9-1 暴走

 パドロフ議長は正式に声明を発表した。

 テロとの徹底的な抗戦の誓いを立てたのだ。これは最後の戦いであり、マーキュリー計画を試行する上での最後の仕事であると。

 こんな声明を額面通りに受ける者なんていないだろう。少し考えればわかる。この政策はただのマーキュリー計画を試行する上での人間選別に過ぎない。自分たちに逆らう者、また不要な人間をあらかじめ消し去り、そんな人間に金を払うかという意思表明に受け取れた。

 だがそれに対して、誰一人として遺憾の声を上げる者がいなかった。それはエリアに住んでいるという自負心、そして行き過ぎた個人主義による無関心だった。マーキュリー計画という目先の楽園を目にした人々は理性を失っていた。それがどんなに非人道的な政策であろうと、もうどうでもよかったのだ。

 政治に対して熱狂もなければ、批判もない。ただ目先の祭りのみを楽しんでいるように思えた。

 そしてその時はついに訪れたのだ。

 謹慎が明ける二日前だった。リアンとランチを摂っていると、ラボのチャイムが鳴り響く。形ばかりのチャイムは取り付けているが、滅多にそれが鳴ることはない。宅配は完全自動型のため、チャイムはならないし、営業などもネットの方が遥かに契約率が高いことから、玄関の前に見知らぬ人が立つということ自体が、ほとんどなくなっていた。

 私とリアンは目を合わせた。

 すぐに立ち上がり、拳銃を手に取る。私は廊下の壁を伝いながら、ゆっくりと扉に近づいた。チャイムはさらにもう一度押される。

 異様な雰囲気を漂わせるドアに肩を付けると、その鍵をそっと開けた。

 その瞬間である。鍵の開いたドアが突如として開き、ドアの間に足を差し込まれた。わずかな隙間からこちらを睨み上げたのは、フラガだった。


「久しぶりだな、ユリサキ」


「なんの用?」


「リアン・リー博士に共謀罪、および工学製造法違反の疑いで逮捕状が出ている。速やかに出頭を願う」


「拒否したら?」


「特別処置を行う」


フラガはなんの躊躇もなく、懐から拳銃を取り出し、それを私の額に押し付けた。


「リアン逃げて!」


 私はそう叫ぶと、押し付けられた拳銃を下から殴り上げ、懐に入り込むと、フラガの足を思いっきり踏みしめた。


「逃がすな!」


 フラガの号令と共に背後から警察部隊が押し寄せてくる。私は銃口を向け、牽制すると、ラボの奥へと走った。


「発砲を許可する、殺せ」


 フラガの太い声が狭い廊下に響いた。


「ノバラこっちよ」


 リアンはラボから一階へと続くハッチを開けて、手招きをしていた。長くリアンと二人で住んでいたが、そんなハッチがあったことを初めて知った。一階にガレージがあることを知っていたが、私もほとんどそこに入ったことがなかった。

 私は振り返りながら、そのハッチに滑り込んだ。リアンは私の全身が中に入ったことを確認すると、そのハッチを閉めた。頭上から金属が弾ける音が聞こえてくる。


「奴ら撃って来てるわ」


「このハッチはナノポリマーよ、そう簡単に壊れはしないわ」


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