第38話 ずっと前からの恋人


 好きなのに…自分の気持ちが分からない。夕雨はどうして良いのかも分からなくなってベッドの中で丸くなった。未嗣が自分のことを好きだと言うのも分からなくなる。あんなに運命の人だと騒いでいたのに…。もし自分があの女性の生まれ変わりで、未嗣も生まれ変わりで…だから好きになったのだろうか。


 好きだと思えば思うほど、この気持ちは何なのだろうと…分からなくなる。気がつけばそのまま眠ってしまった。


 月曜日なので、急いでアルバイトに出かける。ズボンにTシャツ。化粧は軽くして、髪は一つくくり。いつもの夕雨だ。朝はモーニングの出前担当でよかった。忙しく動いていれば暗い気持ちも薄れる。


 朝のバタバタした時間が過ぎると田村さんはエプロンを脱いだ。


「大学もつまらないし、アルバイトも」とマスターの前で言う。


「やれやれ。そんなに楽しいことなんて世の中に溢れていないよ」とマスターが言うと、田村さんは夕雨の方を見た。


「不公平よねぇ。私だってイケメン彼氏が欲しい」


「イケメン彼氏はあげられないけど、トースト食べる?」


「はい」と言って、素直にカウンターに座った。


「夕雨ちゃんはレーズントースト?」


「あ、今日は…」


「何? 食欲ないの? 昨日、あの後、フランス料理フルコースでも食べに行ったの?」とマスターが余計なことを言う。


「えぇ。そうなの?」と田村さんが騒いでいる時に、未嗣が入ってきた。


「いらっしゃいませ〜」とマスターが夕雨に水を持っていくように言う。


「夕雨ちゃん、少し借りていい? 二人分払うから。夕雨ちゃん、飲み物頼んで」と言って、夕雨の手を掴んで、窓際の席に座らせた。


 田村さんがはっきりわかるような仏頂面で注文を取りに来た。未嗣はコーヒーで、夕雨はソーダ水にした。


「昨日はごめん。急にあんな写真見せて」と未嗣は早々に謝った。


「いえ…。私も驚いてしまって…。でも…やっぱり未嗣さんの一目惚れって、あの写真が記憶のどこかにあったんだと思うんです。だから私を見た時…何かを感じたような気持ちになった…んじゃな」と夕雨が言い終わらない内に未嗣が話す。


「記憶の引き出しとリンクしたのかもしれない。…曾祖父さんの生まれ変わりかもしれない。どっちにしたって、それはきっかけなんだ」


「きっかけ?」


「君が気になって、ずっと見ていくうちに…一生懸命な姿に好感持てたし…。いつも明るい笑顔で…可愛かったし」と恥ずかしそうに言うが、言われる夕雨も恥ずかしくなってきた。


 そこにソーダ水とコーヒーがドンと音たてて運ばれる。


「私、もうバイト上がるんで。お客さん来たら、仕事してくださいね」と田村さんが言う。


「あ、はい。ごめんなさい」


「だから…君が好きなことに変わりがないから」と必死に話してくる未嗣に違和感を感じた。


「未嗣さん、何か…変ですよ?」


「え?」


「何か…まだ…話してないことありますか?」


「話してないことって…。変って? 言ってることが信じられないとか?」


「いいえ。そうじゃなくって。いつもはもっとスマートなのに、どうして昨日からそんなストレートな言い方するんですか?」と夕雨が言うと、未嗣が固まった。


 そして今度は急に黙った。まるで隠し事があるみたいに。片手で顔を隠しながら悩んでいる。夕雨は仕方なくソーダ水を飲んで待つことにした。


「それは…」


「それは?」


「本当に好きな人とはいられない運命だって言われたから」


「え? 誰にですか?」と夕雨が聞くと、昨日のお客のメガネをかけておさげをしていたお客さんだった。


 忘れたと言っていたけれど、しっかり覚えていたらしい。本当に好きな人といられないということは未嗣にクリティカルヒットを与えた。元奥さんのことも思い起こされたのかもしれない。


「いや、そんなことはないと思って…流したんだけど…。でも…」


 未嗣も夕雨のように一旦は聞き流したけれど、後から不安が膨らんだようだった。それにあの写真を見せた時の夕雨の反応が追い討ちをかけてしまったようで、今日も忙しい時間が終わり次第、いてもたってもいられなくなって、店まで来たらしい。

 そう思うと、夕雨よりも随分年上の男の人が可愛く見える。思わず夕雨は笑ってしまう。

 それにショックを受けたのか、半分隠していた顔から手が落ちて全部見えた。


「私も同じです。不安でした。イケメンに気をつけなさいって言われて。未嗣さんはイケメンだから」


 そう言うと、未嗣も軽く笑った。


「それで…まだ気持ちは落ち着いてはないと思うんだけど…」


「…はい。でも…今の未嗣さん見たら、好きだなって思いました。前から好きですけど…」


「え?」


 年上の人に言うべき言葉ではないかも知れない。でも率直に可愛いと夕雨は笑った。可愛いと言われて、未嗣は驚いた顔をしたけれど、夕雨の気持ちが変わらなかったことが分かって、一安心した。


「じゃあ、仕事に戻りますね」と言って、自分のソーダ水のグラスを持ち上げようとした時、その手に手を重ねた。


「…」


「どうかしましたか?」


「夕雨ちゃんが…嫌じゃなければ、写真の人を探してみる?」


「え?」


 あの写真の人が一体、どんな人で未嗣の曽祖父との繋がりがあったのか…、夕雨も知りたいと思った。


「でも…何か手がかりがあるんですか?」


「ほとんどないんだけど。…本家の人にも聞いてみようかなと思って。もしバイト休みの日に良かったら一緒に行かない? それまでに分かるところまで調べてみるつもりだけど」


「…あ、はい」と返事したけど、まだ未嗣は手を離していない。


 夕雨は未嗣を見て、「手…あの…動かして良いですか?」と聞くと、「うん」と笑いながら手を離す。


「じゃあ、また夕方に」と言って、未嗣の方が先に席を立って、マスターのところにコーヒーカップを持って行く。


 慌てて夕雨も自分のグラスを片付けた。


「お熱いねぇ」とマスターに言われて、夕雨は恥ずかしくなったが、未嗣は嬉しそうに笑う。


 未嗣はコーヒーチケットをまた購入して、会計をして出ていった。


「なんだろう…。二人がずっと前から恋人みたいに見えた」


 マスターがコーヒーカップを片付けながら、言う。


 (ずっと前からの…恋人)と反芻したが、夕雨はまだ始まったばかりの恋への不安とこそばゆさを感じていた。


 

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