第28話 眠気と違和感

 言い訳をさせてもらうと、別にこれは不順な……性的な思いからではない。

 

 大変だった仕事のプロジェクトが終わって、その打ち上げで歓喜あまって仲間内で抱き合う……そんな感じである。


 そして、俺の理性はその衝動に猛烈にあらがっていた。

 さすがにそれは完全にアウトな案件だ。

 俺みたいなオッサンがクレアのような少女を抱きしめるなど——。

 

 それに朝令暮改のように言葉を翻して何なのだが、クレアのような魅力的な女性を前にして性的な欲望が全くない訳ではないのだ。

 

 とまあ……こんな風に俺は理性と本能とがそれぞれ脳内でせめぎ合いの会話を繰り広げていたのである。

 

 今までのところはギリギリ理性が本能を論破していた。

 が……そこに来て、この事態である。

 

 当然、本能の方が一気に優勢になってしまう。

 俺はせめてクレアに密着されている間だけは、生理的な現象が起きないようにしようとなんとか敗北寸前の理性を働かせる。

 

 そんなことになったら、はっきり言って先ほどまでの感動的なやり取りが台無しである。

 

 俺はそんな風に一人勝手に内々の闘いを繰り広げて苦悶の表情を浮かべながら、視線をふと斜め下に向ける。

 

 と……何故か白が前ではなく一瞬俺の方を向いていた。

 そして、何故か白はニヤニヤとしたり顔をしているように見えた。


『主殿。わたしの気遣いはどうだ?』

 

 白はそう言っているように思えた。

 

 白の奴……。

 空気が読めるのか読めないんだか……。

 

 白はすぐに前へと向き直り、

『よし。主殿、少し飛ばすぞ』

 と、さらにその疾走の勢いを増す。


「ちょ、ちょっと待て。これ以上は——」

 

 幸か不幸か、その後は、白の上から振り落とされないように必死になっていたため、俺の本能は大分抑えられることになった。


            ◇◇


 先ほどと同じく騎乗している間は色々と緊張を強いられていたせいか、やはり乗っていた時間がどれくらいかは曖昧だった。

 

 白が『着いたぞ』と言った時、俺は先の反省を活かして、思いっきり体を踏ん張ったのだが、今回については白はかなりゆっくりと止まってくれた。

 

 それができるならさっきもそうしてくれよ……と俺はそう恨み節を心の中で言う。

 とはいえ、ようやく騎乗が終わって地に足をつけられることに俺はほっとした。

 

 いや……本当のことを言うとクレアから離れることが少しばかり残念ではあったのだが……。

 

 しかし、これ以上密着状態を続けると、色々と俺の理性も限界を迎えるであろうから、やはりこれで良かったのだ。

 

 俺はそうひとり自分で自分を納得させる。

 白から降りて、視界を周りへと向ける。

 やはりこの数日見なれた景色と変わらない。


 鬱蒼と茂った木々と下草が繁茂しているだけだ。

 しかし……少しだけ今までと違うものが目に入る。

 近くに小川があったのだ。 

 

 意識して見ないとわからないほどに小さな水流だが、一応水自体はある。


『ここなら休めるぞ』

 

 白はそう言うと、小川とは反対方向に向ける。

 そう言われて視界を向けると、そちらは地面が隆起しており、崖のようになっていた。

 

 目を凝らすと、崖の一部に縦横二メートルほどの穴が開いている箇所がある。

 白がそちらの方へとさっさと向かうので、俺とクレアもとりあえず白の後に続く。


 近づいて見ると、先ほどの穴は一種の自然洞窟のようなものであることがわかった。


 奥行きはせいぜい数メートルといったところだが、数人が中にとどまることができるスペースはある。


 確かにここなら最低限の雨風をしのげて、休息することができるだろう。

 小川も近くにあるので、水場も確保できるし、数日程度なら問題なく滞在できるかもしれない。


 食料も数日程度なら量を減らせばなんとかなる程度にはまだ残っているしな……。

 今後についての有効な手立ては今はまったく頭に浮かんでこない。


 とりあえずここで数日野営するのもやむを得ないのかもしれない。

 頭上を見上げると、いつの間にか空は陰りを見せていた。


 森の中は夜が来るのが早い。

 もともと薄暗いから、少しでも日が傾くと、一層その暗さが増すことになる。


 2日程度の経験でも十分それは実感していた。

 そして、夜の森の中がどれだけ真っ暗で危険なのかも……。


「今日はとりあえずここで休むか……」

 

