第六話 黒い影



 十月十九日 午前十時


「はー」


 息を吐くと白い蒸気が立ち昇り、空へと解けていく。最低気温は五度。少しばかり早い冬の到来に街行く人々の格好はちぐはぐだ。


 幸い、クシナはククリから今日は寒くなると聞かされていた為、タートルネック、スカジャン、マフラーと上半身の着膨れ具合が著しい。下は黒スカート、黒タイツ、そして下駄だけは相変わらず履いていた。



 大型雑貨店の入ったビル前のベンチに座り、すぐそばの自販機で買ったおしるこを啜る。傍らのククリはついついとスマホを操作する事に集中していた。


 ……何がそんなに楽しいのかねぇ。


 無表情でひたすら小さな画面を操作している姿を見て、クシナの胸中には現代の若者らしからぬ感想が浮かんでいた。


 スマホとパソコンの違いすらあやふやなクシナだが、クシナが電子機器を遠ざけるのは、別に電子機器の類いが嫌いな訳では無い。ましてや連絡を取る相手がいないからという理由でもない。


 言うなれば『家庭の都合』だ。特に母親の方針によって、そう教育されたからだ。


 クシナの母は極めて苛烈で尚且つ破天荒だった。物心がつくよりも前に、母親への敵対心が芽生えてしまうくらいに。


 家には電子機器は一切皆無。家の明かりは提灯や蝋燭、風呂は火で沸かしていたし、冬は火鉢のそばで温まる徹底ぶり。


 小学校高学年にもなると、ようやく我が家の異常さが理解出来るようになったクシナが母親に『普通になりたい』という主張の下猛反発したのは当然の結果だった。


 だが結果の結果、母親から『普通にしてやる』と言われた後のことを、クシナは死ぬほど後悔する羽目にあったのだが割愛。


 ある意味でその日々があったからこそ今の自分があると思うようにすれば、納得は出来ずとも多少は心も軽くなった。


 ──そう言う訳で、クシナが電子機器を遠ざけるのは母親がそういう方針だったからの延長に過ぎず、今さらその考えを捨てようとも思わなかったからである。


 ククリが言うには、明日の天気も、これからの事も、政治も、経済も、そのかまぼこ板の様な物で分かってしまうらしい。


 人間は貪欲だ。

 今日という今があるにも関わらず、明日の事まで知ろうとする。

 その先に知りたくもない破滅が待ち構えているかもとか考えないんだろうか?


「ま。んな事考えても仕方ねぇか」


 飲み終えたおしるこの缶をゴミ箱に投げ入れて、ベンチから腰を上げた。スカジャンのポケットから取り出した懐中時計を開いて時間を確認すると、時刻は十時半を指していた。ようやく本日最初のタスクが始まる。


 がらがらがらがら、と大きな音を立ててビルのシャッターが一人でに持ち上がっていく。同時に緑色のエプロンを身につけた若い女性がいそいそと設置型の看板を店前へと運び出してすぐに店内へと戻っていく。


「やっと開店っすね」


 さっきまでスマホを見ていたククリが今はもうスマホを仕舞って傍に立っていた。この柔軟性と雑食性こそ今日に生き、未来を食らう現代人の在り方なんだなとクシナは一人納得する。


 店内に入ると温かい空気に迎えられ、冷えた手足がじわ、と解凍される感じがした。この大型雑貨店のビルは全部で六階まである。

 一階は文具や手帳、リュックやカバン。二階は靴下、ネクタイ、百円ショップ。三階は布団、枕、カーテン、色々割愛しているが四階以降は食材なども取り扱っているフロアもあるらしい。


 今更ではあるが、今日ここに来ているのは昨晩からクシナの隣の隣の部屋に住み出したクロミネの必要物品リストの中の物を買う為に来ている。ちなみにリストは朝起きたらドアの隙間に差し込まれていた。内容は主に日除けグッズだ。その為、大抵の物が揃っている大型雑貨店へと足を運んでいた。


「またリプランだか見てたのか?」


「クシナちゃん、その紙パックの紅茶みたいな発音やめて欲しいっす。面白いんで」


「真顔で面白いとか言うな! オマエ絶対バカにしてるだろ!」


「まぁまぁ。一応、昨日話した太陽の黒点について調べてたんすよ」


 買い物をしつつ、ククリに見せられたスマホ画面には異常な黒点の挙動に対して様々な意見が飛び交っていた。その殆どは映像をフェイクだと言ってやたらと怒り狂った内容の文章だったが、時々妙なのが・・・・混じっていた。


「『黒天様・・・がこんなにハッキリ見えるなんて』……なんだこれ」


「あ。やっぱり気になるっすよね? 実はその黒天様ってのが黒典教のカミサマらしいっす」


「またそいつらか。でも調べる価値はあるな、よし。買い物済ませたら黒典教とやらについて調べてみるか」


 





 


 

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