第2話
「私、あなた……夏樹さんに何が起こったか知ってるかもしれない」
ひとしきり笑ったあと、カヤは真面目な顔でそう言い放った。
「飛べるんだよ」
「……なんやそれ? 」
ユウリは聞き返した。
「場所を強く思い浮かべると、そこに移動できるの」
……なんやこの子。不思議ちゃんか。
訝しげにユウリはカヤの顔をまじまじと見つめた。彼女は真剣な顔をしていた。
「全然信じてないって顔ね。しようがない、やってみたら? 」
そう言うとカヤは長椅子から立ち上がりユウリの手を取り、屋上の端にある鉄網の柵に連れていく。手入れされていないからか、鉄柵は所々錆びてボロボロだった。ユウリは嫌な予感がして少し抵抗した。カヤはユウリを鉄柵の前に連れていき、さっきまで座っていた長椅子を指さした。
「あそこ。よく見て、思い浮かべて」
ユウリは訳も分からずじっと年季の入った椅子を見つめる。
「だいぶ古いけど、綺麗な椅子だよね。よく見て」
横からカヤがさらに付け加えた。ユウリが何気なくいたずらっぽく笑うカヤを見上げる。その瞬間、カヤはボロボロの鉄柵ごとユウリを突き落とした。
ふわっと体が遊園地の自由落下遊具のように浮き上がる。ユウリは事態が飲み込めず思考が止まっていた。
うそやろ。柵に手を伸ばす。ない。そして、視界の天地が入れ替わる。三階の窓に同級生の八島小与里の姿が逆さまに見えた。影に気づきこちらを見たユウリとサヨリの目が合った気がした。あっという間に彼女の姿は窓枠の外に消えた。うそやろ。
どんどん落下速度が上がる。半狂乱になりながらも、ユウリの頭は冷静だった。そうや。椅子。椅子……!
目を閉じて屋上の長椅子を思い浮かべる。集中するとそれはどんどんと精緻なものになっていくのがわかった。材質や形、照り返す太陽の光まで。その精度はユウリが経験したことがないほどに精密に、粒子の一つ一つがその存在感を増していく。明瞭過ぎる視界が脳に強烈な刺激を与え、血管が震えた。
その瞬間どん、とお尻に何かがぶつかった。
「ね、やっぱり」
上から声が聞こえる。ユウリは恐る恐る目を見開いた。目の前に、キツネ目の美女が腰を屈めていた。
「え……」
ユウリはさっき座っていた長椅子に座っていた。怪我はないようだ。
「気分はどう?」
まだ茫然としているユウリをカヤが気遣う。
「特に……平気……かな」
少しずつ意識が正常に働きはじめ、ユウリの頭に血が上る。
「ねえ! つ、つ、つ、つきおとしたやろ!」
カヤはごめんね、と謝った。
「大丈夫だって確信してた。絶対できると思ってた」
ひょうひょうと語る。それがまた、短気なユウリを刺激した。
「何言うてんの!? そんなん、ようわからんわ!」
食ってかかると、カヤは少し申し訳なさそうな顔をしながら、
「いや、あなた、登校の途中でも使ってたでしょ? あの耳飾り」
そう言って掌を開く。そこには、確かに登校中に気になっていた耳飾りがあった。
「硝子越しに陳列されていたのが消えて、お店の外に落ちてた。そしてさっきの購買の
ユウリは訳が分からずボーッとしてしまったが、そんな彼女をカヤは微笑ましそうな目で見ていた。
「なあなあ、さっき落ちてきてへんかった? 」
教室に戻ったユウリに藤澤亜也が詰め寄った。ユウリの後ろにはカヤが居心地悪そうに立っていた。少し不思議そうな顔でアヤはその少女を見た。
「あ、どうも……ユウリのお友達? 」
挨拶する。ユウリはきょろきょろと二人を交互に見た。
「うーん、まあ、友達かな。奥寺カヤさん」
両肩をおもむろに掴んで紹介すると、固い表情でカヤはお辞儀した。
「は、は、はじめまして」
その声はとても小さい。ユウリは滑らかな肌の感触にたまらず頬を緩ませながらカヤの顔を覗き込んだ。
「ちょっと! 見ないでよ」
こめかみを真っ赤にしてカヤが抗議する。
「なんやの? コミ障? 」
軽い気持ちで笑いながら言うとカヤは顔中を真っ赤にして押し黙ってしまった。そんな二人の様子をアヤの後ろで八島サヨリが物珍しそうに見物している。
「じゃ、じゃあ私はこれで」
手を振りほどき、カヤは足早に廊下を走っていった。
「美人さんやねえ、ええなあ」
少し肉付きの良い体型ながら、人の良さそうな顔を綻ばせてサヨリはその後ろ姿を見送った。
「それよりユウリ、お前さっき空から落ちてきてへんかったか? 」
アヤはユウリに向き直って詰め寄った。
「あやちゃんにはかなんなー。なんもないよ。落ちかけただけやし」
咄嗟にユウリは誤魔化す。流石に瞬間移動などという荒唐無稽な話をする訳には行かない。アヤはそれは大丈夫ちゃうやろ、と諭したが、ユウリはあいまいに笑ってはぐらかした。
その日のユウリは終始落ち着かず、補習も手がつかなかった。
この力。本当であればそれはとてつもないこと。もっと、もっと、使ってみたい!
放課後、サヨリたちと別れたユウリはコソコソと校門近くの路地裏に向かった。周囲に人の目がないことを確認し、念じる。
自分の家の玄関。目を瞑り、強く、強くそれを思い描くと段々とまぶたの裏の光景が現実感を増していく。並べられた靴の形や傘立て、床の塵の様子まで明瞭に見える。その瞬間、足の裏の混凝土の感触が変わった。
ゆっくりと目を開けると、ユウリは自宅の玄関に立っていた。靴が床に当たる音が鳴る。すると、奥から姉が顔を出した。
「え、ユウリ? いつの間に帰ったの? 扉が開く音聞こえた? 」
玄関の鍵は閉まっていた。姉は首を傾げた。
「うへへ、手品やで! 」
猫のように目を細めてそう答えると、ユウリの姉、夏樹都丸瑠はなおも首を傾げたままだったが、追求はしなかった。
「もう、驚かせんといて。暇なんやったら買い物行ってきて」
「はーい」
ユウリは上機嫌で二階の自室に向かった。なんて便利な能力やろ、さっいこうやな! 軽やかな足取りで部屋に入ると、階下から姉の咎める声が聞こえた。
制服を脱ぎ捨て、寝床に倒れ込む。しばらくぼーっと天井を見つめて、今日のことを思い出していた。気になるのは、カヤのことだ。彼女はこの能力を知っていると言っていた。もっと話を聞かなければなるまい。そしてこの能力について、誰にもバレないようにした方が良い。友人はもちろん。家族にもだ。下手に派手に振る舞えばきっと良くないことが起きる。勘のいいユウリは確信していた。そう思うと、迂闊に下校に能力を使ってしまったことが心配になってきた。
夕飯を食べている時も、気もそぞろといった体でユウリは能力のことを考えていた。一体、どこからどこまで飛べるのだろう? 何らかの条件があるのではないか? ぐるぐると思いを巡らせて変な顔になっていたのユウリを、トマルは何度かあんた、大丈夫? と心配したがユウリは気にもとめなかった。その日は遠足の前の日のように眠れなかった。
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