魔法詠唱学概論。

これは魔法詠唱学の前提であるが、

魔法を発動する際に行う詠唱に、

特に意味は無い。

本来であれば詠唱を行わずとも望んだ結果を得ることが可能だ。

詠唱を行うことで効果が増大したり、精度や展開速度が速まるというようなことはない。

そうした例もあるにはあるが、詠唱を失敗したことにより、発動がめんどくさくなったり、意識が途切れて魔法そのものが失敗するケースさえある。

では、何故我々が魔法を行使するにあたり言葉を用いた詠唱を必要としたのか。

それを今から諸君に講義しよう。


さて、魔法詠唱の起源は今から1500年前、勇魔大戦に遡るのだが、知っての通り勇魔大戦は、魔王と呼ばれた魔人族の頭目と人間族の代表であった勇者の戦いを主とした一連の戦だ。

そして魔法詠唱学会では、魔法詠唱はその勇者を起源とする説がもっとも有力とされている。

厳密には以前にも、詠唱を行う動きはあったとの見方もあり、実際2700年の文献にもそうした記述はあるのだが、決定づけたのは勇者だ。

勇者は魔法を行使する際、どんな些細な魔法現象でさえ全て口に出す人物だったと当時の魔王・ゼディオロヴァルメギウス氏が証言している。

余談だが氏は健在で、今はニシュリオ山でヒメクラテス草を発酵させたヒメクラ茶農家をされているそうだ。


ところで、勇者なのだが実は元々はこの世界の住人でなかったとの記録がある。

彼はこの世界を救うために女神様が導かれたとの伝承が囁かれていたが、これについては、手違いで拉致されるに至った事実を勇者に仕立て上げることで女神様が隠蔽していたと発覚し先日40代に渡る裁判の末に勇者子孫側が勝訴したのは記憶に新しいな。

さておき、勇者は異邦人であり、魔法ネイティブで無かったため、魔法理論を一度口に出し言語に置換しなければ魔法を発動できなかったとの記録がある。


それまで我々は魔法を呼吸のように出来ていた。

その為口に出すという発想すら無く、寧ろ彼の行為は新鮮に映った訳だな。

つまり、呼吸しますと宣言しながら呼吸をしていたということになる。これが存外民衆にウケたとミスディオール王国史にも記述されている程で、反響は推して知るべしだな。

面白がられたことは言うに及ばずなのだが、それよりも、勇者は段違いに高い魔法適正を持ち、地図を書き換えるほどの絶大な魔法を行使できた為、憧れや畏敬を集めたとされている。

つまり、勇者かっけぇ。

そのリスペクトで詠唱文化は広まったのだ。

ちなみにゼディオロヴァルメギウス氏もその一人で、魔人族に魔法詠唱の文化を定着させたのは氏の活動の影響が大きいとされている。

氏は、戦いの中で如何にも真面目な顔をして5分間にも及ぶ絶大な魔法詠唱を一言一句噛むこと無く行った勇者に感銘を受けたと当時のことを語っている。

そして氏の心を動かした勇者の魔法詠唱は、終わり無き勇魔大戦を終わりに導くに至り、その結果として今日の平和があり、魔法を行使する際に囁かれる魔法詠唱とはつまるところ、平和の祝詞でもあるのだ。


と、魔法詠唱学の起源については以上だ。

こうして魔法詠唱学の門を叩いた諸君には、その歴史と文化と実践的な詠唱を学ぶと共に、彼の勇者のように平和を愛する心を持ってもらいたい。


これはあくまで私見だが、勇者の魔法とは本来意味を持たない詠唱によって人々の心を、世界を変えたことなのだろうな。

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