第10話 部長の話②

「メリークリスマス、お嬢さん」


 極めてダンディな声でそう聞こえた。

 信じられないが、その声は間違いなくボクの上に佇まっている白うさぎから発せられるものだった。


「だ、誰……?」


 ボクは無意識のうちにそう尋ねていた。


「見れば分かるだろう。うさぎだよ。何の変哲もない白いうさぎさ」


「何の変哲もないうさぎは喋らないと思うけど…」


「はっはっはっ、まあそんなことはどうでも良いじゃないか」


 そう言ってうさぎはベッドから飛び降りると、その真っ黒な丸い目で呆然としているボクを見上げた。


「着いて来るといい。いいものを見せてあげよう」


 その怪しげな誘いにボクはなぜか抗うことが出来なかった。


 ◇


 一体どこへ行くのだろうと思いながらうさぎの後を追うと、その足が止まったのはボクの家のキッチンだった。


「さあ、コンロの火をつけてみなさい。準備はもうしてあるから」


「どういうこと?」


「いいから、さあ」


 訳が分からなかったが、ボクは言われた通りにコンロのつまみを回して点火した。次の瞬間、


「わあっ!?」


 ボクは驚いて尻もちをついた。

 目の前のガスコンロから見上げるほど大きな青い火柱が立ち上っていた。


「よし、上手くいったね。それじゃあ中に入るとしよう。お嬢さん、炎に触れてごらん」


 うさぎは平然とそう言った。


「そんなの無理だよ!火傷しちゃう!」


「はっはっはっ、大丈夫だよ。手をかざしてみなさい。全然熱くないから」


「ええ……?」


 ボクは恐る恐る炎に手を近づけた。

 すると不思議だ。確かに全くと言っていいほど熱を感じなかった。


「ほんとだ……。熱くない」


「だろう?私がお手本を見せるから君も続くといい」


「え?」


「さあ、行くよ!」


 うさぎはおもむろに炎の中へ飛び込んだ。

 そしてジュッという音と共にその姿が消えた。


「あぁ!死んだ!」


「死んでないよ!早くお嬢さんも来なさい。すぐに閉じてしまうから」


 炎の中からそんな声が聞こえた。

 どうやら本当に死んでいないらしい。


「でも、怖いよ!」


「ああ、怖いだろうさ。でも勇気を振り絞って!」


「ううん……」


 ボクは足がすくんでいた。でもここで行かなかったら何か大きな損をするような気がする。


 だからボクは目を瞑ったまま炎の方に手をかざした。そして一歩だけ足を進めると、


「わ!?」


 全身が炎の中へ引きずり込まれた。

 温もりがボクの身体を包み込んだ。


 ◇


 気がつくとボクは森の中で仰向けになって寝転んでいた。

 生い茂る木の葉の隙間からチラチラと星の光が垣間見える。


「気がついたかい?」


 いつの間にか隣にいたうさぎがボクの顔を覗き込みながら言った。


「ここは?」


「ジブの森だよ。それよりも立てるかい?ここから少し歩くよ」


 訳の分からないままボクはゆっくりと立ち上がり先導するうさぎに着いて行った。

 炎をくぐった先が森だなんてなんともありえない話だけど、その時にはもう諦めたように状況を飲み込んでいた。


「そういえばお嬢さん、裸足だね。そのままじゃあ危ない。靴を履かせてあげよう」


「え?」


 するとボクの足元が淡い光に包まれる。

 少しして光が収まると、ボクの両足に使い慣れたスニーカーが装着されていた。


「すごい、なんでも出来るんだ!」


「そんなことは無いよ。誰しも、出来ないことの方が多いものさ」


 それから10分ほど、特に会話もなくボクたちは森の中をひたすら進んだ。

 時折小動物の蠢く音がしたけれど大して気にならなかった。


 ボクの背丈ほどもある茂みを越えると視界が開けた。そこは崖だった。

 今までとは異なり、満点の星空がこれでもかとばかりに光り輝き存在をアピールしていた。


「うわあ、綺麗だね」


 ボクが言うとうさぎはフルフルと頭を揺らした。


「こんなものまだまだ序の口だよ。少し待っていなさい。竜車を呼んであるから」


「りゅうしゃ?」


 ボクがその聞き馴染みのない言葉の意味を考えるよりも早かった。

 大きな影が星の光を遮る。

 そしてその影は砂埃を撒き散らしながらゆっくりとボクたちの前に着陸。


 砂が入らないよう細めていた目を開くとそこに居たのは巨大なトカゲ、いやドラゴンだった。

 流石にド肝を抜かれたね。


「おお、ちょうど良いタイミングだね。それじゃあ行こうか」


 一方の白うさぎは憎たらしい程に淡白にそう言った。

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