第3話
翌朝六時にユウリは目を覚ました。ほとんど寝れていないが、頭は冴えている。早く学校に行って、奥寺カヤに能力の事を聞かなければ。そんなことを思いながら、朝食も早々に家を出た。
まだ始業していなかったが、昨日行った櫛屋の前で待機した。今朝は僅かに涼しく、昨日ほどの熱気はない。空を見上げると、ポツポツと雲の隙間から太陽の光が漏れる。お天道様見えるのめっちゃ久しぶりやな。祝福するかのように、太陽の光が彼女を照らしていた。
ぽけっとした顔で空を見上げていると、突然話しかけられた。
「何ニヤニヤしてるの、気持ち悪い」
キツネ顔の美人が現れた。全能感に満ちていたユウリはそんな悪態には耳を貸さず、見境もなく抱擁する。
「カヤちゃーん! おはよう」
眼鏡の少女は慣れない挨拶に面食らいながらも、小さい声でおはよう、と返した。抱いていた肩をすっと離して、ユウリは興奮気味に彼女に話しかけた。
「あんなー、おおきに。聞きたいことがいっぱいあんの。今日も一緒にご飯食べよ」
カヤはこくりと頷いた。
「やった! うちら友だちや! 」
屈託のないユウリの笑顔を見て、カヤは恥ずかしそうに頬を染めた。
昼休み、二人は自然と購買の前に集まった。その日は二人ともBLTNサンドにありつくことができた。屋上への階段を上る途中でユウリはおもむろに切り出した。
「ウチの能力。色々教えてよ」
そう言うとカヤは顔を背ける。その様子には迷いが見て取れた。
「……あんまり言いたくないけど、その能力は……」
何かを言いかけた彼女の手をユウリはぎゅっと握る。
「ほないこか」
ユウリは目を閉じた。二人の姿が消えた。
次の瞬間、二人の尻に硬いものの感触が現れた。イタっと思わずユウリが立ち上がろうとすると、一陣の風が包み込んだ。
「うわ……」
二人の目を捉えたのは、紫色の雲の隙間から照る日差しをまばゆく返す京の街。それは精密な模型のように小さく見える。地上の熱風と違う涼しい風が二人を通り過ぎた。まさに息を飲む絶景だった。
二人がいたのは、古都タワーの展望台のその上。つまり、屋根の部分だった。勿論、二人以外の誰もいない。
「あんた……もう」
そう咎めながらもカヤの瞳はキラキラと輝いていた。ユウリは満足気にその姿を見ていた。
「ええやろ」
そう言うと、そうね、と彼女は呟いた。
「一度来てみたかってん。やっぱり高いなあ。こんな風景は見たことない。おしり痛いけど」
二人は少女らしく声を上げて笑い、そしてしばらくもの言わず景色を眺めていた。
「色々教えてほしいねんか、この力について」
BLTNサンドを頬張りながらユウリは切り出した。カヤは何も答えなかった。
「……いけずしないでよ」
モジモジしながらユウリは抗議した。それを聞いてカヤは視線を上げる。
「こんな風に使うなら、私は何も心配しないんだけれど」
そこまで言って、彼女は懊悩した。遠くを見つめる。
「……あんた、アホっぽいし大丈夫かな」
ユウリはその返事に即答した。
「わかるよ、きっとこんな力があったら、悪いことする人はいる。だけど私は大丈夫やから。二つ数える間にアホになる子やから」
何それ、意味がわからない、とカヤは苦笑しながらため息をついた。
「いいよ、わかった。教えてあげる。この能力について」
ユウリの顔が明るくなった。
「でも、気をつけて。やってはいけない事をすると、必ずよくないことが起きる」
カヤの真剣な様子に、真顔に戻った。
「あなたの能力は、心や精神で見る風景を現実にする能力。心の中でくっきりと景色を思い浮かべることで、空間を飛び越えるの」
「……すごいやん」
ユウリは目を丸くした。カヤは続けた。
「すごいよ、それは、当然。でも、調子に乗ってはだめ。その能力は何かを代償にしているのだから」
代償。いったい何を払えというのだろう。ユウリは身震いした。身長?体重?大事なもの? なんやろ、家族とか? もしくは、寿命とか……
「……怖いこと言わんで」
