第34話 写真
日曜は早めに来て、朝からお店でプリンを作ったり、サンドイッチの準備をしたりした。マスターも着替えるのは後から、と言うので、夕雨もシャツとズボンは履いたままだが、化粧も何もそのままで働くことにした。
ようやく一息ついて、化粧をする。男性っぽく化粧するのは難しいなぁ、と苦戦していると、田村さんがやってきた。家から着物着て、その上からエプロンをつけている。
「夕雨ちゃん、それ、なんか変よ。貸して、私がしてあげる」と言って、メイクをしている夕雨の顔を覗き込む。
そして田村さんにしてもらうと、男装の麗人みたいな仕上がりになった。
「すごいもんだねぇ」とマスターも関心している。
この格好で外に出るのは少し恥ずかしいけれど、仮装としてならかなり上出来な部類に入る。団体さんが来る十二時までは普通に店を開けることにしていた。ゴミを捨てるのと、オープンの看板にしようとドアを開けると、今日に限って、未嗣が一番乗りのお客さんだった。
「え? あれ?」と思わず顔を何度も見返す未嗣。
「おはようございます」と言いながら、俯いた。
「夕雨ちゃん? だよね?」
「…はい」
「どうしたの?」
未嗣に顔を覗き込まれて、何度も確認された。
「今日…昼から貸切になってて…。団体さんが来るんですけど、仮装して、おもてなししようかと思って」
「三条さーん。見て、ほら、大正時代のカフェの女給みたいでしょ?」と田村さんが近くに来た。
「本当だ」と未嗣は言って、カウンターに座った。
いつもの席にはもう座らないのだろうか、と夕雨は思ったが、聞かなかった。
「仮装の団体が来るの?」とマスターに話しかける。
「今流行ってるアニメの同好会? っていうのかなぁ…そのアニメが大正時代を舞台にしてたらしくて、ここで写真を撮ったりしたいから、貸切してくれて。ここはオフィス街だから休日は暇だしね」
「へぇ。楽しそうだなぁ」
「手伝いに来てくれてもいいけど」とマスターが言うと、未嗣は「え? いいの?」と思いがけず乗り気だった。
「未嗣さん、何着てくるんですか?」と驚いて、夕雨が聞く。
「何着ようかなぁ…」
「ねぇ、今さ、未嗣さんって言った?」と田村さんが耳聡く夕雨に聞く。
「あ…。うん」
「付き合ってるから」とすぐに未嗣が言った。
「えー? そんなの知らなかった」
「ごめんなさい」
謝る必要はないのかもしれないけれど、つい謝ってしまう。
「最近、ようやく付き合ってくれたんだ」と未嗣が言うと田村さんは何だか何も言えずに息を吐いて、その場を離れた。
「やれやれ」と言ったのはマスターの方だった。
コーヒーを飲むと未嗣は席を立って、十二時前に来ると言った。
「何を着てくるかは楽しみにしてて」と言う。
あれから、田村さんは夕雨に口を聞いてくれない。せっかくの楽しいイベントになるはずだったのに、何だか残念な気持ちになった。うっかり名前を読んでしまった夕雨が悪いのだけれど、テーブルを入念に拭いている田村さんに声をかけた。
「あの…さっきの」
「別に…気にしてないけど」
「三条さんには色々助けてもらってて…それであの…」
「…知ってたわよ」
「え?」
「三条さんが夕雨ちゃんのこと気に入ってるって。見たら分かるでしょ。バイト代わったり…それでなくても、あんなに一緒にいようとしてたし」
マスターだけでなく田村さんも気がついていたんだ、と夕雨は驚いた。
「そっか。…ごめんね。なんか言い出せなくて」
「ふん」と思い切り顔を背けられた。
唖然としていると、「そうやって気を遣ってるふりして、全然気が利かないくせに、欲しいものは手に入れたりするのよね」とはっきり言われた。
そう言うつもりでなくても、田村さんにはそう見えるのだから、どう言ったらいいのか分からない。
「でも仕方ないわよ。私が選ばれなかったってだけなんだから。あー、ヤダヤダ」と言って、両手を天井に向ける。
着物の袖がスルスル落ちて、二の腕まで見えた。そして夕雨の方を見ると「団体さんの前ではいちゃつかないでよ」と言われた。
別にそんなつもりはないけれど…でもそう見えないように気をつけなければ、と思った。
団体さんが来る前に未嗣が来た。未嗣は中折れ帽子を被り、三つ揃えのスーツを着て、手にはステッキを持っている。
「え? それ…」
「曾祖父さんの服を真似してみた。ステッキはイギリスでお土産に買ってたんだ」
「曾祖父さん?」
「ほら」と言って、古い写真を見せてくれる。
そこには未嗣にそっくりな男性と横に同じ年頃の目のすっとしたこちらも美男子が写っていた。それを見た夕雨は「え…」と声が出た。どちらの男性も夢に出ていたような気がした。
「…あら、三条さんにそっくり」と田村さんが写真を覗き込んで驚く。
夕雨はその写真を見て、動けなくなった。
「後で…もう一つ見て欲しい写真があるんだけど…」と未嗣に言われる。
「もう、イチャイチャは仕事場でしないでくださいよ」と田村さんが二人の間を割って入った。
そして現実に戻って、「あ、ごめん」と仕事を再開することにした。
未嗣はカウンターに座って、客の役をして、田村さんは女給の役をこなし、夕雨はカウンターに入って、コーヒーを淹れた。
ドアがゆっくり開いて、お客さんが入ると、すぐに歓声をあげる。
「わぁ。まるで本当に大正時代みたい」
その声を皮切りに、続々とお客さんが入って来た。夕雨はそのお客さんに笑顔を向けながら…あの二人の写真を思い出していた。
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