第36話 既視感


 料理を作って運び終えると、少し一息ついた。あとはデザートのプリンに飲み物だ。未嗣もジャケットを脱いで働いてくれているが、女性客から黄色い声が上がった。夕雨は夕雨で男装をしているので、物珍しいのか話しかけてくれる人がちらほらいた。

 田村さんもお客さんと写真を撮ったりして、なんだかんだと楽しんでいる。夕雨はプリンを並べて、上にホイップを飾り付けて行く。マスターはコーヒーをたくさん用意し始めた。未嗣が来てくれてホールスタッフが二人になって助かった、と夕雨は思った。


 カウンターにずらっとプリンを並べて、取ってもらうスタイルだった。


「あの…」とカウンター越しにメガネをかけて、おさげにした女学生スタイルの女の子に声をかけられる。


「はい?」と夕雨は応える。


「あ、いえ。ごめんなさい。プリン頂きますね」とプリンを取って、また夕雨の顔をじっと見つめる。

 

「どうぞ」と笑顔で返したが、見つめられたままだったので、どうしたらいいのか、と一瞬、困った。


「…。あの」


「はい?」


「いえ…。やっぱり…」と言って、去って行った。


 夕雨は訝しんだが、こんな格好をしているから声をかけてきたのかもしれないと思うことにした。


 みんな話が弾んでプリンを取りに来ないので、未嗣と田村さんが配ることになった。その際に飲み物のオーダーを取ってくれる。オーダーされた飲み物を用意して、配り終えると、夕雨は下がってきた皿を食洗機に入れて洗うことにした。食洗機に入らない分は残念ながら手洗いするしかない。入り切らない分を洗っていると、さっきの女の子が声をかけてきた。


「あの…、さっきはごめんなさい」


「いいえ。どうかしましたか?」と洗いながらではあるが、夕雨は返事をした。


「あの…でも伝えたいことがあって」


「はい?」


「前世で男性に苦労してます」


「え?」と思わず手が滑りそうになった。


「だから今世でも男の人に気を付けてください」と真面目そうな顔で夕雨に言った。


「何か見えてるんですか?」


「はい」と勢いよく返事される。


「何が?」と聞くと、真剣な顔で「男性を簡単に信じちゃダメです。だから男装することになって…」と言った。


「え? 男装? 今日の衣装ですか?」


「はい、同じような服を着て男の姿で過ごしているあなたが見えます。ひどい裏切られ方しましたね」


 夕雨は今ひとつ分からなくて、その人をじっと見てしまう。その人の目には男装した前世が見えているのだろうか。


「特にイケメンには注意ですよ」


「分かりました。注意します」と言って、夕雨はとりあえず相手の言うことを聞いた。


 そうして洗い物をしていると、今度は違う人がまた近づいてきた。おかっぱ頭にヘッドドレスをつけた着物姿の女性だった。


「あの…」


「はい?」


「さっきの人の言うこと気にしないでくださいね。ちょっと変わってて。悪い人じゃないんですけど。妄想力が激しくて」


「え? あ、そうなんですね。前世が見えるって言われて」


「見えてるかもしれないですけど…。それは彼女の世界だけなんで。何だか変なこと言ってたらごめんなさい」


「大丈夫ですよ」と夕雨は笑いながら応える。


 そしてさっきのメガネのおさげの女の子は未嗣にも何か言っていた。そんなこともあったが、無事に終わり、片付けをした。


「お疲れ様…。夕雨ちゃんは着替えてきたら?」とマスターに言われた。


 田村さんはそのまま帰るというので、夕雨だけ、事務所に入った。化粧も落として着てきた服に着替える。いつもは動きやすいズボンにTシャツだけど、今日はさっと着替えられるワンピースにしていた。着替えて出ると、未嗣が待っていてくれた。


「すごい変身だね」とマスターや未嗣に言われる。


 少し恥ずかしくなって、夕雨は照れ笑いをした。特に化粧は落としただけだったが、男装からの変化は大きかった。


「じゃあ」と言って、二人で店を出て行って、すぐ近くの未嗣のマンションに戻る。


 未嗣も暑いからジャケットは脱いでいたものの、ちょっと現代では浮いている格好だったので、早く家に戻りたそうだった。そう思うと、あの団体はそのまま帰って行ったので、どこでも目を引いたに違いない。


