4 変身

「コウゲツ」

 立ち去った、はずだった。なのに私は無意識に、石に語り掛けていた。

「ねえ、戦うには姿を変えろって言ったよね」

「は? 逃げたんじゃなかったのか」

「女の人が化け物に襲われてるの。獏みたいな顔したのに」

「だから逃げろって言ったんだ」

 石の声には呆れと怒りが混じっていた。自分でも無謀だなんて分かっている。それでも、私に助けを求める痛ましい表情が脳裏に焼き付いて離れない。石が本当はあの化け物と戦うよう仕向けていたなら、こんな私にも、戦える力があるはずなんじゃないか。

「……あの人を、助けたいの。殺されちゃうかもしれない」

 自分の声が震えているのが分かる。このまま家に帰って、石なんか箱に仕舞って今日のことは忘れてしまえばいい。それでも、何も見なかったふりをするなんてきっと夢見が悪い。

「ああ、そうだろうな。でも日向には無理だ。このままじゃ死体がもう一つ増えるだけだ」

 石はやけに冷静だ。目の前で命がひとつ奪われようとしているのに、人の心がないのか。いや、石に心はないのか。

「最初は私に戦わせようとしたんでしょう。戦い方を教えて」

 私は話しかけながらもさっきの路地裏へ急いだ。間に合う可能性があるなら、できることがあるのなら、彼女の悲鳴を無視することなんてできない。

「石に念じれば変身して力を得られる。でも初めてだろ? 使いこなせるかは保証できない。俺が――」

 石はまだ喋っているが、その声はもう耳に入ってこなかった。この角を曲がれば獏の化け物がいる。考えている暇はない。私は震える手で石を握りしめ、「変身」と呟いた。


 その瞬間、石から燃えるようなオレンジ色の光が放たれた。その輝きはあっという間に私の身体を包み込む。そして、眩い光の中から、陽だまりのような柔らかい白の戦闘服が現れた。見覚えのある服だ。少し派手になっているけれど、デートのために買った、オフショルとフレアパンツのセットアップによく似ている。伸びきったTシャツの襟元はいつの間にかひらひらの装飾に変わり、だぼだぼのスウェットも裾の広がったパンツに変わっている。くるりと回ってみると、オフホワイトの生地の上で、吸い込まれた石の光がちらちらと瞬いた。それから腕を伸ばしてみると、白地に金色の縁のバングルが現れ、えい、と足を鳴らすとつっかけはピンヒールに姿を変えた。伸びきった茶色の髪も、気づけば後ろでひとつにまとめられている。

「これが、私の念じた変身……?」

 そう問いかけたが、石は何も喋らない。その代わりに私の手を離れると、仕上げだとでも言うように胸元に収まり、それを中心に大きなオレンジ色のリボンが現れた。

 

 私は深呼吸をひとつして、角を曲がった。路地に戻ると、獏の化け物と女性を覆い隠していた霧がわずかに晴れた。

「おかしいなあ、君が日向のおさだったのか」

 紫色のもやの隙間から、化け物が顔を出した。女性は静かに横たわっている。化け物がこちらへ向かってくる。ざり、ざり、という雪駄の音が耳障りだ。女性はまだ息をしているのだろうか。

「どういう意味よ」

 さっきまでは恐怖で声も出なかったのに、まっすぐ化け物と会話できている自分に驚いた。変身したら勇気まで増すものなのか。

「いいや、こっちの事情なんだ。そう怒るなよ」

 化け物はさらに私に近づく。広い歯茎と鋭い犬歯が見えて、私の本能が警鐘を鳴らす。勝てない。いや、相手にもされていない、と。

「お喋りをしに戻って来たわけじゃないだろう」

 そう言いながら、化け物は煙草に火を付けた。長い鼻から紫の煙が溢れる。

「そうね」

 どうにかして目の前の女性を救いたい。何かできることはないだろうか、私は必死に頭を絞った。

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