為には。
「君、逃げて」
「え?」
少年はきょとんっとした顔で初めてあたし達を見る。小学生位で、やっぱりまだ死ぬのには早すぎる年齢だった。犯罪に巻き込まれるのに若いも年寄りもないのかな。あたしだって若い方だろう。若い命を散らすには。もしも死ななかったらとりあえずトイレ行こう。そのぐらいで済んでると良いけど。何せ尻の下だからなあ。
「隣の席の下に爆弾が仕掛けられている。そろそろ爆発するんだ。君もここに居たら危ない」
「えっ!?」
少年は慌てて腕時計を見る。今どき珍しいな。まだスマホを持たせてもらえない家庭なのかもしれない。それとも単に映画館で切っているだけなのかも。手っ取り早く見るにはそっちが便利だっただけで。さあっと男の子は青ざめる。
「慧天、あんたも逃げて。その子連れて」
「僕は静紅と一緒に居るよ」
「馬鹿。男の子でしょ、一人でいきなさい」
行きなさい。生きなさい。
一人で逃げるために。
あたしは別に見捨てられたわけじゃない、運が悪かっただけだから。
「僕はもう静紅と離れたりしない。ほら早く、逃げて、君」
「あ、あ」
爆弾なんて言葉を聞いてショックを受けたのか、少年は動かない。
映画はもう終わろうとしている。
「あ、青です」
「え?」
「緑と赤を抜けた先にある青! それを切れば、爆弾は止まります!」
慧天は素早くあたしの股座に入り込んで、ぱちっと何かを切る音をさせる。
ずっと鳴っていた秒針の耳障りな音が消えた。
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