思わずユウリの口から弱気な言葉が漏れた。この子は何でそんなことを知っとるのやろう。なんでこんな怖いことを言わはるのやろう。カヤは神妙な顔でそれを見ていた。
「まあ、やり過ぎなければ大丈夫よ。一日一回くらいなら、たぶん、平気。」
「……ほんまか」
先程までの怖い気持ちが晴れていく。ユウリは身を乗り出した。
「カヤちゃんはなんでそんなに詳しいの? 」
カヤの眼鏡が曇った。何かを考えるような顔でしばらく虚空を見つめている。空気を察してユウリはお茶を濁す。
「いや、無理に言わなくてもいいけど」
「昔、よく知ってる人からその能力に着いて教えてもらった。でもその人は……帰ってこなくなった」
重い話や。これ以上突っ込まん方がいい。ユウリは立ち上がった。
「わかった。気をつける。だから、教えて欲しい。明日も明後日も一緒にご飯食べよ」
強く風が吹き、ユウリの細い髪と体を揺らした。
「うー!さむ! さっさと食べて帰ろう」
両肩を抱えながらユウリは震えてみせる。それを見て、カヤはクスリと笑った。そう言えば、一日一回しか使えんのやったらどうやってこの場所から帰るのか、という疑問が浮かんだユウリは別の意味で身震いした。
その日の午後。補講を受けながらユウリは行きたい場所をつらつらと
「ゆうちゃん、なにかいてるの? ……?旅行でも行くん? 」
そう聞くと、ユウリは顔をほころばせる。
「まあ、そんな感じや」
呑気にそう言うと、アヤから厳しいツッコミが入った。
「いやお前そんなんしとる場合ちゃうやろ。まずアホを治さな」
「あやちゃんは相変わらずきついなー」
後ろを見返してユウリがぼやく。アヤは堺の何とかというところの出身で口調が荒い。
「やかましいわ」
怖いなーとユウリは思った。おもむろに訊ねる。
「ねぇねぇ、不二山行かへん? 」
ユウリが訊くと、アヤはええやん! と叫ぶ。教師が鋭く目配せして、咳払いした。何も気にせず、
「いつ行く? 来週とかどや? 」
ユウリは含み笑いした。アヤは訝しげにその様子を見ていた。
「今日とかどう? 」
ユウリがそう言うと、サヨリが首を傾げた。
「不二山そんなすぐに行かれへんちゃう? 」
ユウリの顔が悪戯っ子のようにくシャリと潰れる。
「ほなお昼休みみんなで行こ」
サヨリは首をかしげながらニコニコ頷いた。
「アホかお前! 」
アヤがすかさず突っ込んだ。
昼休み、ユウリと二人は奥寺カヤのクラスを訪ねた。
「カヤちゃーん、お昼食べよーお山で」
「……本気なの。私が言ったこと、おぼえてる? 」
真剣な表情でカヤは返答する。アヤと、サヨリはユウリの後頭部の上で指をくるくる回した。整ったカヤの顔が綻んだ。
「あ、笑った! 見た? 今の! めっちゃかわいい」
ユウリが振り返ると二人は神妙に床を見つめた。それを見てカヤが吹き出す。
「さあ行くでー」
いつもの購買で無事にBLTNサンドを手に入れたユウリは上機嫌だった。
「屋上へGOや! 」
屋上は閉まっとるやろ、とアヤはツッコミながらパシリとユウリの後頭部を叩く。その瞬間。
空気が急に涼しくなった。
四人がいたのはこの星で最も高い山の山頂。吐く息が一瞬で薄くなる。だが、そんなことはどうでもよくなるほどの視界に四人はしばし言葉を忘れた。
標高二千五百里(約1万メートル)の休火山ははるか地平線まで見渡す限り森だった。昼の薄暗い光が、一面を覆う乳房雲の隙間を抜けて四人を様々な色で照らす。雲と大地の間に直線の虹が無限の線を描いていた。
「……え? どゆこと」
呆気にとられたアヤが呟くと、隣のサヨリがとしんと腰を抜かす。
「……すごい」
カヤが感嘆の声を漏らす。
「すごいやろ。不二山や」
ユウリは得意そうな顔で腰に手をやり、居丈高にしてみせた。だが誰もそれに突っ込むことはない。数分間、四人は景色に見蕩れていた。
「……説明してあげなよ」
アヤが沈黙を破る。アヤとサヨリも我に返った。
「ウチな、飛べんねん。空間を」
要領を得ない、という顔で二人はユウリを、見つめた。カヤがフォローを入れる。
