第七話 黒天教

 時刻は午後十五時を過ぎていた。


 荷物は大きなビニール袋二つ分程度で済んだものの、その後、ククリが空腹を訴えたので昼食を取る事にして、ククリが選んだ店が焼肉食べ放題とかだったせいで、結局こんな時間になっていた。


「食べ放題だから良かったけど、お前、結局何人前食ったんだ?」先刻の焼肉屋で、ほぼククリの召使いと化していた店員と、次々に積み上げられては撤去される皿の塔を思い出す。


「んー、覚えてないっす。でも最近すごく腹減るんすよね」

「人里は襲うなよ」

「なっ!? まるで人を分別の無い獣みたく言うのはやめてください!」

「あの焼肉屋の店員がお前を見る目は、間違いなく獣を見る目だったよ」

 

 思い返して、ククリの体型は大体五十人前は食ったであろうにも関わらず胃下垂すら起こしていない。どころか体型には一切の変化も無い。そういう人間もいるにはいるが、ククリの場合元からの体質ではなく、最近になっての事だから奇妙だった。


 本人は気にしていない──厳密には気付いてすらいない──状態だが、ククリには間違いなく“何か”が取り憑いており、恐らく生きる為に必要な“ナニカ”を吸われているのだろう。無意識でそれを補おうとする本能が、彼女の中で働いているあたりまだマシだけど、近いうちに緩和は必要だ。

 ていうか、緩和しないと食費だけで破産する。そして破産すると、クソ親父が絶対に現れてしまう。それだけは回避したい。


 黒天教の発足はつい一年前ほどだ(“うぇぶさいと”とやらの情報)。太陽信仰自体は世界中の色んな宗教の中に見られるが、太陽の黒点を、その対象にしている宗教はそう多くない。

 多くないだけに、一際有名なのが一つある。八咫烏やたがらすだ。

 色んな組織、団体で象徴され、日本神話にも現れる三本足の大きなカラスだが、元々は中国で、太陽の中には三本足のカラスがいる、という伝承の中でそれは黒点を表しているのだとも言われている。

 職業柄、こんな事を口にするのははばかられるが、月で餅をつく兎と同種の話。科学が発展途上にあった時代だからこそ、至れる発想。

 その伝承と〈黒天様〉という謎のカミ、クロミネの語る〈太陽に取り憑いた悪魔〉には何らかの繋がりがあると感じている。


「ここか」


 つい、と少し首を持ち上げる。目の前には築うん十年は経っているであろう、ところどころが割れたくすんだ茶色のタイルに覆われている建物があった。〈大門ビル〉という文字が、ステンレス製の板に刻まれて入口付近にあるのが見えた。おおよそ四階建てくらいの大きさで三階を除く他の階には『テナント募集中』の文字が張り出されている。そして三階の部分にはシンプルに『黒天教』の文字だけが堂々と掲げられていた。

 

「意外としょぼいっすね」忌憚のない意見をククリは悪気もなく投げつけていた。


 恐らく彼女の中で想像していた新興宗教の門構えとは違ったのだろう。しかし、大抵はこういうものだ。一部の団体が華やか過ぎるだけで。


「お前、中に入ってからは余計な事言うなよ?」釘を刺しておかないとククリが何を言い出すか分からないので一応、注意しておく。

「了解っす」

「まぁ、そのくらいの良識はあるとは思ってるけど、不安だな……」

「いざとなれば全員、ぶちのめしてあげますよ」

「そう言うところなんだよなぁ……」


 そもそもあたしの商売はそういう・・・・のじゃないって分かってんのかな。ため息をつきたくなるのを我慢して、ビルの中へと足を進める。

 

 エレベーターは無いらしく、階段を昇りつつそんな会話を交わす。外から見た通り、ビルの内側も人気は感じられず、想像以上に静けさが漂っている。三階へと上がると、丁度目の前に白いプレートの表札に刻まれた『黒天教支部』の文字が現れた。


 黒天教は出来て一年ほどの宗教らしく、周囲を高いビルに囲まれた、背の低い雑居ビルの一室を賃貸している小さな場所だった。プレートの下に古い型式の♪マークに押しボタン式のインターホンがあった。


 そこに触れる直前になってから、よくよく考えると、こんな赤いスカジャンを羽織ったプリン頭のヤンキーもどきと、ピアスを開けて金のインナーカラーを入れたケレン味溢れる女の組み合わせが訪ねてくるなんて変じゃないか、と気付いた。が、今更引き返せるわけもない。あたしの指はもうインターホンを押してしまっていた。


「先程ご連絡いただいた、九重様に九萬原様ですね?」


 ぎぃと音を立てる若干ヒンジの錆びた扉が開く。出てきたのはスーツ姿の小太りの男性で、名前は〈柊 岩士ひいらぎ いわし〉と言った。


 ここに来るまでの道中で、電話を掛け、その時に電話を取ったのが彼だ。その時にも、今と同じ感じで丁寧な口調で名乗っていた。

年齢は恐らく三十代前半くらい、髪を七三に分けた一昔前のサラリーマンのパブリックイメージみたいな風貌だ。声色は営業用──いや布教用の少し高めな声を作っている。笑顔も同様、作られたものと感じられるが、どこを見ているのか分からない糸目になっていて能面の様な不気味さを覚えた。本人の振る舞いや格好、言動とは裏腹に奇怪な印象を受ける人物だ。さ


「ええ、少しこちらの宗教に興味がありまして」

「それは良かった。今日はちょうど集会の日なので、少ないですが他の信者の方も来ていますし、どうぞ体験していってください」


 柊に案内されるまま、部屋へと足を踏み入れる。玄関からは三メートルほどの廊下があり、張り替えたばかりのフローリングなのか、靴下では少し滑る。廊下の途中にはトイレと浴室と思しきドアが一つずつ。廊下の突き当たりにはドア。そこを開くと九畳のリビングがあった。円形のテーブルが中央に置かれ、会議室とかに敷かれている様な味気無い灰色のカーペットタイルがフローリングを覆っている。しかし、信者らしき人間はそこにはいない。リビング右手側には、更にもう一つのドアが見えた。

「こちらは祈祷の後のラウンジとして、信者の方々の交流の場となっております」柊が説明し、次に手のひらで右方向を示す。

「あちらの祈祷室にて集会を行なっております。ご覧になっていきますか?」

 あたしが頷くと柊は丁寧な所作で、ドアを開く。開きかけた所で、中から幾つかの重なった声が聞こえてきた。そして、完全に開いた瞬間、そこで、思わず手のひらで陰を作るように覆った。傍らから、ククリが小さく唸ったのが聞こえた。


 この部屋は酷く眩しい。光に眩む眼を何度か瞬きして、慣れさせる。重なる声は止む事なく聞こえてきている。辛うじて見えるようになった所で、異様な光景に言葉を失った。

 その周囲の壁一面を強力な電灯らしきものが囲っており、彼らを照らし続けていた。光に照らされていながら、その光のせいで認識がし辛い。光の中に眼を凝らすと、そこには

柊が言った通り数人の信者がいた。彼らは膝を折って宙を見上げ、一心不乱に判別のつかない言葉を唱え上げては何度も小刻みに体を揺らしている。彼らの見上げる先には天窓があり、空が見えていた。それはまるで、空の向こうの何かに呼びかけている様に見え、祈祷などとは程遠い行為だと、誰が見ても分かる。

 こんな強すぎる光の中で何時間も祈り続けるなんて、人の精神を狂わせるには十分過ぎる。そう思った時、がくん、と視界が揺れた。殴られたと分かったのは、床に倒れた際に目の前にククリの顔があったからだった。

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