第1話

夏樹遊理は高校一年生である。苗字は「なつき」ではなく「なつぎ」と読む。

家を空けがちな父と、料理の得意な姉が家族だ。母親はある日突然いなくなった。記憶はなかった。

 

その夏、京は例年にない酷暑で、ゴリンと呼ばれる祭典のために整備された街は、蒸し器の中のような湿度だった。

しかし、古都の威信をかけたゴリンが開かれることはなかった。宇宙から飛来したと言われる謎の微生物が病を引き起こし、世界中で猛威を振るっていたからだ。

 

 

ユウリは大量の汗をかきながら、新京極の櫛屋の店頭の陳列棚を見ていた。商店街は黒色硝子で覆われていたが、それは虫眼鏡で熱されているかのような熱気をさらに増した。


不思議な形の耳飾りが彼女の目を釘付けにしている。それはブラックホールなのか渦巻なのか、螺旋型をかたどった金色の金属の中心に、星空のような細かな虹彩が見えた。蚊取り線香みたいな形しとるなこれ。そう思った瞬間、耳に違和感を感じた。

 

 

 あれ。

 

 

店の硝子に映る彼女の小さな耳に、今まで見ていた耳飾りが輝いていた。どうゆうことや。不思議に思い、彼女は耳に手を伸ばす。そこには何もなかった。再度陳列棚に目を映すと、先ほどまであった耳飾りがなくなっていた。ユウリは背中に嫌な汗をかいたが、熱気が彼女の意識を混濁させた。見んかったことにしよ。若さの勢いに任せて忘れることにした。

 

 暑い。

 空を見上げる。

 

空一面を覆っていた雲にほんの一点だけ穴が空き、ギラギラとした太陽光が、星を焼き尽くすかのようであった。 

 

 

ユウリの視界に、分厚いメガネをかけた少女が映った。少女は店の硝子越しに、こちらを凝視していた。その目は射抜くような鋭さがあった。何やの。負けじと彼女は硝子越しに少女を睨め返す。 


見たことのある制服。ユウリは彼女が同じ高校に通う生徒であることに気づいた。きつい三つ編みに奥二重のキツネ目を光らせ、ユウリの視線に一歩も引かない。顔がとても小さい。それだけでなく、よく見ると外国人のような体型だ。身長はゆうに五尺半(約165cm)を超えていた。それにもかかわらず細い。美人だった。

 

夏樹ユウリは美少女が好きだった。そのため彼女はその見知らぬ美女を思わずまじまじ見てしまった。そして自虐する。

この子。芸者さん? うちの健康体型と比較すると死にたくなるわ。あ、胸は私の勝ちやな。Cマイナーや。 

少女はユウリが向けた品定めするような視線に気圧されたのか、スッと視線を逸らした。そして足早に通り過ぎていった。

 


憂鬱な補講に向かう途中だったが、ユウリは上機嫌だった。美人に会えた。なぜかあの可愛い耳飾りはなくなってしもたけど。彼女は幸せな気持ちで校門を潜った。



午前の講義が終わり、昼休みになった。ユウリは最近お気に入りの校内購買特製のBLTNサンドを買いに廊下に飛び出した。ベーコンとレタスとトマト、そして謎の「N」の絶妙なバランスがあとを引く逸品だ。

 

購買に近づくと、夏期講習の数少ない麺麹を奪い合う生徒たちが見えた。底が覗いた箱が見える。もうほとんど残っていないようであった。眼鏡の女学生が手に取ったそれは、まさにBLTNサンドだった。おそらく最後の一個。

 

少女は念じた。あれは、ウチの! ウチの! 

 

視界がぼやけ、BLTNサンドだけが明瞭に見える。その瞬間、ユウリは何か柔らかいものにぶつかった。

 

何かが転がる音と、床が揺れる感触を感じる。

 

気付くと彼女の前に登校途中に出会った美少女がしりもちをついていた。少し遠くにBLTNサンドの包みが転がっている。眼鏡の少女はしばらく悶絶していたが、きっとユウリを睨みつけた。

「あ……ごめん」

ユウリは咄嗟に謝った。購買のおばさんは何が起きたのか分からない様子で二人を見比べた。周りの生徒たちも二人を中心に円を作り、立ち尽くした。すごい勢いで突っ込んできとったぞ、目で追えんかった、そんな声が方々から聞こえる。

 

おしりの埃を叩いて、眼鏡の少女が起き上がった。黙って転がった麺麹を拾い、衣嚢から硬貨を取り出して会計する。その間、彼女はずっとユウリを見ていた。

突然、彼女はユウリの腕を掴んだ。そのまま有無を言わさず階段に引っ張っていく。しばしされるがままになっていたユウリは我に返り、ちょっと! と腕を払った。


「屋上に行きましょう。知ってる? 屋上」

朝と同じような刺すような視線を受け、負けず嫌いなユウリの脳に血が上る。なんやけんか売っとんかこの文学少女! 知っとるわ! あれやで、めっちゃ景色ええらしいんやで!

ユウリが彼女を見据えると、彼女はユウリの目を塞ぐように左手を近づけた。虚をつかれたユウリは思わず目を塞いだ。

 

 

 

次に目を開いた時、二人は屋上にいた。

 

 

 「食べましょう」

 

 

そう言って文学少女はユウリを古ぼけたベンチに誘った。

 

どうゆうこと?

 

ユウリは白昼夢のような感覚に襲われた。さっきまで、私たちは確かに購買におった。購買は二階や。でもここは……間違いなく屋上や。

 

見上げるユウリの目に空が映る。先程空いていた雲の穴は見つからなかった。薄い雲の奥から紫色の光がユウリの瞳を照らす。

「綺麗でしょ」

文学少女は嬉しそうにそんなユウリの様子を見ていた。


長方形の屋上は、体育館ほどの広さがあったが、手入れをされていないのか、あちこちから雑草が混凝土を突き破って生えていた。

遠くには苔に覆われた雄大な山々が、光に照らされ、うっすらとその姿を覗かせた。

麓の方に街の象徴とも言うべき尖塔が見えた。噂は聞いていたが、なんという景色だろう。ユウリはしばしそのまま見入っていた。


彼女は入学して半年、屋上に来たことがなかった。入学案内の小冊子でしかその様子を知らなかった。屋上は閉鎖されているからだ。そこに今、なぜか居る。一体何が起こったのだろうか。ユウリは遠くに霞む不二の山麓に目を奪われていた。

 

 「……ねえあなた、わかってるの? 」

と、文学少女はユウリに尋ねた。

「わからへん」

ぶっきらぼうに答える。まだ意識は絶景に目を奪われていた。

「やっぱり」

見た目によらず肝の太い女の子やな、とユウリは思った。彼女に目をやる。

「うち、夏樹ユウリ。あんたは? 」

「奥寺華弥」

文学少女はぶっきらぼうに答えた。その口元には、先程買ったBLTNサンドがあった。

「……ちょっと、それうちのやって言うたやん」

ユウリはそう言って口元を緩ませた。釣られるようにカヤも笑う。いつの間にか二人は、訳も分からずお腹を抱えて大笑いしていた。

 



 

 

 


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