序章/後編 火灯し
「ジブン就活に失敗しまして」
そう言った彼女をクシナは煙草をふかしながら改めて一瞥する。肩下まで伸びた艶のある黒髪の内側を金色に染めた今時なインナーカラーの髪を右側は垂らして、左耳にぶら下がった青色の爪を模したピアスが見える様、左側の髪は耳にかけられていた。服装は黒のジャケットの前を開いて内に胸の辺りが程よく膨らんだ赤茶のタートルネックを着込み、下は脚の長さを強調するかの様な履き古した黒のスラックス。一目で分かる圧倒的なスタイルの良さ。
一方クシナはと言えば、雑に染めたせいで少し傷んで外に跳ねているロングの金髪。平坦な胸に曲線の少ないまっすぐな体型、平均よりも低い身長。コンビニで煙草を買う際に年齢確認をされるどころか『お父さんか、お母さんに頼まれたのかな?』などと言われる始末。目の前の彼女と己の成長具合を比べクシナは自分自身を呪いたくなるが、『それはそれ』と考えを切り替えた。
「ふー……」
煙草の煙を天井に吐き出して視線を戻すと、事務所の来客用ソファに腰を掛けた黒金糸の娘はずいと前屈し、垂れ目がちな目元をキリッと引き締めてクシナを見つめてきた。その様子が頭を撫でてもらおうとしている犬の様で苦笑してしまう。
『就活に失敗した』
聞けば単なる身の上話に過ぎないが、先程からクシナはそんな彼女と彼女の背後を目線だけで交互に見やり、『そりゃそうだろうな』と思いつつ、咥えていた煙草の灰を灰皿へと落としてひとまず話を進めた。
「──で、バイトでもしようと思ってここへ来たって事か。つうかここが何する店か分かって来てるんだよな?」
黒金糸の娘は元気よく「はい!」と答えた。なるほど、これは分かってなさそうだと、クシナは溜息混じりに煙を吐き出す。
以前、と言っても開業してすぐの頃は事務所の景気も良好でバイトも雇っていた。その殆どが霊能者に憧れを持ってたり、本物の幽霊が見れると興味本位で来たやつだったり、中には半ば冷やかしの様な奴もいた。しかし結局どのパターンの奴でも現場に出て数日或いはその場で退職なんて事もあったくらいだ。
など過去の話はさておき、今の経営状態でクシナがバイトを雇う余裕なんてどこにも無い。事務所の家賃の心配はないものの自分一人の生活が精一杯。だから黒金糸の娘が本当にただのアルバイト願望を抱いてきた一般人ならとっとと追い返せば済む話なのだが……
クシナは再度彼女の背後、正確には後頭部付近へと目線を動かす。
そこには黒い
ここにきて自分が設けた
心の内で嘆きながらも態度には表さずにクシナは黒金糸の娘と向き合った。
「お前、名前は?」
「ジブンっすか。ジブンはクマンバラって言います、数字の九に麻雀の牌とかで使われてる萬に原っぱの原で九萬原っす!」
「へー珍しい苗字。下の名前は?」
「ククリっす。空に々に、理解ので空々理っす!」
スカートのポケットから万年筆を取り出してその辺にあったチラシの裏に書き記してみる。
字に起こすと書くの面倒臭いなこの名前。そんな極めて失礼な感想がつい浮かんでしまう。
「ククリな。んじゃ次の質問は企業面接は何回落ちたか教えてくれ?」
一瞬ククリは頭に“はてな”を浮かべるもすぐに答え始めた。
「え? えーと、もしここも落ちたら四十四回っす」
「
「……付き合った回数は二十回くらい。でも全員三日も続かなかったっす。これ、面接となんか関係あるんすか?」
「大有りも有り有りよ。そんで、なんで別れたんだよ?」
「はぁ、まぁ、理由はそれぞれっすけど。どいつもこいつもロクデナシなんでぶん殴って別れたっす。キスどころか手すら繋いだ事ないっすよ」
ククリが胸を張って得意げに話してくれたのを適当に相槌のみで答えて済まして立ち上がるとククリが肩をびくっと跳ねさせた。
「ふぅむ」
煙草片手にククリから聞いた話を頭の中で反芻する。間違いなくククリは何かしらの〈呪い〉を抱えているのだと分かった。原因までは流石に見極められないが、症状の緩和くらいはできるはずだ。
「よし分かった」
煙草を灰皿に押し付ける。デスクに積まれた書類の中から一枚引き抜いて戻ってくると、ククリは不安げな表情でこちらを見上げてきた。
「あの、不採用っすか……?」
