第6話
二人が京に戻ってから少し時間が経った。あれからユウリは学校に来なかった。カヤは櫛屋の前で毎朝待ったが、彼女は姿を現さなかった。
そのまま、夏季講習期間が終わった。学校に行く必要がなくなっても、カヤは一週間図書館に通い、調べた。新種のらい病の情報をひたすら探した。
「精が出るね」
四日めに、後ろから話しかけられた。見返すとそこには、金髪の少年が立っていた。誰だっだろうか。記憶を探る。そうだ、確か烏丸の事故現場にいた……
「二週間前くらいに会った。覚えてないかな」
穏やかな声でナイルが言うと、人見知りなカヤはそっぽを向いて押し黙った。
「……らい病について調べてるんだね。珍しい。ここ数日毎日いるね。困ってるのかな。もし良ければ……力になろうか」
構わず少年が続けると、カヤは読んでいた本を勢いよく閉じた。
「どうやって? 」
強い眼差しで少年を睨みつけた。その雰囲気に気圧され、ナイルは思わずたじろぐ。この男の子は、怪しい。あの時感じた違和感に細胞が危険を告げていた。
「もし、もしもだけど。君の知り合いがらい病に罹って困ってるのなら。……僕なら、治せるかも。その方法を知ってる」
ナイルはそう言うと真っ直ぐカヤの顔を見つめた。
「新種でも? どれだけ調べても、見つからないの。医療辞典にも載ってないのよ。どうしてそんなこと言えるの? それにあなたには関係ない。なんで関わろうとするの? 」
語気を荒げてカヤが詰問すると、流石のナイルも気圧され、助けを求めるように後ろを振り返った。
「なんか全然信用がないんだけど、どうしようさっちゃん」
そう言うと、彼の後ろに小さな人影が見えた。八島サヨリだ。脅えたように俯いている。
「あ、あなた、たしか、八島さん」
「こんにちは、カヤちゃん」
カヤが思わず声を漏らすとサヨリは挨拶した。
「ごめんね、驚かせて。この子ね、ナイルちゃん言うねん。こないだうちの和菓子屋の斜向かいに引っ越してきはってん。うちらのいっこ下よ。なんや正義の味方? 目指しとるらしいよ。おもろい名前しとるけど、ええ子やで」
昔からの古都人が聞けばそれは強烈な皮肉のようにも聞こえたが、サヨリの表情には一切の嫌味がなく、カヤは固まってしまう。
「正義の味方って? どういう意味? 」
ナイルは大きな目をさらに大きくして、
「そのままの意味さ! 」
と主張した。
その異様な熱にカヤは押される。正義の味方? 何を言ってるのこの人。髪の色もおめでたいけど頭の中もおめでたいのかしら。心中の悪態はナイルに届かず、さらに前のめりになって続けた。
「たぶん、力になれると思う。僕の力があれば」
「チカラ……? 」
その言葉にカヤは反応した。あの日、ずぶ濡れの不自然な姿で現れた少年。怪しかった。まさか。カヤは心を決めた。
「……分かった。じゃあお願いするわ。あなた、病気を治せるの? 」
ナイルは顔を紅潮させ、何度も頷く。
「どうすればいいの? 」
さらに訊ねると、目を閉じて、なにか思案する。徐に目を開いた。
「……僕をその患者のところに連れて行って欲しい」
夏樹家は八坂の社の東、高齢化が著しい住宅地の一角にあった。ナイルとカヤとサヨリの三人は、夏樹家の門の前にいた。門と言ってもボロボロで違う意味で入りづらかった。
「……はよ入らな、このへんウリ坊出はるで」
サヨリの言葉に反応し、カヤは即座に呼び鈴を押す。ピンポーン、と少し甲高い、歴史を感じる呼び鈴が鳴り響いた。しばらくあって木の扉を開き、彼らより少し年上の女性が現れた。
「あら、ユウリのおともだち? 」
三人は頷いた。
「あの、ユウリに話があって、きました」
少し緊張気味にカヤが答えた。
「……そう。ごめんね、あの子なんかふさいでて。ここ十日くらい引きこもりみたいになってるの」
申し訳なさそうに謝辞を述べる。
「あの、お父さんのことで、大事な話があるんです」
それを聞いて女性は目を丸くした。
三人は先程の女性、ユウリの姉の都丸に先導され、二階の部屋の前に立っていた。
「ユウリ、お友達来たよ」
トマルがそう話しかけるとガサガサと部屋の中から音が聞こえた。起きているようだ。
「入っていい? ユウリ? 」
カヤが囁きかけるような優しい声色で呼びかける。また中から物音が聞こえた。気になって仕方がなかったカヤは、入るよ、と断り目を閉じてゆっくりと扉を開けた。
そこに居たのは、変わり果てたユウリの姿だった。
「誰?」
サヨリが恐る恐る口を開いた。するとその塊は梟のごとく首を背面に回した。ように見えた。
「……さよちゃん? カヤちゃん? 」
のんびりとした脳天気な声にカヤとサヨリは聞き覚えがあった。
「え、ユウリ? 」
