第12話 屋敷からの逃避行

「今の俺はこの場所も良いと思っているよ。人が多いより少ない方がいいしね。それに……あのさ……その耳も……」

 

 クレアが長耳が隠れているのかを悲しげな顔をして懸命に確認している様子を見るのはハッキリ言って大分心が痛む光景なのだ。

 

 だから、俺の前ではそういうことをしなくてもいい!と声を大にして言いたい。

 そう思ったからこそ自然に出た言葉だった。


 だが言ってから俺はすぐに後悔した。

 もしかしたら……いやもしかしてもなく確実にキモい言い方だった気がする。

 30代のオッサンがニヤニヤしながら、少女の外見を褒めているビジュアルが脳裏に浮かぶ。

 クレアは一瞬体をフリーズさせて、その後視線をそらして顔を俯かせてしまう。

 数秒くらいそのままで、ようやく顔を挙げて、


「……!!、ル、ルドルフ様……い、今はそれよりもこれからのことを」

 

 とシドロモドロになりながら言う。

 クレアの頬は傍目からみても明らかなほどに真っ赤に紅潮していた。

 怒っているのか、恥ずかしがっているのか判別はできなかったが、とりあえず後者であることを願いたい。

 

 と、その時再び森の中を一筋の心地よい風がふく。

 先程と同じようにクレアの美しいブロンドの髪がなびき、長耳が露出する。

 クレアは一瞬手を動かそうとするが、そのまま風にまかせる。


 わずかに微笑んだ気がするが、クレアは、すぐにいつもの冷静な顔に戻ってしまう。

 そして、長耳もまた自然に髪で隠れてしまう。


「そ、その……話しは戻りますが、街と離れているこの屋敷にも利点があります。特に今の状況を考えれば……追手が来るまでの時間が大分かかります」


 クレアは深い森に続いている小道へと顔を向ける。

 

 追手……か。


 カールの性格もそうだけど、やはり領主……いや領主の息子に対してあれだけのことをした人間をそのまま放置はしないだろうな。

 まあ……俺も次男とはいえ息子ではあるらしいが、カールの発言と様子を見る限り、恩情を与えられるとはとても思えない。

 

 となると残された道は……


「逃げるしかないか……」

 

 思わず考えが口に出ていた。

 とはいえ、右も左もわからない異世界で貴族の身分を捨てて着の身着のままで逃げ出すのは正直なところ不安である。


 いや……やっぱり俺の精神状態は大分おかしい気がする。

 

 普通、こんなの不安程度では済まないだろう。

 家族も、頼れる人間も、金も——そもそもこの世界で金銭がどうゆう風に扱われているのかすらわからないが——なく、全くの見知らぬ場所で命を狙われて逃げ出すっていうのにこの程度の不安しかないなんて。

 

 いやまあ……異世界モノの主人公はたいていそういう状況におかれるけど、あれは所詮はフィクションだし、他人事だから違和感はなかったが……。

 今、実際自分がその状態になって確信したけど、普通に発狂する。


 そのはずなのに、妙に俺は落ち着いていて、少々の不安程度で済んでいる。

 ……この異様に楽観的かつメンタルが安定しているのは、固有値が高いからなのだろうか。


 となると……逃げるのはいいが、クレアが付いてきてくれなかったら、俺は確実に終わる。


「そ、その……俺はここからというか街から離れようと思うのだけれど、クレアはどうする?」

「……わたしも街から離れようと思います。あれだけのことをしたのですから、間違いなく死罪でしょうし」

「そっか。そ、それなら……よ、よかったらしばらく一緒に行動してくれないかな?」


 俺はドギマギしながら、クレアの反応を伺う。

 クレアは目を大きく開けて、かなり驚いた反応を見せた後、しばし間をおいて言う。


「……ルドルフ様。わたしと一緒に逃げるつもりですか?」

 

 クレアは、険しい顔をして、じっと俺を見ている。

 これはダメかもしれない……。

 ある意味当然と言えば当然だ。

 

 俺は、記憶を無くしたことになっているが、クレアからすれば今まで散々なことをしてきた男なのだ。

 その男が今や落ちぶれて家から追放されようとしているのに、あえてそんな男と付いていく道理はない。


「そ、その、俺も一応は少し役立つと思うし、一人で逃げるより、二人でいた方が色々と危険も避けられるかもしれないし……」

 

 クレアは黙って話しを聞いているが、こころなしか顔をますます険しいものになっていく。

 ここはもうあの最終手段しかない。

「く、クレア! た、頼む! 虫のいい話だとは思うけれどしばらくでいいから俺と一緒にいてくれないか! もちろん今までのような横暴な態度は絶対に取らないから!」

 

 と、俺は多分傍から見たら大分情けない感じで、クレアに平身低頭頼み込んだ。

 クレアからすれば大分手前勝手な話しをしているのだ。

 これくらいするのはむしろ当然だろう。


 心を込めて謝り、頼み込む。

 なんだかんだと言って人を動かすのには一番コレが効く。

 しがないサラリーマン生活で学んだ数少ない教訓の一つだ。


「る、ルドルフ様! お、お顔を挙げてください。そ、そんなことをされても困ります」

 クレアはいきなり頭を下げてきた俺に対して、どうすればいいからわからず困った様子で、ワタワタしていた。

 

 ……この可愛らしい姿を最後に見られただけでもう十分かもしれない。

 と、俺は既に諦めの境地に達していた。

 

 こういう反応をしてくれるだけで、クレアがとても性格が良い女性だとわかる。

 今まで自分に酷いことばかりしてきた人間が、いざ自分の立場が悪くなると、急に手の平を返してきても、たいていの人間は冷たくあしらうだけだろう。

 しかしこれ以上、その気立ての良い性格に漬け込んでクレアを困らせていてもしかたがない。

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