11 玉兎亭と尚武殿

「香月暁臣あきおみだ。黎が世話になったな」

 黎の父親だというから、気性の荒い人を想像していたが、それとは真逆の穏やかな声だった。

「日向永理です。私の方こそ、黎さんには助けられて……」

 暁臣さんは、緊張して棒立ちのままだった私に「まあ、当ててくれ」と座布団を差し出した。ぶっきらぼうな黎とは気遣いの仕方まで違う。


 暁臣さんは、自らお茶を用意し私をもてなしてくれた。私は昨日の出来事を改めて話したが、お茶を飲むタイミングが掴めず喉が干上がりそうになった。

「行方知れずだった日向家の人間と、またこうして話せるとは。そんな再会の日に、黎が無礼を働き、申し訳ない」

 深々と頭を下げる暁臣さんの姿が、黎と重なった。

「やめてください。首を突っ込んだのは私ですから」

「それで……」

 暁臣さんが、ゆっくりと頭を上げる。

「共に守り人として戦ってくれる、というのは本当かい」

 黒い瞳の奥が、鋭く光った気がした。暁臣さんだって、かつては黎と同じように戦に身を投じていたのだと、改めて実感する。

「はい」

 力強く答えたつもりだったのに、声が裏返ってしまう。もう戻れない。日向家の因果に、私は自ら巻き込まれてしまった。

「若いのに、頼りになるね」

 そう言って微笑む暁臣さんは、朗らかな白髪交じりの男に戻っていた。


 その時、襖が勢いよく開く音がした。

「仕事の電話で遅くなった、すまん」

 後ろを振り返ると、黎が立っていた。騒々しく現れた黎に、暁臣さんが眉をひそめる。だが、黎は父親の方を見向きもしない。

「日向、挨拶は済んだか? 特訓行くぞ」

「え、うん」

 黎が戸惑う私の手を引っ張る。私は慌てて「失礼します」と言って、玉兎亭をあとにした。


「ねえ、お父さんにあんな態度でいいの?」

 私の手を引いて、黎は橋をぐんぐん進む。

「日向には関係ない……どうせ親父も、俺に期待してねえし」

 黎は手を離してそう言った。これまでの黎とは明らかに違う、温度のない言葉だった。どうやらただの遅めの反抗期ではなさそうだ。これ以上踏み込むべきではないと思って、それ以上は聞くのをやめた。


 黎は母屋の前を通り過ぎて、松の大木の前で立ち止まった。太い枝が低く張り出している、立派なクロマツだ。黎は右手を上げ、宙に何かを描き始めた。大きな円と、その下部にかかるように、くねくねとした線。どこかで見たような印だ。それが玉兎亭で見た丸窓の形、満月に霞と同じだと思い出した瞬間、黎の月長石が青白い閃光を放った。その光に照らされて、重たい松の枝は顔を上げる。そして、その奥から覗いた幹が、中心から縦に裂け捲れ上がっていく。その内側から現れたのは、荘厳な建物の入り口だった。

「ここで特訓するの……?」

「ああ、尚武殿しょうぶでんと呼んでる、うちの離れみたいなもんだ。まあ、守り人の本拠地はこっちだから、香月家の本体はどっちかというとここだけどな」

 弓なり状の形をした唐破風からはふ屋根が、クロマツの幹から突き出している。意匠を凝らした堂々たる玄関口に、私たちは足を踏み入れた。

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