片付け
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。
リビングの床に放りだしたリュックサックの近くに、呆然と立ち尽くしていた章吾は、我に返ってドアを開けた。するとそこには、長い髪を一つにくくった七美が立っていた。
「ななちゃん……?」
まだ幾分頭がぼうっとしたまま名前を呼ぶと、七美は控えめに頷いた。喪服ではないが黒いワンピース姿で、化粧も色味を押さえた姿は、大学一年生という年齢よりも彼女を幾分大人びて見せていた。
「邪魔になるかなとも思ったんですけど、うちの両親が来る前に、片付けの手伝いができたらと思って……。」
「ああ……。ありがとう。」
やっぱり邪魔でしたか、と、七美が細い眉を寄せて、申し訳なさそうな表情を作る。
いや、そんなことないよ、と、章吾は少し慌てて首を振った。
七美だけは、章吾と七瀬の交際を知っていた。七瀬がわざわざ話すとも思えないから、女特有の勘かなにかで察したのかもしれない。
とにかく七美は二人の関係性を知っていて、時々この部屋にも遊びに来た。
そんなとき、章吾はいつも幾分気が楽だった。この世の全てから七瀬との関係を隠さないといけないわけではないのだと。
「でも、片付けって言ってもなにもないんだ。こんなになにもないのかってびっくりするくらい。」
章吾が言うと、七美は驚いたように目を真ん丸くした。
「三年も一緒に暮らしてたのに?」
うん、と、章吾は頷くしかない。
「暮らしてたのは確かだし、七瀬の痕跡だってあるんだけど、なんだろう、恋人同士だった証拠なんてどこにもないね。」
恋人同士だった証拠、と、七美が呟いた。
うん、と、また章吾は頷く。
「こんなもんしかなかった。」
章吾がメモの詰まったクリアファイルを見せると、七美はそれを手に取り、中身を確認した後、ぽろりと涙をこぼした。
「……お兄ちゃんは、本当に章吾さんを好きだったんだね。」
こんなにいっぱいメモ書いて。全部、章吾さんのことが好きって書いてあるように見えるよ。
そう言って、クリアファイルを抱きしめ、彼女はぽろぽろ泣いた。
きれいに球体の涙を目から頬、顎に伝わせる彼女を見ていた章吾は、これだけでもいい、と不意に思った。
恋人だった証拠なんて、これで十分だ。それ以外のなにもかもを七瀬の両親に持って行かれたとしても、これだけ手元にあればそれで大丈夫だ。
自分の中でもまだぼんやりしている七瀬との関係が、恋人という形で、こんな場面で固まるなんて皮肉なものだと、章吾は七美に気が付かれないようにひっそりとため息をついた。
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