「この子頭良くないから説明するけど、本当の話。空間を繋ぐ穴を作る能力。うーん、なんて言えばいいかな……」
「せや!瞬間移動や!GOTOトラベルやで! 」
ふふふん、と鼻を鳴らしながら、たぬき顔が得意げに口を挟むと、アヤは無表情でユウリの後頭部を叩く。
「え? ほんまなん? ここ不二山? 」
サヨリがようやく立ち上がりながら怯えた声で言った。
「……現実よ」
カヤはまだ遠くの地平線を見ながら呟く。
「いや、信じるわ」
アヤも目を細めて涼しい風にサラサラの髪をなびかせた。
「私、来たことあるからわかる。間違いなくここは、不二の山頂や」
アヤの家は日本でも三指に入る資産家だ。一人娘なのでとても可愛がられており、世界中の有名な場所にはほとんど足を延ばしていた。
「え? ほんまなん? 怖い怖いこと言わんといてよ」
冷たい風に吹かれたのか、サヨリはぶるぶると身体を震わせた。
「さあ、ご飯食べるよ! 」
ユウリはそう言うとくしゅんとくしゃみをした。
「いやぁ便利やな、その能力。学校にもすぐ来れんねやろ? 」
適応力の高い若者らしく、アヤがミートボールをほおばりながら感心していた。
「いや、そんな無限の能力じゃない。ユウリは何かを犠牲にしている」
太陽光をきらりと反射させながらカヤが説明した。それを聞きまたサヨリが肩を震わせる。
「大丈夫なん? ゆうちゃん」
「大丈夫よ。一日一回位なら問題ないて、この子からきいてる」
ユウリはカヤに目配せした。
「……犠牲っていうのはなんなん? 」
まだ景色に目を細めている少女が聞くと、カヤは少し目を伏せた。
「わからない。でも……私の知ってるその能力を持った人は、能力を一日に何度も使ってた。そしてある日……姿を消した」
四人の背筋に寒気が走った。
「どういうこと? どっか違う国とかに住んどるだけちゃうん? 」
アヤが少し声を大きくする。
「絶対そうじゃない。ちゃんと家もあるし、日々の暮らしに満足してる人だった。決して家族を残していなくなるような人じゃなかった」
声を震わせながらそう続けるカヤを見て、三人は察した。
「……もしかしてその人って、カヤちゃんの……」
そう言いかけたアヤをサヨリが留めた。
「ま、ま、まあ! 私は平気や! 絶対一日一回って決めてるから。みんなで色んなとこでご飯食べよ! 」
「当たり前や! ユウリのアホ治すまで私はいなくなるなんて許さへんで」
アヤがすかさず突っ込むと、五人は顔を見合わせて笑った。
補講期間中、四人は昼休みになるたび、海、山、盆地、高層ビルの屋上、果てはユウリの家の屋根の上など、様々な所でお弁当を広げては学生らしい嬌声をあげていた。
印象的だったのは、アカン湖だった。その日京はあいにくの雨だったが、ユウリと共に四人が飛んだその最大の湖は、静けさと心地よい風、そして底まではっきりと見える巨大な湖面が、太陽の光をキラキラと照らし返し、空を映した。
濃い土の匂いを含んだ風が五人を包み、うっすらと香る香木の香りが副交感神経を刺激し、脳内物質を溢れさせる。湖面は海面のごとく水平線を形成し、空と大地の境目をあいまいにした。
その圧倒的な景色に五人は息を飲んだ。すごい、とポツリとカヤが呟くと、サヨリも頷く。
「……アカン湖か。この季節、この辺りは獣が出るから立ち入り禁止になっとる。うちも見たことないわこんな景色」
アヤが目を輝かせて誰にともなく言う。
「やっとアヤちゃん驚かせたったで」
ユウリも絵画のような風景に圧倒されながらも、得意げに返した。その目にふと、気になるものが映った。
鬱蒼と茂る森の間に微かに人工物の立方体が見える。小屋はとても小さく、ここから数里は離れているようだった。森林を管理してる人の小屋かな。一瞬逡巡したが、こんな所でそんなこと言うてもまたアホ呼ばわりされそやな、と何も言わなかった。
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