 そんなことを考えていたせいか、俺は思わず暗いトーンでそう呟いてしまう。


「……ルドルフ様。申し訳ありません。わたしのせいで……。本当ならルドルフ様は街の宿で休めたはずなのに……」


 いつの間にかすぐ後ろにいたクレアが、苦悶の表情を浮かべている。


「え……い、いや……クレアが気にすることは全然ないから。別に俺は森の中の野宿もけっこう好きだし……はは……」

 

 と、俺は精一杯とりつくろうが、我ながら嘘くささは拭いきれなかった。


『主殿はよくわかっているな。人族が作った粗末なねぐらなんぞよりも、母なる自然が作り上げたこの洞窟で寝た方がよっぽどよい』

 

 白は心底そう思っているのか、ウンウンとひとり頷いている。  

 白のやつ……本当空気が読めるんだが……読めないんだか……。


 計算してやっているなら大したものだが。

 いずれにせよ白のおかげで、うまい具合に話しがそれてくれたから、クレアもそれ以上は何も言ってこなかった。


 と……一応の寝床を確保できた安心感からなのか、不意に急激な疲れと眠気が全身を覆う。


 さすがに今いきなり寝る訳にはいかないと頭を振って、眠気に立ち向かう。


 その様子を見ていたのか、

『主殿。疲れているのなら、とりあえず寝たらどうだ』

 と白が言う。


「え……いや、しかし——」


『安心しろ。ここはわたしの縄張りだ。魔獣の類いも滅多に立ち入ってこない。まあ念のためわたしが見張りをしておくから、主殿はゆっくりと休むがよい』


 確かに白が言うように魔獣の気配——唸り声——はここに来てから全く聞こえない。

 その静けさが無意識に緊張していた俺の神経を弛緩させて、眠気を誘ったのかもしれない。


 しかし……縄張りって。

 考えてみたら白は仲間らしき同族に襲われていたけど、あれは本当に同族だったのだろうか。


 いやそもそも白は魔獣なのか。

 白はこれまでひとりでここに住んでいたのか。

 白に関する疑問が次々と頭に浮かんでは消える。


 疑問はつきないが、今は眠気がまさってしまいそれ以上は深く考えられなかった。


「それはありがたいけど……まずクレアが休んだらどうだ。俺よりも疲れているだろうし」

 

 と、強がって見るが、実際のところ緊張の糸が切れたのか、俺は本音では猛烈に横になって休みたかった。

 

 クレアは俺のその情けない強がりを見抜いてしまっているのか、

「わたしはまだ大丈夫です。わたしのせいでルドルフ様にいらぬご心労をかけてしまったのですから、どうぞかまわずお休みください」

 と、いつもよりさらにかしこまった口調で俺が望んでいることを言ってくれた。

 

 こういうクレアの過剰な優しさに甘えてはダメだ、と思いつつも眠気は一層強まっていた。

 

 いや……にしてもこの強烈な眠気は少し異常な気がする。

 なんか……おかしい。

 

 白とクレアの態度もどこか不自然なように思えた。

 そう思いつつも、いよいよ俺は立っていることすら困難になるほどに、急激な眠気が全身をおそう。

 

 俺はほとんど倒れるように洞窟の壁に手をついて、その場に倒れ込む。


「ルドルフ様——」

 

 クレアが駆け寄ってきたのと、それを見つめる白の目……。

 

 その目は妙に鋭い——


 俺はそのことに違和感を覚えたのだが、それを最後に俺は完全に意識を失ってしまった。

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