順不同

雪国匁

第1話

大義名分の元に、人を殺したことはある?

先に言っとくと、最悪の気分だよ。




『六人を無差別に殺し、昨日から人質を取って立て籠っていた凶悪犯の事件が解決しました。犯人は現在意識不明の重体とのことです。被害者の方は』

雑音を吐くテレビを指先一つで黙らせる。

『犯人があのままいたら、被害者の数は計り知れないものになっていただろう。本当に、ありがとう』

醜い台詞を並べる昨日の記憶をバラバラに切り刻む。

『いつ殺されるか分からなくて、とても怖かったです……。なんとお礼を言ったらいいか』

海馬を荒らす感謝の言葉を圧し潰す。

『やめろ!! コイツらがどうなってもいいのか……』

逆恨みの気持ち悪い空気の振動。さっきまで生きていた物の倒れる低音。

鼓膜に残り続けるこれらは、壊す気にもなれなかった。


今日は休みを申請した。業績のせいで、快諾してもらった。

まぁそんな日も既に始まってから十数時間過ぎてる。現在時刻は二十三時。

その間、一切の誇張なしで、私は何もしていなかった。部屋の隅で、三角座りをしていた。

初めて人を殺した両手は、呪われたように少しも動かなかった。


子供ながらに夢見た、正義の執行人。夢が叶ったこの瞬間の現実がここにある。


今思えば、私は少し曲がったことが嫌いだっただけだ。

間違うことが怖かっただけだ。

正義という枠に乗っかっていれば、間違うことはない。だからってだけの話だった。

少しずつ歪んでいって、決壊したこの瞬間の現実も、ここにある。



いや、別に間違ったことはしてないのか。

私が失敗していたら、被害者は計り知れなかったらしい。その中には、当然私も含まれる。

しょうがなかった。仕方なかった。

こんな陳腐な言い訳だって通じるハズだ。

だって、悪いのは向こうだから。


【こんばんは。くたばってしまえとも思える、綺麗な月だと思いませんか?】

大体こんな感じの声が、反響した気がした。

【あれ、聞こえてないですか? こんばんはー】

「……私ですか」

【そうそう! 良かった聞こえてました!】

約一日人の声に触れてなかったから、凄くこの声がうるさく思えた。

けど不思議なことに、この部屋には私以外誰もいない。外から声が聞こえるような窓の開け方はしていない。

そして、この声をずっと聞いていたら吐いてしまえそうだった。

【改めてこんばんは、ツミバさん。……いや、犯罪者さん】

悪意の籠った音だった。

「……失礼、ですね。私が罪を犯しましたか?」

【当たり前では? この世界では、一応人は殺したらいけないことになってますよね?】

「罪人を殺したんですよ、私は。何も悪くない」

【その割には、落ち込んでますね】

「……黙れ」

身元不明の声が反響してるのはどうやら私の頭の中だけのようで、部屋の中の空間を満たす声は私のものだけだった。

「アナタに何が分かるの、適当言わないで。あの時やったことは、何も間違ってない正しいことだったでしょ」

【全部分かりますよ。自分、神様なので? ……あ、神様っていうのは冗談ですよ】

「……何が言いたいの? 何がしたいの?」

【いや別に目的はないんですって。強いていうなら、一応情報提供くらいならしておくべきかと思いまして】

「私のことは、私が一番知ってる。私しか知らない」

【ツミバさんの情報なんて、そんな面白くないもの持って来ませんよ。自分が持ってきたのは、殺された側の人の情報です】

パリンと、小気味いい音が聞こえた。

棚から落として割った小さい植木鉢の破片を、勢いよく踏みつける。痛みは感じない。

「いらない」

【そんなこと言わないで、ですよ】

「いらないって言ってるでしょ」

【どうしてあんなに良い人を殺しちゃったんですか?】




【ツミバさんが殺した人、聖人君子で有名だったんですよ】


【心から優しくて、周りからも好かれて、周りを好いてて。あれほど完璧な人はいないほど】


【けど、人生に転機ってあるものなんですねぇ】


【家族が殺されちゃったらしくて。しかもとっても無惨に残酷に。その事件がきっかけで、もうどうしようもないほど狂っちゃったらしいです】


【うわー、大変な人生だったんですねー。あの人何も悪くなかったのに】


【徳って積んでも、良いことないらしいですよ】


【最後は邪魔されて、誰かに殺されたらしいですよ?】


【この世界ってのも、生き辛いモノなんですねぇ。一回間違ったら、それで終わりなんて】


【少しくらい放っておいても良かったのに】


【とっても】


【とーっても】


【厳しいんですねぇ】



棚の上に置いてあった写真が割れた。

卒業アルバムが落ちた。

何か忘れたけど表彰でもらった賞状とかがクシャクシャになった。

法律の本が宙を飛んだ。

部屋の壁に穴が空いた。

窓に亀裂が入った。

電気が点かなくなった。

もう、戻れなくなった。


らしい。

また、事件が起きた。

今度の犯人は十人殺したらしい。

そして、その人は私の目の前にいる。

惨めったらしく涙を浮かべて腰を抜かして。

「違う、訳があったんだ! 頼む! 許してくれ……!」

必死に命乞いをしていた。

持つ刀の力を少し抜いた。

「……なんで、こんなことしたんですか」

刀の先端を向けて、静かに聞いてみる。

男は、何か喋り始めた。

聞こえなかった。

というか、聞く気がなかった。




中学生くらいの時、誘拐されたことがある。

今でも、あの怖さは覚えている。はっきりと思い出せる。

ああ、ここで死ぬのか。なんて思っていた気がする。

その時、正義の味方がやってきた。

私に銃を向けて抵抗する犯人を、そのヒーローは迷わず撃った。

血が吹き出し、私の体を赤く濡らした。

ただただ呆然としていた私にその正義の味方はゆっくり近づいてきて。

そして、こう言った。


「怖かったよね? もう、大丈夫だよ」

この瞬間からもう、私の正義の夢は歪み始めていた気がする。

正しさって、格好良いんだ。

正しさって、本当に『正しい』んだ。

ああ、やっぱりだ。

今思ってもそうだ。

とっくの昔に、私は歪んでいたんだ。

面倒臭い罪悪感だけ残して、すっかり歪んでいたんだ。

だから、私はあの時迷わず殺したのか。そうか。全部、分かった。



私の腕が勝手に動いて、刀が私の心臓を突いていた。


【クァイザって言います。そういえば名乗ってなかったですね】


【私は君ですよ。他の何でもない、君自身ですよ。だから、全部知ってました】







【大義名分の元に、人を殺したことはありますか?】


【先に言っとくと、最高の気分ですよ】

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順不同 雪国匁 @by-jojo8128

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