第40話 近くなる過去


 未嗣は戸籍謄本を取り寄せたりしたものの、曽祖父は名前が載っているだけで、彼の戸籍もまた複雑過ぎた。戸籍からは写真の彼女には辿り着けないとは分かっていたが、大正、昭和の人間関係の複雑さにはため息が出た。

 曽祖父は英語が堪能で旧帝大卒業し、高等学校にも教師として働いたり、新聞記者としても働いていたというので、まずは新聞記事を検索することにした。国会図書館に出向いて、過去の新聞のデータベースから曽祖父の書いた記事が分かるものがあるのか探す。

 編集後記のような軽い文章が見つかった。


「親友の結婚相手が見つかったと言われて、誘われて見に行くことになった。見つかったと言うものの、勝手に見初めただけであったが、優秀な友人のことだからうまく縁談を結ぶに違いない。ただいつも沈着冷静な友人の様子が常軌を逸しており、恋愛というものは格も奇妙なものだと嘆息する。なおお相手は花も綻ぶ女学生で大きなリボンも愛らしい人であった」


 この親友が分かれば何か分かるに違いない。今度は同窓生の名簿を見て、曽祖父との同級生の名前を控える。控えたと言って、今はもう生きてはいないだろうし話を聞くことはできない。写真の女性について分かることは難しいだろう。ネットに上げて、聞いて見てもいいが、夕雨にそっくりな写真なのでなるべくその手は使いたくない、と未嗣は考えている。


 祖父から曽祖母の話を聞いてみようと、思ったが、祖父を産んでから、彼女の兄の戸籍に祖父は入れられて、彼女は他所の家に嫁がさせられて、自分の母に会うことも少なかったと言う。だから祖父も父親の話を聞くこともなかったらしい。ただ曽祖父が亡くなった後、わずかな財産を子供に残したいと手配していたようで、その時にこの写真も祖父が受け取ったらしい。


「…手づまりか」と未嗣はできる範囲で考えるとお手上げになった。


 結婚していないのだから…曽祖父の遺品は写真以外何もなかった。


 夕雨のアルバイト先に行った。ポニーテールを揺らしながら、テーブルを片付けている。


「いらっしゃいませ」と相変わらずの可愛い笑顔を向けて、未嗣に声をかける。


 カウンターに腰をかけて、マスターにウィンナーコーヒーを注文した。


「珍しいですねぇ」


「少し、疲れて…。人探しって…しかも昔の人探しなんて、なかなかできるもんじゃないですよね」


「まぁねぇ…」と言いながらコーヒーを淹れる。


 夕雨は下げてきたグラスを食洗機に入れた。


「夕雨ちゃん、全く収穫がなくて…」


「そうですか。…でも調べただけでもすごいです」と慰めてくれた。


「あ、そうそう…曾祖父さんが書いた記事があって…友達がいるらしくて」と言って、プリントアウトした記事を夕雨に渡した。


 しばらく読んでいると、夕雨は何かが引っかかるような顔をする。


「沈着冷静…」と呟いて、何度も読み返していた。


「何か思い当たることある?」


「もしかすると…この記事の人が…一緒に写ってた人じゃないですか?」


「あの写真の?」


「なんとなく…そうじゃないかなって気がするんですけど…」


 確かに一緒に写っていた男性は知性あるように見えた。


「名前が分かれば良いんだけど、これだけ同級生がいると…なかなか難しくって」と言って、特になんの望みもなく、正雄の同級生の名簿も夕雨に渡した。


 夕雨は名前の羅列を見ていった。たくさんの名前が並ぶ。ふと一つの名前で視線が止まった。


「大原…清…」


 その名前だけ浮かんで見えたような気がした。大原清という名前はなぜか馴染みがあるような気がする。


「…大原? 清?」と未嗣も繰り返した。


「それで、この記事の結婚相手って言うのが…もしかしたらあの写真の人物じゃないですか? 女学生らしい写真でしたよね?」


「…そうだね。リボン…って書いてるし。あの写真もリボンつけてた。え? でも友達の結婚相手の写真をどうして曽祖父さんが持ってるんだ?」


 夕雨は少し目を伏せる。何か思い出すような切ない気持ちになる。それは大原清に対してだろうか。それとも未嗣の曽祖父に対してだろうか。黙り込んだ夕雨を心配して未嗣は声をかける。


「夕雨ちゃん?」


「…ごめんなさい」


「え?」


 夕雨の目から涙がこぼれていた。


「…あ、ごめんなさい。なんでだろ?」と言って、慌てて手で涙を拭った。


「いや、ますます前世の話に信憑性が増してきたけど…。でも今を生きてるんだからね。どんなことが過去にあったとしても、二人は仲良くいなさいよ」とマスターが二人に向かって言う。


「はい」と恭しく未嗣が返事をした。


 夕雨はマスターの言う通りだと思った。この世界で出会えたのだから。あまり過去を気にしても仕方がない。それでも大原清の名前を見た時、なぜか恋しいとは違う胸を締め付けるような気持ちになった。


「夕雨ちゃん?」


「大丈夫ですよ」

 

 そう言って、夕雨は未嗣を見て、微笑んだ。微笑みながら、過去に近づきつつあるような予感がしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る