1-2

「いえお父様。私はその求婚、断ろうと考えております」

「おや、そうなのかい?」

 ルビィの言葉を聞いて、父は一瞬だけ驚いた表情をしてから優しく問いかける。

 その視線を真っ直ぐに見つめて、ルビィは深く頷いた。

「私には婚約者がおります。私は彼と共に生きたいのです」

「あぁ、エーデルくんのことだね? ルビィが彼をそれほど想っていたのは意外だけれど……それならばいいんじゃないかな」

「本当ですか? お父様としては私が侯爵様と結婚した方が嬉しいのではないですか?」

 ルビィは問いかけながら、父の表情をじっと見つめる。

 ルビィはこの時点で実家であるギーセン男爵領が没落寸前にまで財政破綻していたことを知っていた。

 父にとってはルビィと侯爵の縁談は渡りに船を得たようなものだったはずなのだ。

 だからこそ、ルビィは侯爵との結婚を推し進めようとしない父を訝しんでいた。

「本当だとも。よく知らない侯爵様よりは誠実なエーデルくんの方が私も安心してルビィを任せられるからね」

「誠実、ですか? あのエーデルが?」

 ルビィは父の言葉に少しだけ驚きに目を見開く。父親がそれほどまでに婚約者を肯定的に見ていることをルビィは知らなかったのだ。

 ルビィの知るエーデルといえば、会えば互いにちょっとした皮肉を言い合う程度の相手である。ちょっとしたきっかけで婚約者となったエーデルではあるが、ルビィはあまり良い印象は持っていなかった。

「誠実だとも。婚約が決まってから週に一度は必ず手土産を持って訪ねて来るところも、私に挨拶を欠かさないところもね」

「それだけで誠実なのですか?」

 週に一度婚約者に会いに行く。それは婚約者ならば大したことでもないように思えて、ルビィには父の気持ちが理解できなかった。

「彼は騎士見習いだろう? 自分に使える時間も金銭もほとんどないはずだよ。それに挨拶の度に今後の計画を話してくれてね。必ず大物になってルビィを幸せにするから安心してくれと言うんだよ」

「彼がそんなことを。てっきり彼は私に興味などないのかと思ってました」

「そんなはずないだろう。婚約を申し込んだのも彼じゃないか」

「それはそうですが……」

 父に曖昧な返事をして、ルビィは困惑したように俯いた。

 ルビィはエーデルが婚約をしたのは男爵からの後援が欲しいからなのだと思っていた。

 ルビィの記憶に残るエーデルは、何よりも騎士になることを重視しているかのような姿しかないのだ。自分のことを気に留めているとさえ思っていなかった。

「今日も彼から来訪の申し出が来ているよ。今日は大切な話があるとかで、もう門前まで来ているらしい。とはいえ、侯爵様の応対をするために断ることも考慮はしていたのだけどね」

「大切な話、ですか」

 前回では侯爵と会うことを優先してエーデルに帰ってもらったことをルビィは記憶していた。

 その後流れるように侯爵家へと移ったルビィは、結局エーデルと再び話すことはなかったのだ。

「聞きたいです、彼の話。門まで行けば会えますよね」

 今度こそは正しい道を選ぶと決めたのだ。今だけでも前回は知らなかったエーデルの一面を知れた。もしかするとエーデルこそが幸せの鍵になるかもしれないと、ルビィは妙に高鳴る気持ちに任せて寝台から立ち上がった。

「その格好で行くのかい?」

「彼ならきっと気にしません。それよりも今は彼に会いたいです」

「おやおや。なら行ってくるといい、侯爵様の件は私から断っておくよ」

「ありがとうございます!」

 少しだけ優しい目になった父に手を振ってルビィは部屋から飛び出す。

 部屋前に待機していた使用人の驚く顔を見ることもなく、ルビィは門まで駆けていった。


「……エーデル!」

 門に辿り着いて息を整えてから、ルビィは門の前に待つ黒髪の青年に声をかける。すると、少し生意気そうながらも綺麗な顔がルビィへと向けられた。

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