異世界中毒者の青春

朔壱平

第1話 オカ研の堕落

 北紅葉きたもみじ高校オカルト研究部部長、原 桐子はら きりこの関心は専ら「異世界転移」に向けられていた。

 異世界というのは端的に言えば現実世界ではないどこか別の世界のことだ。

 本当にそんなものが実在するのか、なんとも胡散臭い話であるがそれを証明するのが我がオカルト研究部の宿命であると部長は述べる。


 実際部長の異世界に対する執念は凄まじく、薄気味悪いトンネルを何十回も往復したり、エレベーターのボタンを意味不明な順序で押したり、丑三つ時に鏡の前で「ボクを連れていけ!」と絶叫したりと、来る日も来る日もあの手この手を使って異世界に至るためのアプローチに身を捧げていた。


 先日、とうとうムキになった部長が貨物トラックに轢かれようと車道に飛び出した時には「それじゃ転生だろうが」と本気の殴り合いに発展した。そこで二度と命にかかわるような危険な真似はしないと約束させたのだが、正直信用はできない。


「……ネモリウス・インフェルヌム、ヴェニ・アド・メ・アビッシ・エクサウディ、デーモニウム・レヴァラーレ…………」


 そんな部長は窓もカーテンも閉め切った薄暗い部室で怪しげな書物を片手に何やら呪文のようなものを唱えていた。


 相変わらず見た目だけはいいなあ、とつくづく思う。動くたびにボリュームのある茶髪のショートヘアがふわふわと揺れ、目鼻立ちは綺麗でどこか理知的な印象を抱かせる。スタイルも抜群で、胸の大きさは謙虚過ぎず主張し過ぎず、絶妙なところで保たれていた。これであの性格でなければ今頃オカルト研究部は校内で最も部員の多い覇権部活動となっていただろうが、そんなありえないことを空想するのはこの辺にしておこう。


 部長の前のテーブルには画用紙が広げられており、そこには赤ボールペンで円や多角形から構成される魔法陣が描かれている。部長曰く、まず魔法陣から悪魔を召喚し、そこで失礼なことを言って怒り狂った悪魔に冥界へ引きずり込んでもらう作戦らしいのだが、まず悪魔がいる前提で作戦が立てられているのに疑問を抱くのは俺だけだろうか。


 呪文が終盤に差し掛かったのか一層声を張り上げる部長をよそに、俺は本棚に並べられていたライトノベル「ハゲ治療は異世界で」を読んでいた。若ハゲに悩まされる主人公・丸山光一がふさふさの髪を生やすために異世界で奮闘する冒険活劇なのだが、これは一旦置いておく。


 十数分に渡る呪文を唱え終えて軽く息を乱している部長が俺に言った。


「ねえ、ライト。悪魔、召喚できてる?」


 ライト、というのは俺のあだ名だ。本名は田中 咲也たなか さくやという。部長曰くいつもライトノベルを読んでいるからこのあだ名らしい。勘違いしてほしくないのだが俺は好き好んでライトノベルを読んでいるわけではない。部室に置いているのが嘘くさいオカルト雑誌かドマイナーなライトノベルの二択だからそういう風に見えるのだ。


「多分できてませんよ」手元の本に視線を落としたままそう答えると、部長は不満そうに唸った。


「お~い、ちゃんと見てから言えよ。というか暗い中で本を読むな。目が悪くなるぞ」


「あんたが電気消してカーテン閉めたんでしょうが」


「はは、たしかに」


 部長は乾いた笑いをこぼしながらテーブルに身を預け、展開していた魔法陣をぐしゃぐしゃと丸めると部屋の隅にあるゴミ箱目掛けて放り投げた。紙の塊は明後日の方向に飛んでいき、壁に跳ね返って俺の頭に衝突した。


「捨てるならちゃんと捨ててください」


 俺が渋々魔法陣だったものを拾い上げてゴミ箱に入れると、部長はにやりと笑った。


「ほら、ちゃんと捨てられただろ?ボクはライトが捨ててくれるのを予知していたのだよ」


「……ちっ」


「ちょっとお、舌打ちはやめろよ。空気が悪くなるだろ」


「空気が悪いっていうなら窓開けてくださいよ。さっきから蒸し暑いんですよ、この部屋」


 今朝の情報番組によるとついにこの地域も梅雨に突入したらしい。幸い雨は降っていないが湿度が高く、室内の蒸し暑さは最高潮に達していた。

 俺の言葉を聞いた部長はおもむろに立ち上がった。珍しく素直に言うことを聞いてくれるのかと見ていると、部長は壁に立てかけていた自分のバッグに手をかける。


「いや、今日はもう帰ろう。悪魔召喚は失敗したし、新しい算段を考えなくちゃね」


 全く自分勝手な人だ。この小一時間を無駄にしてしまったことに少し罪悪感を覚える。まあイセハゲ(「ハゲ治療は異世界で」の略称)を50ページ近く読み進められただけよしとしよう。

 本を閉じて棚にしまおうとすると、それを見た部長が言った。


「あ、そういえばイセハゲ新刊出てるよ。帰りに買っていこうぜ」


「え、はい」


 そうして我らオカルト研究部は、只今絶賛活動中である野球部のノック練習を眺めながらいそいそと帰路についたのだった。

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