連れていかれればよかったよ。

 また無意識に言葉が口を突く。

 連れていかれればよかった。

 なにも七瀬にしてやれなかった自分なのだから、最後くらいそうやって、この身体ごと七瀬に与えてやれればよかった。

 「そんなこと……!」

 非難するように七美が声を高くした。

 章吾は薄く笑って首を横に振った。

 疲れていた。七瀬が死んでからの全てのことに、もう疲れてしまっていた。

 「……俺、後なんか追えないから、一緒に連れてってくれればよかった。」

 後なんか追えない。怖くて手首なんか切れない。七瀬はあんなにも手首を傷つけ、最後はそれで死んだのに。

 「やめてください!」

 七美の両腕が章吾の肩に回り、長い髪がふわりと章吾の視界を塞いだ。

 甘い香りがした。その香りは、どこか七瀬に似ていた。

 同じシャンプー使ってるのかな、それとも体臭が似てるのかなと、こんな時なのにそんなことをぼんやり考えた。

 「私に兄を二人も亡くさせないで。」

 七美の声は、喉の奥でひどくひきつれて聞こえた。

 章吾はぼんやりしたまま、華奢な彼女の背中に腕を回した。なんとなく、感触も七瀬に似ているのではないかと思ったのだが、七美の身体は七瀬のそれよりずっとやわらかくて頼りなかった。

 「……一人で死なせたくはなかったんだよ、七瀬のこと。」

 それは確かだった。七瀬を一人にしたくはなかった。だからこうやって二人で暮らしてもきた。それなのに、七瀬は一人で遠くまで行ってしまった。遠く、ずっと遠く、暗いところに。

 一緒に暮らそう、と言ったのは章吾の方だ。七瀬の危うさが見ていられなくて、一緒に暮らせばリストカットも治まるのではないかと思って。

 しかしそんな思惑通りに事は運ばなかった。七瀬は手首を切り続けたし、最終的には命を絶った。

 一緒に暮らそう、とそう誘った日。あれは冷たい雨の午後。

 七瀬は確かに嬉しそうな顔をして、おずおずとだが章吾に抱きつきさえしたのに。

 七瀬が章吾に自分から触れることは珍しかった。セックスの途中以外ではほぼ皆無と言ってもいいくらいだ。多分七瀬は、章吾に拒絶されることを恐れていたのだろう。

 だからあの日、七瀬はかなり喜んでいたはずだ。それなのに、二人の暮らしが、そこから沸き立つ不協和音が、七瀬を殺したとしか思えないのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る