「違うっての。契約書だよ、取ってきただけ」
一切れの古ぼけた和紙をテーブルの上へと差し出す。
「これが契約書っすか? なんか変な模様がいっぱい書かれてますけど」
「あー……今はそれしか
そう言って万年筆を渡すとククリの表情が明るくなった。
「書くだけでいいんすね!? やります!」
ククリはあたしの用意した契約書にがががっと勢いよく記名するとこちらに突き出す様に見せてきた。
「書いたっす!!」
「どれどれ」
顔を近づけて和紙の記名欄を確認する。
「よし、名前も間違って無い。字もしっかり判別できる。あとは────」
あたしはニコニコと笑みを浮かべているククリの手を掴んで指先に針を刺した。
「いたぁ!?」
「こら暴れるな!」
驚いてのけぞろうとするククリの腕を引き寄せての上に押しつける。血液が和紙に円形の赤い染みを作り出す。いわゆる血判というヤツだ。
「いきなりなにするんすか!?」
針で刺された人差し指を咥えてククリが怪訝な目でこちらを見る。
「なぁに、ただ契約を結んだだけさ」
「なんすかそれ……なんか変じゃないっすか?」
そりゃそうだろうな。クシナは口の端で笑みを浮かべる。
「
新しい煙草を咥え、じろりと視線を向けるとククリは身を強張らせつつたじろいだ。
「し、知らないっす」
「この世で最も強い契約書と言ってもいい代物でな。お前が名前を書いて血判を押したのはそれなんだよ」
「えっ、なんすかソレ!? ていうか血判押したのは無理矢理じゃないっすか!? 自分の意思じゃないっす!」
「そんなの関係ないんだよ。だって名前は自分の意思で書いたじゃないか」
言って煙を吐き出す。我ながらやってる事がヤクザじみてて少し嫌悪感がある。
「む、無効っすよこんなの!」
ククリが契約を両手で引き裂こうとしていた。
「あーやめとけ」
「……なんでっすか」
不満ありありな声でククリが言う。言っても納得しなさそうだが、一応言っておこう。
「そいつを自分の意思で破くと死ぬぞ」
「んなデタラメ信じないっすよ!」
デタラメ、か。まぁ普通に生きてきたヤツにとっちゃこんな話すぐに信じられるワケないよな。
──教えるには丁度いいな。少量の煙と一緒に短く息を吐き出す。
「ククリ、おすわり」
「うぇっ!?」
言うと同時にククリの両手が強制的に下に向けられる。そしてソファの上で犬の様に“おすわり”の姿勢になった。本人は何が起きたのか分かっておらず、冷や汗を浮かべて奇妙な現象に“はてな”を浮かべていた。
「なっ、なんすかこれっ!」
おすわり状態のククリが必死に叫ぶのを聞きながら、あたしは床に落ちた契約書を拾い上げる。
「これが契約の力ってわけ。よぉく分かっただろ?」
そう言って口の端で笑うと、ククリはおすわり状態のまま叫んだ。
「こんなの詐欺だぁー! 不当な搾取だぁぁー!」
ククリがまんま犬の遠吠えの様にわんわんと吠えたてるが、今更もう遅い。
「別に犬扱いしようってんじゃない」
「今まさに犬扱いされてんすけど!」
「ちゃんと労働の対価は支払うつもりさ。契約ってのはそういうもんだ」
おすわりを解除して、あたしの言葉でククリは静かになった。
「……本当なんすよね?」
ククリから警戒の色は消えていない。まだ納得のいっていない様子だが、ククリはひとまず受け入れる事にしたようだった。
中々疑り深い性格だが、あたしは嫌いじゃない、気に入った。クシナはフィルターを噛み潰すように笑う。
「じゃなきゃ貴重な契約書を使ったりしないっての。この契約書がある限りお前はここの従業員さ」
クシナとしてはバイトなんて雇うつもりは無かったが、どうにもククリに憑いてるモノが気になるし、結界の条件でこいつがここに来たのならそれに対処しなきゃならない。
なんにせよ契約を使って近くで観察すれば対処法も分かってくるだろう。
「全然
クシナの持つ契約書を睨み付けククリがぼやく。
「何はともあれ、ここはお前みたいな奴が流れ着く場所。地獄の沙汰も金次第、ようこそ煙魔除災事務所へ」
「はぁ……」
不服さを隠さずにククリが肩を落とす。
「あたしの名前は〈
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