二本目の煙草をくゆらせながら、最後のセックスを思い出す。

 あれは、三日前。数えきれないくらい重ねたセックスのうちの一回にすぎないと思っていた。少なくとも、章吾は。

 あのときもう、七瀬は死を覚悟していたのだろうか。

 いつものように身体を重ね、増えていく七瀬の傷跡に舌を這わせた。

 七瀬は笑って、もう消えないよ、と言った。

 それはその通りで、何度も何度も剃刀を当て続けた手首の傷は深くて古く、もうなにをしたって消えようもない。

 それでももうそれは儀式みたいなもので、章吾は舌先で赤や茶色の傷跡をなぞる。

 そしてセックスが終わると、章吾はそのままうとうとと眠りについた。それもいつものことだ。

 眠りにつく章吾の隣からそっと抜け出した七瀬が、シャワーを浴びに行く。

 それも、いつものことだ。

 けれど、その日、朝になっても七瀬は戻ってこなかった。

 目を覚ました章吾は首をひねりながら、二人で暮らすアパートの中に七瀬の姿を捜した。

 寝室、リビング、狭いキッチン。

 そこを覗き終えたら後は風呂場しかない。

 風呂場のドアを開けるのを指が躊躇ったのは、予感があったからかもしれない。

 章吾はしばらくの逡巡の後、擦り硝子が嵌った風呂場のドアを開けた。

 めったに湯を溜めない浴槽。その中に七瀬がいた。

 たっぷりと蓄えられたお湯は真っ赤に染まり、色の白い七瀬にその色は妙に似あった。

 救急車を呼ぶまで、少し時間がかかった。

 もう七瀬が生きていないことは、彼の透きとおった顔色を見れば分かったけれど、それを事実として受け入れるのに時間がかかったのだ。

 呆然と七瀬を見つめた数分間。

 その後ようやく章吾は携帯電話を取り上げ、救急車を呼んだ。

 そして今日、葬儀場に運ばれた七瀬に手を合わせようと訪れた章吾は、七瀬の父親に殴られ、葬儀場を追い出されたのである。

 二本目の煙草もフィルターぎりぎりまで吸い終わった章吾は、ゆっくりと喫煙所を後にした。

 七瀬の骨を拾えるとは思っていなかった。

 恋人と認められていない、ただのルームメイトだ。

 それでも、葬儀場から叩き出されるとはさすがに思っていなかった。

 最寄りの駅に向かう道のりを、冠婚葬祭でしか履かない黒い皮靴を引きずって歩きながら、七瀬の白い顔を思い出す。

 俺のこと、好き?

 セックスが終わった後、七瀬はよくそう訊いてきた。

 章吾はいつも、好きだよ、と答えていた。

 それが七瀬の言う意味においては、嘘になると分かっているくせに。




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