9-3 暴走

「メンフィス……ええ、ええ、頼むわ」


 リアンはあまり交友関係を明かす人ではなかった。会話に登場させるときも、故意にして固有名詞を避けているように思えた。そのため電話口のメンフィスという相手が何者なのか見当もつかない。そもそも船乗りの友人がいるなんて、初耳である。

 リアンは電話を切ると、そのタブレットを窓から投げ捨てた。


「いいの? 唯一の通信機器なんでしょ」


「もう使い物にならないわよ。すぐにネットワークは遮断されるし、そこから逆探知もされる。あんなのは使い捨てよ。でも安心してノバラ、アポは取れたから」


 リアンはそう言うとAIの自動運転システムを手動に切り替え、再びステアリングを握った。ブレーキをかけながら、急旋回すると、路地へと入っていく。

 恐ろしく優秀なリアンの専用AIの活躍も相まって、追跡車を巻くことに成功した。だが、こうなれば警察は生体認証や、上空から探索、また町の監視カメラなどからの捜索など、様々な手段で追ってくるだろう。そのためリアンは敵の目を盗むため、大通りを避け、裏道を使って運転をしていた。

 どうやら本当に港に近づいているらしい。なんとなくではあるが、潮の香りが鼻孔をついた。

 そしてその路地から飛び出した瞬間、フロントガラスの先に小さな人影が見えた。


「フラガ……先回りされているわ」


 フラガは対戦車砲を肩に担ぎ、片膝をついて、車のエンジンルームを狙っていた。


「避けてっ!」


 発射された弾丸が一直線に向かってくる。リアンは慌てて、ステアリングを切るが、その弾丸は予想した場所よりも遥か手間に着弾した。

 だが安心したのも束の間、耳に響くヘリコプターのプロペラ音と共に、背後からミサイルが迫りくる。

 フラガは陽動だったのだ。意識を前に向けた隙を狙って、ヘリコプターが背後に回り込んでいた。

 ヘリコプターは車が旋回した先に照準を合わせ、ミサイルを発射した。フラガの対戦車砲を避けるため、ステアリングを限界まで切っていた。ここからでは回避することはできない。

 ミサイル弾は車体を掠めながら、炸裂した。爆風で、車体は大きく歪み、その衝撃で体が前に飛ばされた。シートベルトをしていたとはいえ、トランクが吹き飛び、フロントガラスが割れ散る衝撃は体を引き裂くほどだった。真っ黒い煙と漏電した電気の音、そして血に染まったエアバッグ。車内は一瞬にして、瓦礫と化した。

 私はすぐに運転席のリアンに目を向けた。


「リアン、しっかりして」


 リアンは頭部から血を流し、エアバッグにぐったりともたれかかっている。


「ノバラごめん。しくじったわ」


「喋らないで、いま処置するから」


 するとリアンは無言で首を振った。


「このままここにいたら、漏電した電流で丸焦げになるわ。だから早く逃げて」


「リアンを置いていけないわ。だから早く」


 だが私はリアンの血に染まった手を握った時に気が付いた。リアンの体はその場から微動だにしないのだ。私はリアンの腹部に目を向けた。するとそこには後部座席から飛び出した鉄片がリアンの腹を貫いていたのだった。

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