カヤが驚きの声を漏らす。その塊はモゾモゾと衣を正した。変わり果ててはいるが辛うじてタヌキのような人好きする顔に見覚えがある。
「……お父さんのこと調べとったらこんなんなってしもた。もう学校行けへん」
大きな瘤が二つ並んだ目と思しき隙間からポロポロと大粒の涙が流れる。
「……あんた……本物のたぬきになってどうすんの……」
カヤはいつになく取り乱し、声を漏らすと、タヌキはさらに大玉の水滴を落とした。
「え!あんただれ!? ほんまにユウリ!?」
近所一帯に響くほど大きな声で最も驚いたのは、ユウリの姉のトマルだった。
「この七日全く見とらんかったけど、そんなんなることある!? 」
実際、ユウリの太り方は異常だった。
不意にナイルがユウリの前に歩みを進めた。
「ギャー、イケメンやめて! こんな私を見んといて! 」
プルプルと脂肪のついた二の腕を振り回しながらユウリは顔を隠す。ナイルはその異様な様を真剣な顔で見ていた。
「これは、ただ太ってるんじゃないね。病気と……脂質の過剰摂取、それと運動不足だね。もしかして、カヤさんが調べてた病気がうつったのかな? 」
そう言うとナイルはおもむろにユウリの顔を両手で掴み、じっと目を見る。突然のことにユウリは硬直した。
「はい、できた」
少年がそう言うとユウリの顔が急激に痩せていく。顔だけではない。こぶのように突き出た肩や腰も、まるで空気が抜けたタイヤのようにしゅるしゅるとしぼんでいった。そして次の瞬間、そこには見慣れたユウリの姿があった。場にいた一同はその様子を固唾を飲んで見ていた。
まさに、奇跡。そうとしか言いようがなかった。固まっていたユウリが我に返りナイルの手を払う。顔を逸らして俯いた。
「すごい……」
続けて声を発したのはサヨリだった。
「すごいやん! ナイちゃん! 伊達に正義の味方目指しとらんね! 」
サヨリは目前で起きた存外の事象より、それを見た興奮が勝っているようだった。
目を爛々と輝かせてナイルの背中をバシバシと叩いた。隣のカヤは無表情だったが、内心とてつもない衝撃を受けていた。同じく訝しげな顔をしたトマルも、警戒の色を強めた。
だが最も驚いていたのは当のユウリだった。両手で頬を触り、その後体のあちこちを確かめる。
「……何をしたの? ユウリ、大丈夫? なにか異常はない? 」
カヤが二人の後ろから警戒の声を発する。ナイルは落ち着いた様子で振り返った。
「飛ばしたのさ。らい病は確か、細菌性の病気だよね。その菌と、あとついでに異常に発達した脂肪を」
静かに答えた。
「大丈夫。彼女に異常はないよ。保証する。それで、これで……わかってもらえたかな? 僕の力」
一同はゴクリと生唾を飲んだ。
「いやしかしあんた……やっぱちょっと太ったんちゃう? 」
ただ一人冷静なツッコミを入れたのは、姉だった。
「物質を瞬間移動させる力。それが僕の能力さ。まあ信じられないだろうけど」
蒸し暑い熱帯林を歩きながら三人はナイルの説明を聞いていた。奇跡を見せた後、サヨリはユウリにナイルの素性を語り、ナイルにはユウリの事情を伝えた。ナイルは皆を連れ立ってすぐにユウリの父の元に飛んだ。
「対象は自分と、自分が認識して触れたもの。まあ僕もはっきりはわかってないんだけども。しかし。自分以外にも似たような力を持った人がいるとは知らなかった。凄いねユウリちゃん。えーと……聞いてる? 」
前を歩くユウリとカヤは黙っていた。否、カヤはブツブツとずっと独り言を言いながらなにか思案しているようだった。ユウリは見目麗しい異性に考えられない助け方をされて、柄にもなく舞い上がって緊張し、何を話せばいいかわからなかった。
「ナイちゃんはなー、正義の味方になりたいんやって。なんやけったいやなーと思とったけど、実際すごいねえー」
対照的にサヨリは満面の笑みをうかべながらナイルを褒めた。ナイルは顔を紅潮させながら、ありがとうサッちゃん! と爽やかに答えた。
「……彼女から聞いてる。君も同じような能力に最近目覚めたんだって? そんな人に会ったのは初めてだ。歳は一つ下だけど、力については僕の方が少し先輩なんで、なんでも聞いて欲しい、ユウリさん」
急に名前を呼ばれたユウリはびくりと背中を震わせる。
「う、うん! うちのこと治してくれて、あ、ありがとうナイルくん! 」
先頭を歩くユウリは振り返って精一杯元気に答えた。それを見て、無表情に思案顔をしていたカヤが少し吹き出してしまう。そんな二人を不思議そうな顔でナイルは見た。
「ともかく、今は何よりもお父さんの方が心配だ。さあ連れて行って、ユウリ! 」
「よ、呼び捨て! 」
何故か反応したのはサヨリだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます