第2話

 最初にそれに気付いたのは慧天の方だった。腕時計にしては大きなチッチッチッチッと言う音は、耳の良い慧天にはすぐに気付くノイズだったらしい。博士とゴードン達が巡り合ったところできょろきょろしだし、映画に没入できない様子だった。幸い成長期がまだ中途半端なあたし達は他の客達の目障りにはならず、どうにかそわそわしていられた――けれど、流石に隣の席のあたしはそのきょろきょろした仕草が気になってしまう。

 どしたの、と小声で訊くと、ちょっと困ったような顔が浮かんでくる。

「静紅、時計持ってないよね?」

「スマホも切ってるけど。どしたの?」

「なんか時計の音がする」

 と、またサラウンド音響が鳴った。眼を閉じて音に集中すると、それは確かに聞こえてくる。チッチッチッチッ。下かな? と思ってあたしはひざ丈のキュロットスカートに包まれた足を開いた。そこには何やら木箱が置いてあって、それはぴったりと椅子の下に収まっていた。何だろう、思って両足を開き取り出そうとすると、待って、と慧天がそれを止める。幼馴染でも股座の下を凝視されるのはちょっと嫌だな。いやすごく嫌だな。慧天はポケットから何かを取り出したらしい。警察官だったお祖父さんに貰った多目的ナイフのようだった。なんだってそんなものを持ち歩いているのかは聞かないことにしている。勿論学校には持っていかないけれど、映画館になら持ち込むようなものでもないだろう。『名探偵』の浮名を嫌がる割に、そう言うところだぞ、と思わんでもない。


 木箱はネジで閉じられていたらしい。四か所あったそこを薄暗い古いフィルム独特の光の中で、慧天は開けていく。ベニヤ板みたいな薄っぺらい断面が剥がされると、中から響いていたチッチッチッチッと言う音が少し大きくなったような気がした。この箱が問題らしいけれど、一体何の目的で置かれた何の箱なのだろう。呑気にあたしが考えていると、慧天が顔を青くしているのが解る。こんな闇の中でも。

「どうしたの、慧天。この箱何?」

「静紅、落ち着いて聞いて」

「うん。なに?」

「これ、爆弾だ」

 隣に座っていた男の子が飲み物を啜る音に掻き消されそうなほどそっと、慧天はあたしにそれを告げた。


 爆弾。爆弾って。ちょっと待って週末ののんびりした映画鑑賞の場に爆弾って、あんまりにもかみ合わなくてヒッとちょっと喉が鳴った。笑いそうになったのだけど、やっぱりそうは行かない。笑ってる場合じゃない、だけど笑うぐらいしか出来なかった。何であたしの椅子の下に爆弾が? 慧天は真剣な顔をして、ナイフのハサミ部分を取り出した。

「何する気」

「解体。この角度じゃできることも少ないだろうけれど、ある程度いじっておけば爆発はしないかも」

「ど、どういう爆弾」

「時限爆弾ではあるけれど、もう一つ別に動いてるのもある。十キロ以上の負荷が取れると自動で爆発するみたいだ。つまり」

「あたしが動くと爆発する」

「そう」

「時限爆弾の残りは?」

「一時間と二十分」

「今ここで警察を呼ぶのは」

「映画館自体がパニックになって余計な騒ぎになると思う。――それに、」

「それに?」

「最寄りの警察署には爆発物処理班がいない」

 椅子に座ってるのにくらくらと眩暈が襲ってきた気がした。大都市でもないベッドタウンのここの警察なら、確かにそれは当然かもしれない。じゃああたしはどうすれば良い? 逃げられない。物理的に。お尻から吹っ飛ぶなんて御免だけど、どっちにしろあたしに残ってるルートはそれしかない。荷物を全部椅子に乗せて立ち上がってみても、十キロには届かないだろう。偶にピクニックに行く時だって、クッキー缶の一キロが一番重いぐらいだ。紙コップとポットと水出しした紅茶、合わせたって三キロ無いぐらい。今はそれらも無いからもっと悪い。

 それに一時間と二十分なんて、映画が終わって客の入れ替えをするぐらいの時間だろう。そこまで隠しては、流石にいられない。


 あたし達の列は隣の男の子とあたしと慧天だけだったから、慧天が寝転んで爆弾を解体するのは誰にも見とがめられなかった。暗い古いアクションムービーの仄明かりの中、あたしの足の間で座っている何十人かの命がぐらぐらと揺れているなんて信じられないぐらいだ。大体爆弾なんてどうやって作るんだ、そこからして謎だ。頼むから手の込んだ打ち上げ花火だと言って欲しい、でもそう言うわけには行かないんだろう。

 ぱちん、ぱちんと慧天がゆっくりそれを分解していく音がする。そう言えばどこで爆弾解体術なんて身に付けたんだろう。化学の授業でリンとリチウムの区別もつかないような奴なのに。問い詰めたいけれど今は動くのも怖いぐらいだ。フレディの歌声が入ってこない。ブライアン・メイのギターすら分からなくなりそうに緊張している。なんだってこんな目に。完全に被害者じゃないか、こんなの。

 下手をすればあたしどころか慧天まで道連れだ。隣の男の子を見る。映画に見入っていた。こうして新しいファンが増えるのは良い事なんだろうなあ、なんちゃって。そんな妄想をしている場合じゃない。首筋を冷たい汗が通って行く。神様どうかいらっしゃるのなら、せめて犠牲はあたしだけに。この子も慧天も他のお客さんも無事でありますように。偽善者の願いごとをしながら、あたしは慧天がぱちぱち銅線を切って行く音を最大限に響かせる。映画なんて見てる場合じゃない。スカートじゃなくて良かった、なんて思っている場合でもない。走馬灯のように過るのは――あ。

 あたしは慌ててポケットからスマホを取り出し、ごめんなさいと誰かに謝りながら電源を入れる。そして電話帳から探し出すのはあの名前だ。夏にお世話になった際、名刺を出してくれた――あった。ラインで話し掛ける。繋がってる。

 相手は、休み中の諏佐刑事だった。

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