第23話 喋りだす獣

 俺は気持ちを落ち着かせようと大きく深呼吸をする。

 そして、白の方を見て、誰に聞かせる訳でもなく、心の内を吐き出す。


「人は難しいよ。俺がもう少し他人の気持ちを理解できたら、クレアも俺の前から姿を消さなかったのかもな……」

 

 白は相変わらず悲しげに「グルゥゥ……」と唸るだけ——


『主殿』

「え……な、なんだ?」


 俺は、突然耳に木霊した女性の声に驚き、慌てて周囲を見回す。

 しかし、そこには予想どおり、近くにも遠く離れた場所にも女性はおろか人間は誰もいない。


『主殿。本当にわからないのか?』

 聞き間違えではない。

 確かに女性の声がする。


 そして、その声がする方向には——


 白がいた。


「え!? な……」

 

 俺は、目の間の現実がすぐには信じられなかった。

 あまりにも非現実的なことが起きているからだ。

 

 獣の白が女性の声を出して俺に話しかけているのだ。

 それも俺が理解できる人の言語で——

 

 ついに頭がおかしくなってしまい幻聴を聞いているのだろうか。

 

 一瞬そう思ったが、この世界に来て何度も体験したように、すぐに目の前の圧倒的なリアルが俺のこれまでの常識を打ち砕いていく。


『主殿。あのエルフの女が我々から消えた理由が本当にわからないのか』


「し、白……お、お前なのか。お前が話しかけているのか。俺の幻聴ではなくて」


『さっきから……何をいっているのだ? 当然だ。ここにいるのはわたしと主殿だけだろう』


「い、いや……そうだけどさ。お前はその……人じゃなくて……獣だろ」


『……主殿。言葉を解するのは人族だけではない』


 そう唸る……いや話すと、白は怪訝な表情を浮かべる。


「そ、そうなのか……。ひょっとして……それってこの世界では常識なのか?」


『主殿……。主殿に対してこういうことを言うのは気が引けるのだが……。主殿は、力だけではなく知識の方も学ぶべきだな』


 白はそう言うと、少し呆れたような顔色をする。

 って……言葉が通じると、何か妙に白の感情とか表情がこれまで以上にわかってしまう……気がする。


「はあ……まあ。わかったよ。というかもう納得するしかないか。現に俺はお前とこうして会話をしている訳だし。まあ……これが全部俺の幻聴というよりは、現に話しているという方がまだ可能性的には高そうだし」


『主殿。はじめて見た時から思ってはいたが……。主殿は随分と変わっているな……。そのような考えをするのもそうだが。人がエルフと仲睦まじくしているのも珍しい』

 

 エルフ——クレア。

 そうだ!


 獣である白と会話をしていようが、俺の幻聴だろうが、なんでもいい。

 クレアを見つけなければ!


「白。お前さっきクレアが消えた理由を知っている風な口ぶりだったよな? 何か知っているのか」


『知っているも何もな。むしろ主殿がこんな簡単なことに気づいていない方が驚きなのだが……』

 

 と、白はそう言うと、その黒い目を俺の方に向ける。

 そして、やや間を空けた後で、


『まあ……そういうところもまた主殿の魅力なのかもしれんが。だから、あのエルフの女も自ら消えたのだろう。フフ……主殿も罪な男よな』

 

 と、何故か吠え……いや笑っている。

 白の言葉はわかるが、意味はさっぱりわからない。

 

 やはり、獣と人とでは常識や認識が違うから、互いに理解できる言葉を交わせても意思疎通が難しいのかもしれない。

 

 例えるなら、相手がリンゴを『赤』ではなく『黒』と思っていたら、同じ『リンゴ』という言葉を話しててもその意味は大分変わってくる。


「いや……白。悪いんだが、お前が何を言っているのかさっぱりわからない。クレアが消えた理由を知っているのなら、はっきり教えてくれないか」


『ふーむ。こういうものは言葉で説明するのも無粋だしな。とうの本人に説明してもらうのが一番だろう』

 

 白は突然、そんな驚きの発言をする。


「な!? お、おい! 白。お前クレアがどこにいるのかわかるのか?」

『主殿。わたしをあまり侮ってくれるなよ。大勢の人間どもが住む集落ならまだしも森の中に人やエルフがいたら、その放つ匂いで場所などすぐに特定できる』

 

 白はやけに鼻高々な感じで言う。


「そ、それならすぐにクレアのところに案内してくれ。というかお前それを早く教えてくれよ。いや……そもそも何故話せることをこれまで隠していたんだ?」

 

 思わず少し語気を強めて言う。

 俺が慌てふためいている様子をただ黙って見ていたのかと思うとどうにも気分が悪い。


 白はしばし俺の方を見て、その漆黒の目を細めて、

『……主殿は例外として、わたしは基本的に他の者を信用していない。だから、あのエルフが近くにいる間は悪いがしばらく様子を見させてもらっていた。だが、さすがに見てはいられなくなってな……』

 と、やけに真剣な面持ちで言う。

 

 そう言われると言葉が出ない。

 考えてみれば白も白で同族と思われる魔獣たちに襲われていたのだから、色々と事情があるのだろう。

 それに先ほどまで俺と白は敵同士で、互いに相手を殺そうとまでしていたくらいだ。

 

 無条件に信頼して協力してくれというのは確かに白からすれば虫が良すぎる話しだろう。

 「主殿」などと言われて、俺の確認している範囲では、「臣下」になっているからついつい図に乗りすぎたのかもしれない。

 

 白にだって当然感情はある。

 クレアみたいに、その気持ち次第ではいつ俺の目の間から消えてもおかしくはないということだ。

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