「そう言えば、私、お客さんに変なこと言われたんです」


「変なこと?」


「男性にひどい裏切られ方をしたって」


「あぁ、そう言えば…僕も言われたかな」


「なんて言われたんですか?」


「…忘れた」と言って、マンションの下のオートロックの鍵を開ける。


「…私はイケメンには気をつけなさいって」と言って、未嗣を見た。


 未嗣は柔らかく笑って「確かに」と言って、夕雨の手を取った。あの時は聞き流せたのに、なぜか不安になる。未嗣は何を言われたんだろう。本当に忘れてしまったんだろうか、と夕雨は疑った。

 エレベーターの中の沈黙は重くて、苦手だ。エレベーターが開くと自然に息を大きく吐き出す。


「夕雨ちゃん、今日、可愛かった」


「え?」


「男装も、今も」


 どうしてそんなことを言い出すのかと思って首を傾げた。マンションのドアを開けて未嗣の部屋に入る。


「…あのね。曾祖父さんは若くして亡くなったんだけど…。いろんな女性と付き合ってたみたいで」と言いながらスリッパを出してくれた。


 その中で華族の女性もいたらしい。それが三条家の人で、結婚に反対されて、でも子供出来てしまって三条家の子として、育てられたのが未嗣のお爺さんとなったらしい。


「え? なんか…ひどい話ですね」


「うん。昔だからよく分からないけど…。でも祖父は不自由なく育ててもらったって聞いてるけど」


「そう…なんですね。あれ? ってことは未嗣さんも華族の末裔?」


「まぁ、そうなるのかな。でも…本家でもないし…今はほとんど付き合いないけどね。お茶淹れるから座ってて」と言われて、椅子に座った。


「そう言えば、見せたい写真って…」とお茶を入れてくれている未嗣の背中に聞いた。


「うん。まぁ…。驚くと思うけど」


 夕雨は驚くような写真が一体、どんなものか分からなかった。お茶を飲みながら、写真を持ってくるのを待つ。それにしてもイケメンに気をつけてと言われたら、未嗣のことが不安になってしまう。あの人は本当に何かを見えていたのだろうか、と夕雨はもっとよく話せばよかったと後悔した。


「夕雨ちゃん。好きだ」


 写真を見せる前にそんなことを言われて、夕雨は驚く。


「さっきから変ですよ」


「分かってる。でも…本当に夕雨ちゃんのことが好きで」


「その写真を見たら、私が未嗣さんのことを嫌いになるんですか?」


「…それは分からないけど。でも気持ちは分かってて欲しい」と言って、写真を渡される。


 だいぶ古いもので、白黒で、着物を着て、髪にリボンをつけている夕雨がそこにいた。一瞬、こんな写真をいつの間に自分がとったのだろうか、と思うくらいにそっくりで言葉も声も出なかった。


「曾祖父さんがずっと大切にしてたらしい。喫茶店で見せた写真と、この写真…」


「…じゃあ、三条家のお嬢さんの?」


「いや、それが違うみたいなんだ。ずっと一体誰だろうって家では言われてて。曾祖父さんの忘れられない人だろうって…それで片付けてたんだけど」


「未嗣さん…この写真、初めて見たんですか?」


「いや…。僕が曾祖父さんにそっくりだからって写真を預かってて、見たことは何回かあるよ。でも…正直気にしてなかった。今回、久しぶりに見て…驚いた」


「一目惚れって…この写真見てたから…だから…既視感があって…それで」と夕雨は言う。


 未嗣を見ると、少し悲しそうな顔をしている。


「だから…それとは関係なく、夕雨ちゃんが」


「あぁ…それで」


(さっきから変な理由はこれなんだ)と夕雨は思った。


 そしてこの写真を見ていると、なぜか分からないけれど、涙が出てくる。それに未嗣の曾祖父の写真も…夕雨はなぜか夢の中の人のような気がしていた。未嗣が夕雨に一目惚れしたのもこの写真を見ていたからかもしれない。それに夕雨がこの写真の女性の生まれ変わりだとして、未嗣を好きなのも、そのせいかもしれない。自分の気持ちが分からなくなる。


「…未嗣さん。今日は…帰ってもいいですか。朝から…疲れたし」


「ごめん。忙しかったのに」


「ごめんなさい。ちょっと混乱してて」


「駅まで送るよ」


 そして二人で駅まで歩いたが、無言だった。駅に着くと、夕雨は未嗣を見る。この好きだという溢れるような気持ちは本当に自分のものなのだろうか、と疑って悲しくなった。それでも好きな気持ちは嘘ではない。


「また…」と言って、夕雨は改札へ向かった。

 



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