第3話 11階

 約束の時間の五分ほど前に、俺は部長のマンションの一回にあるエレベーターホールに到着した。部長はまだ来ていないようだ。

 高校生が深夜に出かけるなど親が止めるものではないのか、と思う方もいるかもしれないが、実は高校入学を機に実家を離れ、今は下宿先で悠々自適に一人暮らしをしている。そのため、誰も俺の不良的な所業を咎めるものはいないのだ。

 ちなみに部長のご両親は海外へ長期出張中のため、こちらも叱られる心配はない。


 それから20分ほど経過した後、三つあるエレベーターのうちの一つが稼働し6階へ向かった。そしてすぐに俺のいる1階に戻ってきたかと思うと、中からパジャマ姿の部長が降臨した。

 パジャマは水色っぽい生地で、胸のあたりには猫のシルエットがプリントされている。少し乱れた髪や気だるげな表情を見るに寝起きであるのは明白であった。


「ふぁあ……。ごめん、さっきまで寝てた」


「でしょうね」


 俺はあくまでも冷静に返した。

 15分近く遅刻している!だとか、着替えてから出てこい!だとか、不平不満は多々あるがいちいち突っかかっていてはきりがないので、ぐっとこらえるのが部長と関わるコツだ。それ以前に部長と関わらないのが人生のコツであるが。


「それじゃあ、さっそく乗りなよ」


 そういって部長は親指で自分がさっき乗ってきたエレベーターを指さしながら、スポーツカーで彼女を迎えに来た彼氏のようなセリフを吐いた。

 俺は無言で頷くと部長と共にエレベーターに搭乗した。


 マンション自体もそうだがエレベーターの中も相変わらず綺麗だ。

 照明は暖色系で、床には赤い絨毯。大理石模様の壁面が高級感を醸し出している。

 扉の右側に操作ボタンが並べられており、さらにその上方の電光パネルに現在の階数が表示されている、といった塩梅だ。


「えっと……、まずは7階か……」


 部長はどこからか取り出したメモ帳を見ながらエレベーターの操作を始めた。

 初めに7階に昇り、その次は9階、そして2階まで下り……。と、こんな感じでこの後もまだまだ続くのだがこれ以上は割愛させていただく。というか、俺自身眠気のせいでうつらうつらとしていたためよく覚えていないのだ。


 10分以上に渡る上下運動の末、部長は最後に一階のボタンを押した。

 ネットに書かれていた情報によると、ここで一階まで下りたエレベーターがひとりでに動き出して本来あるはずのない「11階」にたどり着くらしいのだがはたして……。


『一階です』という無機質な音声の通りに一階に到着した。パネルの表示も当然「1」である。


「…………。」


 しばらく静寂が続いた。


「何も起こらないね」


「ですね」


 また静寂。


 …………いや、ちょっと待て。


 というのはありえないはずだ。

 だって指定した階に到着した際には毎回自動で扉が開いていた。


 そう思った瞬間、俺の脳内に一気に不安が広がる。

 それと同時に、


 ゴウンッ


 と音を立ててエレベーターが上昇し始めたのだ。俺たちがなんの操作もしていないのにも関わらず。


「ちょっ!?部長、勝手に動き始めましたよ!」


「落ち着けよライト。上の階にいる人が操作しているのかもしれない」


 焦りを隠せない俺とは対照的に、部長は普段の飄々とした態度を崩さない。

 確かにそれなら上昇している説明はつくが……、しかしそれでも先ほど扉が開かなかった理由は不明のままだ。


 俺の不安を完全に無視してエレベーターは尚も上昇を続ける。


 3階、4階、5階……、一向に止まる気配はなく、心なしか昇る速度が普段より速いように感じる。嫌な汗が全身から滲みだす。


 7階、8階、9階……、そして最上階である10階。電光パネルが「10」を表示したと思ったら、


『ジッ、ジジっ、ジ、ジジジジ、ジッカい、ジッカイ、ジジッカイデデす』


 完全に壊れたスピーカーのような音声がエレベーター内で響いた。

 そして、10階に到達したはずなのにエレベーターはまだ動きを止めなかった。


「部長!これ、本当にマズくないですかッ!?マジで壊れてますって!!」


 俺は心からの叫びをそのまま口に出した。しかし部長は、


「はははは!!やったぞ!ついに成功だ!!とうとう異世界へ行けるぞ!」


 口を大きく開けて歓喜の叫びを上げていた。俺は今この状況よりも、楽しそうに笑っている部長の方が怖くて仕方なかった。


「あんた何言ってんすか!!そうだ、非常ボタン押しましょう!これ、完全に壊れてますから!!」


「おいライト!余計なことをするんじゃない!ここまで付いてきておいてボクの邪魔をするつもりか!!」


「いや邪魔とかじゃないですから!壊れてますからこれ!!」


 非常ボタンを押そうとする俺と、それを阻もうとする部長。

 必死に取っ組み合いながら、なんとかお互いに自分の意思を貫こうとする。


 しかし、そうこうしているうちに俺は見てしまったのだ。いや、見えてしまったのだ。


 パネルの表示が「10」から「11」へ切り替わる瞬間を。

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