第42話 蚤の市


「気晴らしに蚤の市でも行かない?」と未嗣に誘われて、夕雨はお寺の境内の中で行われる蚤の市に行くことにした。


 未嗣と手を繋ぎながら、店を冷やかす。昔のデザインのグラスや、お皿が並んでいる。


「夕雨ちゃんのコップ買おうか」と未嗣が言う。


「未嗣さんの家にあるのでいいですよ」


「同じの…使いたいから」と未嗣が少し恥ずかしそうに言う。


 そう言われると、何も言えずにお店を見る。


「あ、でも新品が良いかなぁ。折角だし」


「え? でも私は昔のデザインのが良いです」


 そう言って、少し分厚い緑色のガラスコップを選んだ。未嗣も一緒のものを選んでペアグラスになる。何だか気恥ずかしいのもあるけれど、二人で買い物をするのも楽しかった。あれこれ見て、少し疲れたので、休憩しようと近くの喫茶店に入った。


「良いものが見つかってよかったです」と夕雨が言うと、未嗣も嬉しそうに笑う。


「一緒にこれを使うのが楽しみになってきたな」


 そう言う未嗣が夕雨は可愛くて、思わず笑ってしまう。


「え? なんかおかしなこと言った?」


「だって、コップ同じにするだけなのに、本当に嬉しそうだから…可愛いなぁって」


「それは家族みたいな気持ちになれるから…嬉しくて」


 そう言うことを言われて、今度は夕雨が照れてしまう。そのせいなのか、今日の日差しのせいなのか二人でクリームソーダを頼んだ。


「ねぇ、夕雨ちゃん。本当に一緒に住まない?」


「え?」


「ずっと一緒に…いたいから」


「でも…まだ付き合ったばっかりですし…。それにあの…留学だって」


「そうだよね。ごめんね」


「謝らないでください。そう言ってもらえて…嬉しいですから。それに…私、そんなにお料理もできないし」


「別に料理して欲しいから住んで欲しいわけじゃなくて…。あ、最初は料理をお願いしたけど、それは…一緒にいる時間が欲しかったから」と未嗣の言い訳を聞きながら、彼の気持ちが伝わって、夕雨の方がなんだか恥ずかしくなる。


 アイスの乗ったクリームソーダが運ばれてくる。緑色の綺麗なソーダの空気の粒が上へ上へと上がっていく。


「一人が…寂しかったりするなら…なるべく一緒にいますけど…」


 奥さんを失ったことがまだ辛いのだろうか、と夕雨は思った。未嗣は軽く笑って、夕雨の手に触れた。


「優しいね。でも夕雨ちゃんが帰った後は寂しいかな」


 夕雨は触れられた手を引っ込めることもできずに、体が熱くなってきたので、勢いよくクリームソーダを飲んだ。


 すると未嗣がちょっと悲しそうな顔で「夕雨ちゃんって本当に僕のこと…好き?」と聞いてくる。


「え? はい。あの…どきどきしてます」


「どきどき?」


「手…」


 触れられている手を動かせないままだったので、未嗣に言った。


「あ…これ?」と言って、今度は手を上から握ってきた。


 ストローで思い切りソーダを吸うと夕雨のクリームソーダはクリームを残してソーダ部分は無くなった。


「アイス食べるので、離してください。もう、未嗣さんは…慣れすぎてて…不安です」


 キスの時だって、顔を赤くしたのは夕雨だけだった。


「…慣れてるんじゃなくて、頑張ってるから。アイス食べさせてあげようか?」と未嗣が言う。


「なんで困らせるんですか」


「困らせてるの?」と言って、手を離してくれる。


 一安心してアイスを食べていると、「アイスに嫉妬してしまう」と未嗣が言うので、夕雨は仕方なく、未嗣のスプーンをとって、アイスを掬って未嗣の口に持っていった。


「はい、どうぞ」


「確かに、少し恥ずかしい」と言ったものの、食べてくれた。


「少しじゃないですよ。大分です」と言って、頬を膨らませる。


「でも幸せで仕方がない」


 そう言う未嗣を見て、やっぱり奥さんとの生活で傷ついたこともあるんだろうな、と夕雨は思った。


「どうかした?」


「もっと幸せにしてあげたいです」と夕雨が心から思ったことを口に出すと、未嗣は初めて顔をうっすら赤くした。


「ありがとう」


 その言葉は二人を幸せにした。


 喫茶店から出て、お寺に戻ると護摩焚きをすると言うので、見に行こうとなった。境内の中で四角く組まれた木枠から炎が上がっている。周りで僧侶たちがお経を読んでいた。折角だから何かお願い事でもしようかと思って、護摩木を見ていると、風が強く吹いて、火の粉が空に上がる。


 夕雨はその風景を見て、突然、物凄い恐怖を覚えた。


「夕雨ちゃん?」と未嗣は声をかけた。


 空に火の粉が舞い上がって、消えていく。足が震えた。


「あつ…い」


「え? 飛んできたの?」と未嗣が慌てて夕雨を庇うように立ち塞ぐ。


 でも火の粉は空に上がるだけで、こちらには飛んでこない。それなのに夕雨は目が離せなかった。そして足が竦んで動けなくなる。


「火が…」


「え?」


 そう火が回り込むのだ、と夕雨は思った。でもそんなはずはない。安全に配慮された護摩焚きは近くに消防車も待機してある。


「出よう」と未嗣に手を引かれて、ようやく歩き出す。


 夕雨はあの時も誰かに手を引かれた…と思いながら、あの時と言うのがいつのことなのか考えたら分からなくなる。

 未嗣の手を力一杯握ってしまう。

 境内を出て、すぐの通りでタクシーを拾う。そのまま未嗣のマンションに向かうのだが、夕雨の額から汗が出ていた。


「少し眠れるなら…」と未嗣が言ってくれる。


 夕雨は未嗣の肩をかりてもたれた。空に上がる火の粉を見て、足の底から這い上がるような恐怖と熱さを感じた。なんだったんだろうとぼんやり思っているうちに、夕雨は眠ってしまった。

 

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