第16話 魔獣との遭遇

 クレアと一緒に森に分け入ってからそれなりの時が経った。

 今までのところはそれなりに順調——なはずだ。

 

 重い荷物を背負って森の中を移動するなんて最初はどうなるかと思ったが、意外にも俺の体は順応性があったようだ。

 

 いや……これもきっと爆上げしている固有値のおかげなのだろう。

 すぐ後ろにいるクレアを見る。

 

 クレアは、ほとんど疲れた様子も見せずに軽やかに歩を進めている。

 最初はクレアが先導すると言っていたのだが、俺がそれを止めた。

 

 なんというか魔獣が生息する森の中を進むにあたり、少女——クレア——を前に行かせるのはさすがの俺でもはばかられた。

 

 だが徐々に慣れてきたとはいえ正直なところ未だに森の中を歩くのは恐ろしい。

 鬱蒼と茂った森の中は、相変わらず陽の光がほとんど届かずに薄暗いままだ。

 

 精確な視界を確保することは困難で、今にも目の前の茂みの中から魔獣が飛び出してきそうである。

 

 実際、それらしき跡や遠吠えは先ほどから至るほどある。

 そういう訳で俺はおっかなびっくり森の中を進んでいた。

 幸いなことに未だに俺たちは魔獣と遭遇はしていなかった。


「大丈夫です。魔獣が現れたらわたしが対処しますから」

 

 クレアは、俺の不安な気持ちを見越したのか、そう冷静に言う。


「いや……俺も闘うからさ」

 

 本当は『俺が』と言うべきだったのだが、言い切れなかった。


「そう……ですか」

 

 と、クレアはそうつぶやく。

 相変わらずクレアの表情は変化に乏しい。

 

 とはいえ、やはりクレアを見ると、こんな薄暗い森の中でも自然と気分が明るくなる。

 動きやすい軽装姿の今のクレアは、メイド姿の時とはまた違った魅力にあふれている。

 

 クレアを前に行かせたら、ずっとクレアを見ていられてもっとテンションも上がるかもな。

 そんな不謹慎なことまで考えてしまう。

 

 それにしても魔獣がいるかもしれないというのにこんなことを考えてしまう余裕があるなんて、やはり固有値爆上げの影響は大きい。

 まあ……これも全てはクレアのおかげであるから、なおさら身を引き締めないといけない。

 

 クレアに情けないところを見せて、忠誠度が下がってしまったらそれこそ目もあてられない。

 いやいやそもそもこの打算的な考えを知られたら——。


「ルドルフ様!」

「は、はい!?」

 

 よからぬことを考えていた絶妙なタイミングでクレアに声をかけられて思わず俺は前のめりに転びそうになってしまった。


「前方に魔獣がいます」

 

 クレアはそう言うと声を潜めて、体をかがめる。

 俺も戸惑いながらもクレアにならいその場で立ち止まり、体を低くする。


 そして、クレアの視線の先へと目を凝らす。

 確かに草木の隅に獣の姿が隠れているように——見えなくもない。


 というか……クレアって魔法以外も優秀過ぎやしないか。

 森の中での行動も非常にテキパキとしているし、魔獣を察知する感覚もとても素人とは思えない能力だ。

 それともこれはクレア……というよりエルフ全体の特質なのだろうか。


「ルドルフ様。どうされますか」


 いつの間にか俺のすぐ横にまで密着してきたクレアがそう耳打ちする。

 どうと言われても、正直なところどんな相手かまるでわからない以上可能な限り闘いたくはない。


「避けて通ることはできないかな……」

 

 と、俺は自信なさげに言う。


「難しいと思います。相手も我々のことを既に察知しているようですし」


 一番望んでいた『逃げる』という選択肢はなくなった。

 となると闘うしかない。

 問題は『誰が闘う』かだが……。

 さすがにクレアに任せる訳にはいかないだろう。


「わ、わかった。じゃあ……俺が闘うから、クレアは後ろで下がっていて」

 

 意を決してそう言ったのだが、緊張していることを隠しきれずに大分声が裏返ってしまった。

 

 仕方がないじゃないか。

 だいたいこんな森の中で魔獣と闘うなんてかなり正気の沙汰ではない。

 

 登山をしていて熊と遭遇して、逃げることができずに戦わざるを得ない人の気持ちを考えみてもらいたい。

 

 と俺は心の中でそう言い訳をして自分がビビりまくっていることを正当化する。

 とはいえ、今の俺には心強い飛び道具——魔法がある。

 

 先ほどの例で言えば、俺は素手ではなく猟銃を装備した状態で熊と遭遇したような状況だ。

 

 これならなんとかなる気がする。

 と、俺は自分の気持ちを奮い立たせて前へと進もうとしたが——


「ルドルフ様。魔法で対処されるおつもりですか?」


「そのつもりだけど……」


「その……魔法をこの場で使うのはなるべく控えた方がよろしいかと思います」


「え、えっと……それはまたなんで?」

 

 伝家の宝刀の魔法を使うなと言われて俺はあからさまに動揺してしまう。


「基本的に魔法を放つ時の衝撃——音などはかなり大きいものがあります。近くにいる魔獣たちを刺激して、集まってくる可能性が高いかと思います」

 

 そう言われて自分やクレアが魔法を放った時の様子を脳裏に思い出していた。

 ——確かにあれだけのことをこの場でしでかしたら、近くどころか森中の魔獣が大騒ぎしそうではある。

 

 しかし……となると、魔法——飛び道具——なしで闘わなければならない。

 森の中で熊と近接戦を挑めと言うのか……。

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