第15話 重ねた手

 未嗣の過去を知って、夕雨はご飯を作りに行くのが何だか悪いような、そして優しくしてくれるのに、彼に対して報われない気持ちを持った。

 今日はハンバーグが食べたくなって、合い挽きを買ってきたらしい。大きなハンバーグステーキにして、と未嗣から言われた。ボールに肉、パン粉、卵を入れる。あとは玉ねぎのみじん切りをしなければいけない。未嗣はレタスを洗って、サラダを用意してくれていた。優しい笑顔も、励ましの言葉も、思いやりの行動も全てオマケだったんだ、と思うとやりきれなくなる。

 彼はきっと亡くなった奥さんのことを忘れたりしない。亡くなった人を、しかも一度も喧嘩することのなかったと言う仲の良さだったら尚更、嫌いになんかならないだろう、と思った。


『君は前世の彼だったという理由で人を好きになるの?』と以前、未嗣に言われたことがあった。


 そう言った彼だからこそ、来世のことなんて思えない彼だからこそ、きっと死ぬまで奥さんのことを忘れないんだろうな、と夕雨は思った。玉ねぎを切りながら目がしょぼしょぼするのを堪えている。


「夕雨ちゃん、そう言えば…最近夢の話しないね」と未嗣に言われた。


「そうなんです。最近、少しも覚えてなくて。もしかしたら小さい頃に見た映画とかテレビとかそう言うものの記憶だったかも。ほら、よく朝の連続テレビで昔の題材とか扱ってるし…。そう言うのが記憶のかけらになっていて…夢で見ただけかも…」と玉ねぎをボールに入れた。


「そっか。…かもしれないね」


 ボールを覗き込んで目を押さえる未嗣に塩胡椒を出してもらう。塩胡椒をパラパラ振る。この適量と言うのがよく分からないと思いながら、塩胡椒の蓋を閉めた。手をもう一度綺麗に洗ってからハンバーグの種を捏ねる。肉が冷蔵庫から取り出してすぐなので、冷たい。


 無言で捏ねていると、未嗣に「大丈夫?」と聞かれた。


「え? あ、冷たいけど、大丈夫です」


「いや、そうじゃなくて…。変なこと話してごめんね」


「え?」


「奥さんの話、重かったよね」


「それは…そうです。奥さんが亡くなってたなんて…やっぱり悲しいですから」と言いながら顔に出てたのかもしれない。


「気にしないでって言うのも変だけど…」


「あ、ごめんなさい。私が…考えても仕方のないことですよね」と言いながら、涙が溢れた。


 ハンバーグを捏ねていて、手が使えない夕雨の代わりに、未嗣は黙ってティッシュで涙をそっと押さえた。


「…また謝る。本当に君は」


「玉ねぎ…の…せいじゃないです。三条さんは…お兄さんみたいに優しいから…やっぱり悲しいです」


「お兄さん?」


「お兄さんじゃなかったら、なんなんですか?」と言いながら、夕雨は自分でも分からなかった。


 でももうただの親切なお客さんではなかった。しばらくすると未嗣が答えを言う。


「彼氏」


「え?」


「彼氏にはなれないか」


「は? え? せ…先生、そう。先生です」


 そう言うと、未嗣はなぜか目を大きく開けて呟いた。


「…先生」


「そう、英語を教えてくれるから…英語の先生」と夕雨は慌てて言った。


 なんで突然、彼氏なんて言って、その気もないのに困らせたりするんだろう、と夕雨は少し恨みがましい気持ちでハンバーグを捏ねた。


「先生、フライパン、温めておいてください」とハンバーグの形を作る。


 少しもガスをつけるそぶりがないので、夕雨は未嗣を振り返った。


「先生?」


「え? 何?」


「だから、フライパンに火をつけてください」


「あぁ。ごめん」と言って、フライパンを火にかけた。


「どうかしましたか?」


「なんか、先生って言われると恥ずかしいな」


(彼氏って言う方が恥ずかしいのに)と夕雨は少し頰を膨らませつつ、そっとハンバーグをフライパンに乗せる。


「もう少し大きいのが食べたい」と言って、ハンバーグの種に未嗣が手を入れる。

 

 そこには夕雨の手がすでにある。


「あ…」


「ほら、手の大きさが違うから。どんなに頑張っても作れる限度があるでしょ?」と言って、夕雨の手の上に被せる。


 上から圧がかかって、ハンバーグの種が夕雨の手の形に押される。


「彼氏にしてくれる?」


 そのまま手を握られた。


「…寂しくなったんですか」と夕雨は自分の手の上にある未嗣の手を見て聞いた。


「…うん。堪らなく」


 先に入れたハンバーグの焼ける匂いが漂ってきた。


                             

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